寧国の帝国都市にある王女の邸宅の一番高い楼閣の前で、ある女性が跪いていた。 まるで夜の寒さや、無情にも降り注ぐ霧雨にも感じなかったようで、ずっと跪いていた。
この女性はシルクのような黒髪を持って、とても美しかったが、その顔が青白くて、 目が虚ろだった。 産まれたばかりの男児を腕に抱き、 一つ一つの呼吸がまるでこの男児の最後の息のような浅い呼吸と、 顔を覆っている青あざを気に掛けていた。
「帰ってください、ユンシャン王女。 駙馬(ふば:皇帝の婿、王女の夫)はあなたに会わないと言っています」 楼閣の入り口を警護しているリアンシンは、 ユンシャンが幼い頃から信頼している女官だった。
ユンシャンの心が崩れ落ると同時にどす黒い雲に覆われていた空に雷が響き渡り雨が激しく降り始め、彼女とその周り一帯をずぶ濡れにした。 彼女は歯を食いしばり、マントを引き寄せ、 赤ん坊が濡れないように覆いかぶせた。 いつからだったろうか? 信頼する人がみな彼女を裏切り始めたのは、いつからだっただろう? ユンシャンは放心状態で考えていた。
おそらく涙は枯れてしまったのだろう。 彼女の顔には涙のあとも無く、 数えきれないほど身を切る様な思いをしてたが、今、これまでに感じた事も無いほどの苦痛を感じているのに、涙すら出なかった。
ユンシャンはリアンシンの前で三回、叩頭の礼をした。「リアンシン。あなたは長年私に仕えてくれましたが、 私はあなたをずっと大切にしていたでしょう。 だから、お願い。 私を駙馬に会わせてください。私はただ子供の為に医師を呼ぶように頼みたいだけなの。 この子も彼の子でしょう...」 彼女はかすれ声で懇願した。
「王女様、私に訴えられても何も出来ません。 駙馬は、誰も入れるなと命令されております...」 リアンシンは軒下に立ち、目の前で跪いている女性に言った。 王女様ってそんなもんだ。 彼女は冷ややかな笑みを浮かべていた。
ユンシャンは赤ん坊の冷たい手を自分の手で温め、 心の中では苦しみと怒りが頂点に達した。突然、彼女が立ち上がり、 リアンシンに向かって駆け出していった。 リアンシンは突然の事に驚き身構えたが、 勢いよく向かってきた王女の体当たりに耐えれず、 「ああ~」と叫び、倒れこんでしまった。 その間にユンシャンは楼閣のドアを開け、上階に駆け上がって行った。
「ああ、待て、待ちなさい。 上階へ行くことは許されていません!」 リアンシンは体の痛みに顔を顰め、 王女の後姿に向かって叫んだ。 「上に行って、何が出来るっていうの? 駙馬とホアジン王女があなたの子供の為に医師を呼ぶとでも思っているの?」
ユンシャンは階段を駆け上がり、 最後の踊り場に足を踏み入れた瞬間、ホアジンの喘ぐような声を耳にした。「はぁぁ」 「ああぁぁぁ… そこは触らないで… あああぁ… ジンラン…」
ユンシャンは眩暈がし、 手に力が入らず赤ん坊を落としてしまいそうになったが、 木製の手すりに寄りかかり自分を支えた。
やっとの事で落ち着きを取り戻し、最後の段を駆け上がって行き、 歯を食いしばって、肘からドアに体当たりした。
「誰だ?」 男のあえぎ声が石の壁にこだましており、 ユンシャンは、そこに裸で絡み合っている男女の姿を見て、思わず後ずさりした。
「出て行け!」 ユンシャンが戸口に立っているのを見て、モー・ジンランは激怒した。
ユンシャンは何か言おうと口を開いたが言葉にならず、 息を整えて囁くように話し始めた。「フアンエルの具合が悪いんです。 駙馬、お願いですから医師を連れて来てください」
「はぁ?」 ジンランは彼女が言った事を考えていたが、 彼女の懇願に耳を貸さず叱責しようとしていたその時、彼の下で横たわっている女性が彼の胸をふざけて愛撫し始め、 悪意のこもった笑みを浮かべ、話し始めた。 「ジンラン、妹が私たちを見ていたいのなら、見せてあげましょうよ。 椅子に縛り付けて、私たちが楽しんでいる所を見てもらえばいいわ」
ジンランの口元に冷ややかな微笑みが浮かんだ。 彼はベッドを出てロープを手にし、 「フアンエルを机の上に置くんだ。 お前が見終わったら、医師を呼ぶ」とニヤついて言った。
ユンシャンはためらったが、 選択肢がないことを分かっており、無気力に頷いた。 この王女の邸宅では、誰も彼女を助けてくれる人はいなかった。 彼女は赤ん坊を机の上に置き、ベッドの脇にある椅子に座ると、 ジンランが彼女を椅子に縛り上げた。
彼がベッドに戻ると、裸体の女性が彼の腰に足を絡ませ、 つま先は彼の背中を優しく愛撫し始めると、 彼の目が欲望で燃え、彼女の中力強く押入って行くと、 彼女は快楽でうめき声をあげた。
その女性はユンシャンを見て、 魔性の微笑みを浮かべた。「見てよ、私の妹。 お姉さんがどうやって手と足で男に仕えるのかを教えてあげるわ」
ジンランは、さらに激しく突き進め続ける前に、叫びながら大笑いした。
その瞬間、男女の喘ぎ声が部屋中に響き渡り始めた。
ユンシャンは心が少しずつ刻まれていうように感じて呆然としており、 心に付けられていく傷の音が聞こえるかのようだった。
この男は私が選んだ夫なのに私を裏切り、ずっと尊敬していた王女でもある姉さえ、私の心を切り裂くように彼との色事に耽っているのだ。
線香一本が灰になる程の時間が過ぎていた。 ユンシャンはますます青白くなり目の輝きも無くなった机の上にいる 赤ん坊を見て、 不安でたまらなくなり、 涙を流し懇願した。「お願い。駙馬、お姉さん。 私の子供を救ってください。 お願いします、死にそうなんです...」
「うっとうしいな。 なぜそんなに騒ぐんだ?」 ジンランは彼女に向かって叫び、ベッドから飛び降りて、 彼女に歩み寄る途中で立ち止まり、机の上に置かれた赤ん坊を覗き込んだ。「死にそうだと? 死に掛けているのなら、 なぜここに連れて来たんだ?」
そう言い終えると、彼は赤ん坊を抱きかかえ、窓を開け外に投げ出した。
「だめ... いやぁぁぁぁぁ!」 ユンシャンはあまりのショックに椅子に縛り付けられている事も忘れて、 勢いよく立ち上がり窓に駆け寄ろうとしたが、 そのまま椅子ごと床に倒れてしまった。
「赤ちゃん... 私の赤ちゃん... あああぁぁぁぁ!」 床に倒れた衝撃で全身に痛みが走っていたが、彼女はその痛みにも動じず叫んでおり、 彼女の叫びを聞いた人たちはそのあまりに悲痛な叫びから、彼女の深い悲しみを感じられるほどだった。
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