結婚式の三日前, 婚約者の圭貴から電話がかかってきた. 「悪いけど, 結婚式を一ヶ月延期できないかな? 莉泉がオーディションに落ちて落ち込んでるんだ」 これで三度目だった. 一度目は愛猫の死, 二度目は原因不明の体調不良. そして今回は, ただのオーディション落選. 私の我慢は限界を超えていたが, 彼はさらに追い打ちをかけた. 私に贈るはずだった代々伝わる家宝のヘッドピースを, 勝手に莉泉にプレゼントしていたのだ. 抗議する私に, 彼は冷たく言い放った. 「お前は強いから一人でも大丈夫だろ? 莉泉には俺しかいないんだ」 さらに, 父の会社の命運を握るプロジェクトを盾に, 私を莉泉の引き立て役としてパーティーに参加させ, 皆の前で嘲笑った. 私の心の中で, 何かがプツンと切れた. 震える手でスマートフォンを取り出し, ずっと私を待ち続けてくれていた, あの日野財閥の総帥に電話をかけた. 「日野さん, もし, まだ私との結婚を望んでくださるなら... 今すぐ動いていただけますか? 」
結婚式の三日前, 婚約者の圭貴から電話がかかってきた.
「悪いけど, 結婚式を一ヶ月延期できないかな? 莉泉がオーディションに落ちて落ち込んでるんだ」
これで三度目だった.
一度目は愛猫の死, 二度目は原因不明の体調不良.
そして今回は, ただのオーディション落選.
私の我慢は限界を超えていたが, 彼はさらに追い打ちをかけた.
私に贈るはずだった代々伝わる家宝のヘッドピースを, 勝手に莉泉にプレゼントしていたのだ.
抗議する私に, 彼は冷たく言い放った.
「お前は強いから一人でも大丈夫だろ? 莉泉には俺しかいないんだ」
さらに, 父の会社の命運を握るプロジェクトを盾に, 私を莉泉の引き立て役としてパーティーに参加させ, 皆の前で嘲笑った.
私の心の中で, 何かがプツンと切れた.
震える手でスマートフォンを取り出し, ずっと私を待ち続けてくれていた, あの日野財閥の総帥に電話をかけた.
「日野さん, もし, まだ私との結婚を望んでくださるなら... 今すぐ動いていただけますか? 」
第1章
芳賀瑞子 POV
結婚式の三日前のことだった.
指輪のサイズ調整を終え, 最終打ち合わせに向かおうとしていた私の携帯が鳴った.
圭貴からの電話だった.
「みーちゃん, 悪いけど, 結婚式, 一ヶ月延期できないかな? 」
彼の声は, まるで今日の夕食を何にするかでも話すかのように, 軽かった.
心臓が一度, 大きく脈打った.
それから, 冷たい水が全身にかけられたかのように, 感情が凍てついていくのを感じた.
「どうして? 」
私の声は, 自分が思っていたよりもずっと平静だった.
「莉泉がさ, モデルのオーディションに落ちちゃって, ものすごく落ち込んでるんだよ. 俺がそばにいてやらないと, 精神的に不安定になっちゃうからさ」
彼は, まるで世界で一番重要な使命を負っているかのように言った.
その言葉を聞いて, 私は思わず笑ってしまいそうになった.
三度目, だった.
一度目は, 半年前.
結婚式の準備が本格化した時だった.
彼の口から出たのは, 「莉泉の愛猫が死んだから. 彼女が立ち直るまで, そばにいてあげたい」という言葉だった.
その時, 私は胸に鋭い痛みを覚えた.
人生で一度きりの大切な日を, 友人のペットの死で延期するなんて.
でも, 私は圭貴を愛していたから, 彼の幼馴染を慈しむ気持ちを理解しようと努めた.
二度目は, 三ヶ月前.
新しい会場の予約も済み, 招待状を発送する直前だった.
彼は「莉泉の体調が悪い. 原因不明の体調不良で, 精神的に参ってるらしい. 俺が側にいて, 彼女を支えてやらないと」と言った.
その時も, 私は首を縦に振った.
