CEOの彼の罠に落ちた
作者繁昌 空
ジャンル御曹司
CEOの彼の罠に落ちた
ハリーとローラがテーブルにつくと、 ミズ・デュはテーブルを離れ、また家事をし始めた。 「ミズ・デュ、 一緒に夕食を食べませんか?」 ミズ・デュにそう声をかけたローラはハリーの顔色をうかがった。が、ハリーはそんなローラを気にするでもなく、淡々とスペアリブを食べていた。
「結構でございます。 どうぞ、若旦那様とお食事をお楽しみくださいませ。 クレンザーを買うのを忘れておりました。 これから買いに行かせていただきます。」 ミズ・ デュは既に手を洗い、靴を履き、今にも出かけようとしていたところだった。
「あら、そういうことなら…。外は暗いわ。 気をつけて行ってらして。」 ミズ・デュの絶妙なタイミングの外出に、何かルールがあるではないかとローラは察知し、無理に彼女を誘わないほうがいいと思った。
ローラはそのまま ミズ・デュを見送くると、やっと席について箸を手にとった。 その時、並んだ皿を見てはじめて自分がとても空腹だということを自覚した。 ここ最近大きな竜巻に巻き込まれたような日々が続いていた。 今、心許せる人との安らぎの時間までとはいかなくとも、やっと、まともに食事を楽しむ時間がえられたわ。 ローラはきれいな所作で夕食を食べているハリーの横顔をみつめながら、おそらく何日かすれば、少しずつでも仲良くなれるかもしれないと考えていた。
ハリーが夕食を食べ終わっても、ローラのボウルには雑穀の粥が3分の1ほど残っていた。 ローラは慌てて粥を飲むように食べ終えてナプキンで口を拭うと、テーブルの上の食器を片付け始めた。
「家でもそうやって家事をしていたのか?」 危なっかしい手付きで食器を片付けていたローラを見て、ハリーはそう言った。
「…いいえ。家事なんてしたことないわ。」 ハリーにそう答えると、ローラの瞳から涙がこぼれそうだ。 ハリーの家には及ばずとも、ローラの家も裕福な家庭だった。もちろん家政婦もいた。 ローラは食べ終わった食器を片付ける必要もなかったし、食器を自分で片付けるという考えすらなかった。 しかし、もうローラは家を、贅沢な暮らしを失っていた。 庶民以下の境遇である。ならば家事をしないなど、優雅な振る舞いが許される身分ではないことくらいローラでもわかっていた。
「なぁ、ローラ。ここはお前の自宅だ。 お前は俺の妻であって、客人でもない。 そんなに気を使わなくていいんだ!」 ハリーはローラが手にしていた食器をテーブルの上に戻すと、ローラの手を取りダイニングを出て、2階へと連れていった。
ハリーの手は大きくて温かかった。ローラはそのハリーの手を寂しいような、悲しような、複雑な気持ちで見つめつつ、手を引かれるままに歩いていた。 私だって肩の力を抜きたいのよ。もう疲れたわよ。 しかし、本当にそんなことができるの?
階段をのぼりきって2階の廊下を歩きだしでも、ハリーはローラの手を離さなかった。 そしてハリーはローラを自分の書斎に招き入れた。
ハリーはそこでやっとローラの手を離し机に向かうと、引き出しから2枚のカードを取り出し、またローラの手をとった。
ローラの手には2枚のカードが…。
「すまない。今、帰国したばかりで現金の持ち合わせがないんだ。 そのカードでなんとかやってもらえないか?現金を引き出してもいいし、買い物をしても構わない。とりあえず、好きに使ってもらって構わない。」
2枚のクレジットカード。
ローラは、すぐにそのうちの1枚が、ほんの一握りのVIPな顧客しか持つことが許されないブラックカードであることに気づいた。 そのブラックカードは世界中でたった88枚しか発行されていない。そして、利用限度額も設定されておらず、世界中の高級ブランド店や百貨店、国際空港のVIPラウンジ内でも特別なサービスが受けられる、とんでもないセレブリティなクレジットカードだった。
ローラがこのブラックカードを初めて見たのは、昨年、マイクと一緒にワインの試飲会に参加したときだった。ある大手企業の社長がこのブラックカードを手にしていた。 ローラが住んでいるD市でこのブラックカードを持っているのは、その大手企業の社長だけだと言われていた。
何も特別なことはしていない風の淡々とした表情のハリーとは対象に、ハリーの顔を見つめるローラの顔は困惑でいっぱいだった。 所詮他人のワタシに、なぜあなたはこんなに良くしてくれるの? お互いに「初めて」を一緒に過ごしたからこういうことになったのだろうか?
