痛みが走ったーー頭の奥で何かが裂けるような、鈍く重たい痛みだった。
脳が引きちぎられるみたいに、思考すらまとまらない。
山崎理奈はまぶたを重く持ち上げ、ぼやけた視界の中で、少し離れた場所に立つ数人の男たちを見た。彼らはスマホをスピーカーにして囲み、何かを話している。 「人質は確保しました。次はどうすれば……」男の声が震えていた。
電話の向こうでは、並木慎が眉を寄せ、流れるようなカルテニア語でその言葉を遮った。「不便だ。もっとわかりにくい言語で話せ」
誘拐犯たちは顔を見合わせ、しばらく考え込んだ末、ぎこちないカルテニア語で言った。「並木様、この女はどうしてあなたの怒りを買ったんです? どう扱えばいいんです?」
「……あいつは俺の好きな人の研究を盗んだ。どうしようと構わない」慎は冷たく言い放った。 「ただし、手加減はするな。羽美の気が済んだら、すぐに1000万円を振り込む。 動画を撮って送ってくれ。学校の掲示板に上げて、全員にあいつの醜い素顔を見せてやる」
そのカルテニア語の一言一言が、理奈の頭の中で自動的に日本語へと変換された。
内容を理解した瞬間、彼女の血の気が一気に引いていく。
――誘拐を仕組んだのは、並木慎だった。
学費を払い、ブランド腕時計まで買ってやり、すべてを捧げた相手。その彼氏こそが黒幕だったのだ。
理奈は無意識に唇を噛みしめ、鉄の味が口の中に広がった。
誰も知らない。彼に近づくために、彼女はずっと前からカルテニア語を独学で覚えていた。
だからこそ、慎と誘拐犯のやり取りがすべて聞き取れてしまった。
電話越しの言葉が、一本一本の釘になって彼女の胸を刺す。
胸の奥で封じ込めてきた記憶が、絶望とともに溢れ返った。
理奈は大財閥の一人娘で、慎はその家で働く家政婦の息子だった。
あの年、慎は母親に付き添われて初めて理奈の家の別荘にやって来た。陽の光の中、白いシャツを着た少年の姿が、彼女の目に焼きついた。
その一瞬で、並木慎という名前は彼女の心に刻まれた。
けれど、その想いはずっと胸の奥に隠してきた。
身分の差が大きすぎたのもあるが、 それ以上にーー彼の視線が、いつも別の少女を追っていたからだ。
その少女、西田羽美。慎と幼い頃から一緒に育った幼なじみだった。
彼は羽美への想いを隠さず、まるで宝物のように彼女を守り続けていた。
18歳のとき、慎は羽美を庇って交通事故に遭い、片足の骨を折った。
だが羽美は罪を逃れるように姿を消した。
慎の両親は仕事に追われ、病院での7か月間、彼を支えたのは理奈だけだった。
冬から夏まで、深夜から夜明けまで、冷たい汗を拭き、 震える体を抱きしめたのも彼女だった。
退院の日、慎はそっと彼女の手を握った。
だがその後、羽美は再び彼のもとに現れ、頻繁に近づくようになった。
理奈の胸に、言葉にできない不安が広がった。
やがて羽美は理奈にささやいた。「慎はね、あなたが完璧すぎて疲れるの。私と一緒にいる方が落ち着くのよ」
その言葉を信じた理奈は、自分の語学の才能を隠し、富豪の娘という身分を隠し、高価な服を脱いで、あえて地味な格好をした。
ーーただ、彼の隣にいられるように。
だが婚約前夜、羽美は涙ながらに「理奈に研究を盗まれた」と訴えた。
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