欲望が刃だとするならば、最初の出会いは彼に声なき血を流させた。 危険と快楽の上に人生を築き、無謀さという鎧を纏ってきた男は、ある女によって己の警戒が解かれることなど想像すらしていなかった。 だが、真実が嘘に覆い隠されていると気づいたときには、すでに後戻りできない深みへと陥っていた。男は駆け引きという遊戯に絡め取られ、その仕掛け人である女に完全に魅了されていたのだ。
真夜中、高橋美月はベッドに横たわっていた。
荒い息を吐き、頬を赤く染めている。
藤原悠真は外の接待でかなり飲んできたようで、すっかり上機嫌で一晩に5回も求めてきて、彼女は少し辟易していた。
4回目で、コンドームを全て使い果たした。
最後の1回、悠真は目を血走らせて彼女をきつく押さえつけ、生身のままで狂ったように貪ってきた。
縛りのない快楽は確かに気持ちいいが、その代償は彼女一人で背負わなければならない。
28歳の悠真は男盛りで、仕事も絶好調なせいか性欲もかなり強い。
結婚して3年、悠真はずっと避妊していた。
彼女自身も元々は子供を作る気はなかったが、この半年はどうしても子供が欲しかった。
自分と悠真の血を受け継いだ子供が。
悠真は誰もが振り返るほどのイケメンなだけでなく、ベッドでのテクニックも抜群で、たまに甘い愛の言葉を囁くこともあった。
1年前、彼女は悠真への感情が変わっていることに気づいた。冷めた反発心から、好意へと。
もっと正確に言えば、愛だ。
だが悠真はベッドの上でしか彼女に情熱を見せず、それ以外は相変わらず冷たかった。
「ちゃんと薬を買っておけよ」
男のよそよそしく冷ややかな声が彼女の思考を遮った。「妊娠されたら面倒だからな」
彼女は冷めきった心で「うん」とだけ返した。
ここ数日は排卵期だし、悠真も酒を飲んでいたから、万が一妊娠しても産むわけにはいかない。
それでも、悠真の言葉は彼女の胸を深くえぐった。
悠真はバスローブを羽織って洗面所へ向かった。
その背が高くスラリとした後ろ姿が完全に見えなくなるまで、彼女は目を逸らせなかった。
耳障りな着信音が鳴り響いた。
美月が悠真のスマホを手に取ると、画面には「桃花」の文字が点滅していた。
中村桃花。
悠真の秘書。
一挙手一投足がしなやかで女性らしい女で、青葉市訛りの甘ったるい喋り方は、男はおろか女が聞いても心地よく感じるほどだ。
噂によれば、桃花は6年前に東都の高給の仕事を辞めて藤原グループに入社したらしい。すべては悠真のそばにいるためだとか。 表向きは上司と部下だが、実は愛人関係にある。
突然、骨ばった腕が伸びてきてスマホを奪い取り、通話ボタンを押すと優しく呼びかけた。『桃花』
その語尾には、甘やかしと喜びに満ちていた。
美月の心はまたズタズタに引き裂かれた。
悠真が彼女と電話する時はいつも要件のみで、感情の一切こもらない冷たい声だ。こんなに優しくされたことなど一度もない。
『悠真、誰かに絡まれてるの、早く助けて――ミッドナイトクラブにいるの――』
悠真は美月を避けることなく電話に出たため、桃花の助けを求める声は彼女の耳にもはっきりと聞こえた。
『すぐに行く。 近くに友達が住んでるから、先に向かわせる。まずは鍵をかけて立てこもれ。 悠真はひどく険しい顔をして、足早にクローゼットへ向かった。警察には通報したか……』
美月は怒りで体を震わせ、靴も履かずに後を追った。
先月、彼女はテレビ局の同僚と北郊外へロケに行った際、対向車線を逆走してきたダンプカーを避けようとして、乗っていた車が道端の溝に横転した。
幸い命に別状はなかったものの、全員がケガを負った。
彼女は右脚を負傷して血を流しながら、パニックの中で悠真に電話をかけた。
悠真はちょうど会食中で、声を上げて泣きじゃくる彼女に対し、「電話できるなら死にはしないだろ」と言い放って電話を切ったのだ。
なのに今、桃花がトラブルに巻き込まれたと知るやいなや、悠真は酔っているにもかかわらず二つ返事で駆けつけようとしている。これが本物の愛じゃなくて何だというのか。
悠真は服を着替え、クローゼットから出てくる時もまだ優しい声で慰めていた。桃花が何を言っているのかは美月には聞き取れず、ただかすかに途切れ途切れの泣き声が聞こえるだけだった。
美月は先回りしてリビングの玄関ドアの前に立ち塞がり、唇を強く噛み締めた。「お酒を飲んだんだから、運転なんてダメよ」
悠真は瞳の奥に名状しがたい光を浮かべ、手を伸ばして彼女の顎を持ち上げた。「嫉妬か、それとも俺の心配か?」
彼女はまなざしを少し和らげ、きっぱりと言った。「心配してるの」
「そういう白々しい真似は結構だ」 悠真はふいに腕を下ろし、血も涙もないほど冷え切った声を出した。
彼女が反応する間もなく、悠真に乱暴に引っ張られて体勢を崩し、そのまま床に尻もちをついた。
ドアの鍵が閉まる音がして、悠真は去っていった。
だだっ広い部屋に彼女だけが取り残された。この3年間の結婚生活のように、ひどく空虚だった。
言葉にできないほどの切なさと惨めさが胸いっぱいに広がり、全身に絡みついて離れない。
彼女の顔からは完全に血の気が引き、目元だけが赤く染まっていた。溢れ出しそうな涙をこらえるのに必死だった。
同じ姿勢のまま床に長時間座り込んでいたため、立ち上がった時には両足がしびれていた。
美月は寝室に戻る気になれず、目を閉じてソファに丸くなり、ぼんやりと思考を巡らせた。
再び耳障りな着信音が鳴り、彼女は現実に引き戻された。
悠真からだと思い、猛ダッシュでリビングから寝室へ駆け込み、スマホを手に取って通話ボタンを押した。
『美月、あんたのクズ旦那が中村桃花のためにミッドナイトクラブで暴れたわよ!ビール瓶で相手の頭をカチ割って、血みどろの大惨事だって!』
親友の三浦莉子だった。
まるで新大陸でも発見したかのように、ひどく興奮している。
美月は息が詰まるのを感じながらも、無理して平然を装い「ふーん」とだけ返した。
悠真が桃花をどれほど大切にしているかを考えれば、暴行はおろか人殺しをしたって彼女は驚かない。
ミッドナイトクラブは、白川市で最も高級な会員制ラウンジだ。
悠真が遊び仲間たちとよく入り浸っている場所でもある。
『酔っ払いが中村誠司をトイレに追い詰めて、あちこち触りまくったらしいの――』
莉子はさらに噂話を続けた。『最初に駆けつけた目撃者の話じゃ、中村桃花の胸元はキスマークだらけで、下着も下ろされてたって!中村桃花が機転を利かせて、女子トイレに立てこもったから良かったものの……』