彼が本当に心配しているのなら, 仕方ない.
そう自分に言い聞かせ, 延期の手続きを進めた.
そして, 今回が三度目だ.
三日後に控えた結婚式を, 「莉泉のオーディション落ち」という理由で一ヶ月延期.
私の忍耐は, 限界をとうに超えていた.
もう, これ以上, 彼の身勝手な振る舞いに付き合うことはできない.
私の中で何かがプツンと切れる音がした.
「分かったわ」
そう答える私に, 圭貴は安堵したような声を上げた.
「さすがみーちゃん! 分かってくれると思ってたよ! 莉泉には俺しかいないんだ. お前は強いから, 一人でも大丈夫だろ? 」
私は何も言わなかった.
ただ, 彼の言葉が, 私の中で彼に対する最後の愛情を削り取っていく音を聞いていた.
通話を終えた後, 私は震える手で, もう一つの連絡先を呼び出した.
日野聡之.
数ヶ月前から, 私に継続的にアプローチしてくれていた, 日野財閥の若き総帥だ.
電話はすぐに繋がった.
彼の低く落ち着いた声が鼓膜に響く.
「芳賀さん, 何か緊急のご用件でしょうか? 」
「日野さん, もし, まだ私との結婚を望んでくださるなら, 今すぐ動いていただけますか? 」
私の言葉に, 電話の向こうで一瞬の沈黙が走った.
彼が驚いているのが, 声のわずかな揺らぎから伝わってきた.
「芳賀さん, それは... 今, 赤井さんとのご結婚を控えていらっしゃるはずでは? 」
「ええ, そうでした」
私はそこで一度言葉を切り, 深い息を吐いた.
「でも, もう, その予定はありません」
私の声は, ひどく冷たかった.
自分自身でも驚くほど, 感情が剥がれ落ちていた.
もう, 彼のことはどうでもよかった.
過去の, 愚かな自分と決別する時が来たのだ.
日野さんは, 私の言葉を遮ることなく, 静かに耳を傾けていた.
そして, 私の決意を汲み取ったかのように, 力強い声で答えた.
「承知いたしました. 芳賀さんのご決断, 最大限尊重させていただきます. 詳細をお聞かせください」
彼は, 私が望むこと全てを, 一瞬にして現実のものにしてくれるだろう.
その確信が, 私の中に穏やかな安堵をもたらした.
もう, 傷つけられることはない.
私は, 自分を本当に大切にしてくれる人の元へ行くのだ.
日野さんは, どんな時も冷静で, 私の仕事を高く評価してくれていた.
彼と話すたびに, 私は自分自身が尊重されていると感じられた.
圭貴とは, 正反対の存在だ.
圭貴は, 私の愛を当然のものとして, 踏みにじり続けた.
莉泉という幼馴染の存在を盾に, 私を蔑ろにしてきた.
「芳賀さん, 準備は全て私にお任せください. あなたには, ただ幸せになっていただくだけで十分です」
彼の言葉は, まるで魔法のように, 私の心を温めてくれた.
私は小さく頷いた.
目の前に広がる新しい未来に, 希望の光が差し込むのを感じた.
「はい, 日野さん. よろしくお願いします」
通話を終え, 私は圭貴の家へと向かった.
彼の家には, まだ私の荷物が残っていた.
私は, 過去の自分との決別のために, それらを回収する必要があった.
圭貴の家の玄関のドアを開けると, リビングから明るい声が聞こえてきた.
莉泉の声だ.
私は一瞬, 足が止まった.
こんな時間から, もう圭貴の家にいるのか.
私の結婚式を延期させた張本人が, よりによって今, この家で楽しんでいる.
胃の奥からこみ上げてくる吐き気に, 私は唇を噛み締めた.
「あら, 瑞子さん? どうしたの, こんな時間に? 」
リビングから顔を出したのは, やはり莉泉だった.
彼女は, 圭貴の特注だというピンク色のフワフワしたローブをまとい, 圭貴の腕にぴったりと寄り添っていた.
その姿に, 私は心底うんざりした.
