「お父様、沙羅場ルカとは別れて、一番強大なマフィア――綾小路家と政略結婚してもいいわ。あの冷酷非道な跡継ぎに嫁いでも」
神城イヴはバスローブの前をゆるくはだけ、首元には熱の名残を刻むような無数のキスマークが浮かんでいた。
「ただし、一つだけ条件があります。お約束いただけるなら、嫁ぎます」
電話口の向こうで父があわてて何かを言おうとした、その瞬間――イヴは無情にも通話を切った。
シャワーを終えた沙羅場ルカが濡れた髪を拭きながら浴室から出てきて、何の疑いもなく神城イヴの腰を抱き寄せ、ベッドへと倒れ込んだ。
神城イヴは彼の胸に顔を埋めながら、まるで氷のような瞳を伏せる。
神城家の令嬢である彼女は、身分を隠して組織の幹部・沙羅場ルカと五年間、恋人関係を続けていた。
三日前、神城イヴは何者かに誘拐された。目的は沙羅場ルカが扱うある“荷物”だった。彼女は取引のための人質として使われたのだ。その夜、神城イヴは携帯の電源が落ちるまで何度もルカに電話をかけ続けた――だが、彼は一度も出なかった。
神城イヴは崖から突き落とされ、全身を打ち、瀕死の状態で神城家の首領に救われてようやく命を取り留めた。
そのとき沙羅場ルカは、神城イヴの父の愛人の娘と優雅に恋愛を楽しんでいた。
すべてを悟った瞬間、神城イヴの心は完全に醒めた。今日、沙羅場ルカは神城イヴにプロポーズしてきた。
彼女が用意した贈り物は――彼にとって最高の自由だった。
……
沙羅場ルカは謝罪の言葉を繰り返し、もう二度と彼女を傷つけないと誓った。そしてそのまま、神城イヴを激しく抱いた。世界が終わるんじゃないかと錯覚するほどの、嵐のような交わりだった。
すべてが終わったあと、神城イヴは彼の腕の中で微かに息を弾ませながら身を委ねていた。
暗闇の中で、沙羅場ルカのスマートフォンがふっと光を放った。彼が手に取った瞬間、神城イヴはさりげなく画面を覗き見た。
表示されていたのは――エリナ。彼女の父の愛人との間に生まれた異母妹からのメッセージだった。
【ねえ、うちの前に変な人がいるの。ちょっと来てくれない?】
熱を帯びていた空気が、一瞬にして冷めきった。
さっきまで肌を重ねていたばかりなのだから、沙羅場ルカは当然傍に残ってくれるものだと信じていた。だが――
沙羅場ルカはあっさりとベッドを降り、近くに脱ぎ捨ててあったシャツを肩に引っかけた。そして神城イヴの裸の背中に、軽く唇を落とす。
「部下がちょっとトラブル起こしててさ。処理してくる。すぐ戻るよ」
神城イヴの胸に、ずしんと重いものが落ちた。沙羅場ルカは彼女の変化にまったく気づかず、足早に部屋を出ていく。
ずっと黙っていた神城イヴが、ふいに口を開いた。
「もう帰らなくていいわ。私たちは終わり。……あなたは自由よ」
沙羅場ルカは、それをまともに聞いていなかった。ただ上の空で、ぼんやりと応じた。
「……ああ」
扉が閉まる音を耳にした瞬間、神城イヴの表情が一変する。冷ややかな光が、その瞳に宿った。
すぐに側近へ電話をかけ、短く命じた。
「ルカを、追って」
通話を切ると、彼女は無表情のまま、神城邸に残された沙羅場ルカの私物を片づけ始めた。
そこかしこに、沙羅場ルカの気配が残っている。この五年間の思い出――甘くて、優しくて、痛いほど鮮やかな記憶が、目に焼きつく。
すべてを箱に詰め終えた頃、側近からいくつかの動画が届いた。
仕事だと言って出かけた沙羅場ルカ。その手は、しなやかなエリナの腰をしっかりと抱きしめている。神城イヴが贈ったあのスポーツカーの上で、二人は熱く唇を重ねていた。
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