その後何を言っていたのか、美月の耳には一言も入ってこなかった。
莉子からの電話ですっかり目が冴えてしまい、スマホを握りしめる手は恐ろしいほど青白くなっていた。
腹が立たないわけがない。
さっき莉子の前で平静を装ったのは、ほんのわずかに残ったプライドを守るためでしかない。
ドロドロした感情から目を背けるように、スマホを開いた。
だが予想外なことに、悠真がミッドナイトクラブで暴行事件を起こしたというニュースは、すでにネット上で拡散されていた。
プレイボーイが愛する女のためにブチギレただの、藤原グループ副社長と美人秘書の秘密の恋だの……。
悠真を、愛のために火の中水の中へ飛び込む情熱的なイケメン御曹司のように書き立てている。
美月は読めば読むほど腹が立ち、いっそスマホを投げ捨てて電気スタンドを消した。
暗闇に包まれると、かえって頭は冴え渡った。
籍を入れて3年になるが、悠真は2人の関係を世間に公表しないどころか、ラウンジの女たちと浮き名を流し、桃花に至っては悠真の寵愛を笠に着て、遠慮なく彼女を挑発してくる始末だ。
この瞬間、彼女は中身から腐りきったこの結婚について考え始めた。
外からドアを開ける音が聞こえた時、スマホを見ると午前5時半だった。
悠真は寝室には戻らず、まっすぐ隣の書斎へ向かった。
美月はベッドから降りた。
ドアをノックする前に深呼吸をする。
悠真からの返事は一向にない。
もう何度かノックしてから、彼女はドアノブを回した。
悠真は彼女の突然の侵入にひどく不満そうで、あからさまに顔をしかめた。「誰が入っていいと言った?」
彼女は両手を強く握り締め、悠真の冷酷な目と真っ向から視線を合わせた。「離婚しましょう」
離婚予定の妻に完全飼育される暴君
Monica Moboreader
都市
チャプター 1 離婚しましょう
18/05/2026
チャプター 2 尊重なんてあってないようなもの
18/05/2026
チャプター 3 再検査
18/05/2026
チャプター 4 知る権利
18/05/2026
チャプター 5 真珠
18/05/2026
チャプター 6 名分があっても損だ
18/05/2026
チャプター 7 私には彼氏がいる
18/05/2026
チャプター 8 ボーナス
18/05/2026
チャプター 9 誕生日のショック
18/05/2026
チャプター 10 早く離婚してしまおう
18/05/2026
チャプター 11 なんて滑稽なんだろう
18/05/2026
チャプター 12 正真正銘のペテン師
18/05/2026
チャプター 13 愛があるから恨みもある
18/05/2026
チャプター 14 運命を天に任せる
18/05/2026
チャプター 15 真っ赤な嘘
18/05/2026
チャプター 16 努力して、早く妊娠しろ
18/05/2026
チャプター 17 不貞にして不潔
18/05/2026
チャプター 18 また自分の立場を忘れたようだな
18/05/2026
チャプター 19 子供を産んでから条件を言え
18/05/2026
チャプター 20 安胎薬
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チャプター 21 示谈 (パート1)
今日11:00
チャプター 22 示谈 (パート2)
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チャプター 23 示谈 (パート3)
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チャプター 24 泥棒猫には天罰が下る (パート1)
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チャプター 25 泥棒猫には天罰が下る (パート2)
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チャプター 26 泥棒猫には天罰が下る (パート3)
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チャプター 27 謝るべきなのは彼女の方だ (パート1)
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チャプター 28 謝るべきなのは彼女の方だ (パート2)
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チャプター 29 お前にはもったいない (パート1)
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チャプター 30 お前にはもったいない (パート2)
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チャプター 31 お前にはもったいない (パート3)
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チャプター 32 行くべきか、行かざるべきか? (パート1)
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チャプター 33 行くべきか、行かざるべきか? (パート2)
今日11:00
チャプター 34 行くべきか、行かざるべきか? (パート3)
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チャプター 35 オーディション (パート1)
今日11:00
チャプター 36 オーディション (パート2)
今日11:00
チャプター 37 オーディション (パート3)
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チャプター 38 無駄足 (パート1)
今日11:00
チャプター 39 無駄足 (パート2)
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チャプター 40 純真と色気 (パート1)
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