「ハリー…ワタシ、あなたを愛してはいないの」 ローラの本心だった。 ハリーを騙したくなかったローラは自分の正直な気持ちを打ち明けたのだった。 ローラが愛していたのはマイク・チーだけだった。 今は、マイクに憎しみしかない…。
「早く寝たほうがいい。 明日、婚姻届を出しに行くから」 ハリーはそれだけ伝えると、ローラの背にそっと手を添えて自分の部屋へ戻るよううながした。
ハリーは怒っていただろうか? 2枚のクレジットカードを手に廊下へと出たローラ。目の前には閉じられたドア。
ローラはカードを握りしめつつ自分の部屋へと戻った。とぼとぼと。
今日、突然現れたハリー。ローラは自分の身の周りで、今、一体全体何が起こっているのか、理解しているような、理解していないような混沌の中にいた。
そして、やっと静かな部屋に1人になった、今、絡まった毛糸をほどいて1玉にまとめるように、頭の中で1つ1つを整理していた。
祖母が亡くなった。
父は会社を失った。
そして一晩にして黒髪が白髪になり姿を消した。 そうしてローラがすべてを失ったのは、ヤコブ・チー、マイク・チー父子の仕業だった。 そう。マイク・チーとは、ローラが最も愛していたマイクであり、ヤコブ・チーはその父親だった。
そして最も深いローラの心の傷は、父が会社を失ったことでも、父が失踪したことではなく、人の心のあくどさは計り知れないことを思い知ったことだった。
ローラはベランダのソファーにポツンと座り、涙を流しながらD市の夜景を眺めていた。
ローラは強くなりたかった。 しかし、起こしたことが突然すぎて、 どうすれば強くなれるのだろうかと漠然と思うだけだった。
そんなとき、ハリーがローラに戸籍について尋ねるためにローラの部屋にやってきた。 しかし、ドアの前まできた時、部屋から何か音が聞こえてきた。
ハリーは耳をすませた。
ローラのすすり泣く声だった。 ゆっくり、できるだけ音をたてずにハリーはドアを開けると、ベランダから街を眺めるローラの後ろ姿が目に映った。 その後ろ姿に、ハリーは自分は大きな間違いをしていたことに気づいた。
ローラは何事にも耐えられるタフな女性ではないということに。
これっぽっちも強い女性ではないということに。
ローラは突然後ろから抱きつかれた。驚きのあまり流していた涙が止まった。 だけれど、それがハリーだとわかると、ローラはそれまでより大粒の涙を流して泣きはじめた。
「…どうして…ここに? こんな姿…見られたくないのに…。 恥ずかしい...。」
ローラは プライドという鎧で自分自身を守っていたのだ。 ハリーは何も言わずローラを抱きしめた。ローラはハリーの胸で泣き続けた。
ローラの涙でハリーの服が濡れるほどに。 30分ほど経っただろうか。
ローラが少し落ちついてきたところで、ハリーはその大きく温かい手で、流れた涙で冷たくなったローラの頬に触れた。 「今回だけだ。 もう涙なんて流さないでくれ…。」
「なぜあなたにそんなこと言われなきゃならないの?」 ローラはまた泣き始めた。 彼も私をいじめているのか?
「そんなに長い間泣いても、 何も問題は解決しないよ…」 なぜか泣いているローラではなく、ハリーの胸の方が苦しくなっていた。
ハリーの言葉にハッと思ったローラは泣きやんだ。 そうだ。
ローラは感傷的に泣くことが好きではなかった。 今はただただ悲しいと感じていたことは事実だったが…。
「…ねぇ、ワインある?」 ローラは鼻をかむと、真っ赤に泣きはらした目でハリーに尋ねた。
もちろん、ハリーはそんなローラを拒否することはできなかった。「飲みたいのか?」
「えぇ。」 ワタシ、決めたの。 ワインでここ最近に起こったごちゃごちゃを流してやろうって!」
ローラはよくマイク・チーかサラ・フーとよくワインを飲んでいた。 が、過去を捨てて、より良い人生を送ろうと決めた今、ローラは自分のために戦わなければならなかった。たとえ目の前のこのハリーの力を借りるとしても、自分のために赌けてみるんだ。
ローラはバスタブでスッキリするために顔を洗い、長い髪をお団子ヘアにまとめた。
少しの躊躇とともに、ハリーはワインラックからローラの気分に合うワイン探し、フルボトルのワイン1本とグラス2つを手にした。
「ワインじゃなくて、 白酒が飲みたいわ。」 アルコール度数が強いお酒でここ最近のごちゃごちゃを流してしまおうとローラは考えた。
が、ハリーはローラのオーダーを無視して、ポンと気持ち良い音をたててコルクを抜くと、トクトクと心地よい音をたててグラスにワインを注いだ。 ローラはもちろん不満そうに唇を尖らせ、そして一気にグラスを空けた。 空になったワイングラスを見ながらローラは何かを思い出していた。
そうだ。
ローラはマイク・チーから渡されたグラスの赤ワインを飲んで、目の前にいるこのハリーとあんなことしたんだということを。 まさか、あの時のワインに何か入っていたのだろうか。 ローラは何かわかったような、スッキリしたような、屈託のない子どものように声をだして笑った。
ハリーはこれ以上ローラにワインを飲ませないよう、ワインボトルをローラから離れた自分のそばにおいた。 退院したばかりのローラにアルコールは本来まだ早い。 なぜ俺は彼女が飲む前に気づかなかったのだろうか?
ローラはイラっとして、ハリーのそばにあるワインボトルに手をのばし、グラスになみなみとワインを注ぐとまた一気に飲み干した。 ハリーの不機嫌な顔に気づかず、彼におかまいなしにゲップもした。
それからまた、ローラはグラスにワインを注ごうとした。その手首をハリーが掴んだ。 「な、なに...するのよ? あなたのワインを少し飲んだだけでしょ? ケチッ!」 ローラはハリーに白目をむいた。
ハリーは立ち上がり、ローラをバスルームへ連れて行った。
ハリーはシャワーの蛇口をひねると、シャワーのホースが届くところまでローラを引きずった。 ハリーは肌を刺すような冷たい水でローラを冷やした。
シャワーをかけていけばいくほど、ローラの服は濡れて身体に張り付き、美しい体型を浮かび上がらせていった。 「ちょっと!!何をするのよ!! まだ服を脱いでいないのよ!」 ローラは事態に驚き、冷水を浴びて歯をがガチガチとさせながらも、怒っていると思われたハリーの顔を見た。 まさか、怒っているの?顔色が怖い…。
ローラがまだ悲しみに浸っていることを考えて、今夜は何もしないと決めたハリーだった。 が、彼女は何度も自分の我慢の限界を試しに来た以上、お仕置きをしてやらないとダメだ。