「私物を取りに来ただけよ」
私は感情のこもらない声で答えた.
莉泉は, 一瞬ぎょっとした顔をした後, すぐにいつもの儚げな笑顔に戻った.
「そうだったのね. 圭貴, 瑞子さんがお荷物を取りに来たんですって」
圭貴は, リビングのソファに座ったまま, こちらを一瞥した.
「ああ, みーちゃんか. 今から出かけるとこだったのに. もっと早く言ってくれれば, 俺が送ってやったのに」
彼は心底面倒くさそうな声で言った.
私は彼の言葉に何も返さず, 自分の部屋へと向かった.
スーツケースに荷物を詰めながら, 圭貴と莉泉の笑い声が耳に届く.
彼らは, 私がどんな気持ちでここにいるのか, まるで分かっていないようだった.
「みーちゃん, そんなに急いでどこ行くんだ? 」
圭貴が部屋の入り口に立って言った.
私は彼に背を向けたまま, 最後の私物をバッグに詰め込んだ.
「しばらく実家に帰るの」
私の言葉に, 圭貴は「なんだ, そんなことか」とでも言うように鼻を鳴らした.
「実家? また親と喧嘩でもしたのか? お前も頑固だからな」
彼は私の状況を何も理解しようとしない.
莉泉を優先するため, 私の結婚式を三度も延期しておきながら, その理由を親との喧嘩だと決めつける.
私の心は, 完全に冷え切っていた.
「ええ, そうよ. だからしばらく, ここには戻らないわ」
私がそう言うと, 圭貴は少し眉をひそめた.
「なんだよ, 新居の準備とか, お前がやることいっぱいあるだろ? 俺は莉泉のことで忙しいんだから, お前がしっかりしてくれよ」
彼の言葉に, 私は顔色一つ変えなかった.
もう, 何の感情も湧き上がらなかった.
「ええ, 分かっているわ. だから, しばらくの間, 私抜きでお願いするわね」
私はスーツケースのチャックを閉め, 彼の方を向いた.
圭貴は, 私の顔を見て, ようやく何か違和感を覚えたようだった.
「おい, みーちゃん. 本当にどうしたんだ? そんなに怒るなよ. 莉泉が落ち着いたら, すぐに結婚式はできるんだから」
「そうね. きっとできるわ」
私は意味深に微笑んだ.
圭貴は私の表情に, 少しだけ不安そうな色を浮かべたが, すぐに莉泉が彼の腕を引っ張った.
「圭貴, もう行かないと! ランチの予約に遅れちゃう」
莉泉の声に, 圭貴はすぐに私から視線を外し, 莉泉の方を向いた.
「ああ, そうだったな! じゃあな, みーちゃん. 気を付けて実家に帰れよ」
彼はそう言い残し, 莉泉と共にリビングへと戻っていった.
私は, その背中を冷たい目で見送った.
もう, 二度と会うことはないだろう.
この家に戻ることも, 二度とない.
私は重いスーツケースを引きずりながら, 圭貴の家を出た.
玄関のドアを閉める音は, 私にとって, 過去との決別の合図だった.
外に出ると, 圭貴の車がちょうど出発するところだった.
助手席には, 圭貴にぴったりと寄り添う莉泉がいた.
彼女は, 窓越しに私を見て, にこりと微笑んだ.
その笑顔は, 私には嘲笑にしか見えなかった.
その夜, 私は日野さんから送られてきたニュース記事を読んだ.
そこには, 圭貴と莉泉が私と選んだ新居で, まるで夫婦のようにソファに座り, 楽しそうに笑っている写真が掲載されていた.
記事のタイトルは, 「ホテル王御曹司, 病弱モデルに夢中! 超豪華新居で同棲スタートか! ? 」
莉泉の指には, 圭貴が私に贈るはずだった, 赤井家に代々伝わる婚約指輪が輝いていた.
それを目にした瞬間, 私の唇に冷たい笑みが浮かんだ.
これでいい.
これで, 全てが終わりなのだ.
私の人生は, もう彼らとは無関係の場所へと向かっている.
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