斉藤景吾を救うために光を失った古川詩鈴。しかし、結婚前夜に非情な裏切りに遭う。斉藤は彼女が目が見えないことを利用し、借金の形として、北瑛市でも悪名高い「松岡家の放蕩息子」のもとへ彼女を差し出したのだ。 尽くした愛は徒労に終わった。詩鈴は開き直り、そのまま松岡家に嫁ぐことを決意する。 松岡家の御曹司といえば、何も成し遂げられないクズと噂される男。街中の人々が、盲目の少女と落ちこぼれの御曹司の行く末を嘲笑おうと待ち構えていた。 だが、誰も予想していなかった。「可哀想な少女」の正体が――千年に一人の調香の天才、世界トップクラスのハッカー、伝説のカーレーサー、そして平和維持秘密組織の首領だったとは……! その事実に街中が騒然とする中、元婚約者はさらに打ちのめされる。泥酔した彼はメディアの前で涙ながらに懺悔した。「俺の人生最大の後悔は、古川詩鈴を手放してしまったことだ!松岡の野郎にくれてやるんじゃなかった!」
「紗雪、詩鈴みたいな無愛想な子より、君はずっと優しい」
斉藤景吾は鼻であしらうように笑った。「あの間抜けは今頃、俺のためにあのヴィンテージワインを探して、まだ馬鹿正直に酒屋を駆けずり回ってるはずだ」
彼は女の耳元で続ける。「だが、その酒ならとっくに俺が手に入れた。さっきお前と交わした固めの杯が、まさにそれだよ」
「もう、景吾さんったら、本当に意地悪ね」
……
男女の笑い声は、無数の鋭い棘となって古川詩鈴の心臓を無慈悲に突き刺した。
彼女は、自分と斉藤景吾の新婚部屋になるはずのドアの前に、静かに立っていた。指先が、少し開いたドアの隙間に触れていた。
だが、彼女はドアを押し開けもせず、叫び声を上げて中に飛び込み、その醜悪な現実を暴くこともしなかった。
中に入ったところで何になろう?彼女には何も見えない。中のありさまが彼女の目に映ることはない。ただ、傷つくのは心だけ。
そう――彼女は盲目であり、そして今この瞬間、紛れもない「愚か者」だったのだから。
一年前、彼女は『幽魂香』の調合レシピを求めて山を下りた際、何者かに追われていた調香の名門、斉藤家の後継者・景吾を命がけで救い、その代償として両目の光を失った。
景吾は彼女の前に跪き、こう誓ったのだ。「一生をかけて君に償う。君の手足となり、片時も離れず守り抜く」と。
当時19歳で恋を知らなかった詩鈴は、その言葉を信じ、景吾に心を奪われた。
あの事故の瞬間が、彼女が景吾の顔を見た最初で最後の記憶となった。
苦労して大金をはたき、ようやく手に入れた赤ワインのボトルを握りしめ、詩鈴はゆっくりと背を向けた。白杖を突き、その場を去ろうとする。
しかし、聞き慣れたあの声が再び鼓膜を揺らした。「紗雪、俺が本当に結婚したいのはお前だけだ。明日、あんな盲目の女と式なんて挙げたくない」
景吾の冷酷な声が続く。「以前はあの犬並みの嗅覚が俺の香水事業に役立つと思って、親父の言いつけ通りあの役立たずを置いてやったが……そうでなければ、とっくに追い出している。それに、あいつはお前の家から田舎の孤児院に捨てられた隠し子だろう? 生まれつき不吉な女だ。古川家の正統な令嬢である君とは比べものにならない。この俺に釣り合うはずがないんだ」
彼はさらに残酷な事実を口にした。「そうだ。松岡家の悪ガキとの賭けに負けてな。借金のカタに、あいつをあちらに預けてきたよ」
詩鈴の清純な顔から、血の気が引いていく。
虚ろな瞳は巨大な闇の網に覆われ、一筋の希望の光さえ差し込まない。
(……ふっ)心の中で、乾いた笑いが漏れた。
(見る目がなかったのは、この両目だけじゃなかったってことね、詩鈴)
これが、心から愛し、嫁ぎたいと願った男の正体か。獣と何の違いがあるというのか。
白杖を頼りに、手探りで階段を降りる。
この屋敷に住んで一年。一階から二階までの階段の数も、家具の配置も、すべて記憶している。
景吾は彼女が怪我をしないよう、屋敷中の鋭利な角をすべてクッション材で覆ってくれていた。その細やかな気遣いと優しさが、彼女を深い愛の沼へと沈めていったのだ。
一歩一歩、ゆっくりと進んでいた足が何かに引っかかり、詩鈴は体勢を崩した。
とっさに白杖で体を支え、転倒だけは免れる。
彼女は腰をかがめ、手探りであたりを探りながら、足に引っかかったものを拾い上げた。
指先に触れたのは、面積の極端に少ない布切れ。レース素材に、真珠があしらわれている。
詩鈴は瞬時に理解した。これはいわゆる「特別用の下着」だ。
脳裏に再び、今の瞬間もベッドの上で寄り添う男女の姿が浮かび上がる。
胃の底から強烈な吐き気がこみ上げてきた。
彼女はあの汚らわしいゴミを投げ捨てると、足早に階段を降りた。
リビングに戻ると、詩鈴はワインオープナーとグラスを探り当てた。
デキャンタージュなどする気にもなれず、そのままグラスに注ぐ。
(見る目のなかった自分に、乾杯)
喉を流れるワインは、普段の芳醇さとは裏腹に、焼けるように苦く感じられた。
それから間もなく、玄関から足音が聞こえてきた。
使用人たちが恭しく出迎える声で、詩鈴は来客が誰かを悟った。
景吾の母親、未来の姑である斉藤芙由理だ。
わざわざ足を運んだのは、特注のウェディングドレスを届けに来たからだろう。
高級なサテンのドレスをまとった芙由理は、二人の取り巻きを連れてリビングに入ってきた。
そこで彼女が目にしたのは、明日の儀式で使うはずのワインを一人で飲んでいる詩鈴の姿だった。「ちょっと! そのワインは景吾が苦労して手に入れた最高級品よ! それを勝手に開けるなんて……明日の夜、あなたたちは何を飲むつもり? 全く、盲目の嫁をもらうと気苦労が絶えないわね!」
詩鈴は気のない様子でグラスを揺らすと、薄く唇の端を吊り上げた。「どうせ私が飲むものです。今飲もうが後で飲もうが、大した違いはありませんわ。お義母様がそんなに青筋を立てて怒るのは、もしかしてこのワインが飲みたかったから? まだ残っていますけれど、一杯いかが?」
言いながら、詩鈴は半分ほど残ったボトルを無造作に突き出した。漆黒の長い髪が肩にかかり、光のない瞳は虚ろだが、その顔立ちは冷ややかなほどに美しかった。
芙由理は怒りで言葉を詰まらせた。「あなた、ね……」
普段は従順で大人しい人形のような娘が、今日はどうしてこうも口が回るのか。
明日は結婚式だ。やるべきことは山積みで、この土壇場で波風を立てたくない。芙由理は苛立ちを飲み込み、後ろに控えていたデザイナーに合図を送った。「これはあなたのためにあつらえたウェディングドレスよ。普段よりワンサイズ小さく作らせたわ。着られなくなったら困るから、今夜から明日は何も食べないことね。当日は大勢のメディアが生中継に入るのよ。斉藤家の顔に泥を塗るような真似だけはしないでちょうだい」
チャプター 1 盲目の花嫁、バカみたいな真実
04/12/2027
チャプター 2 借金のカタに、あの「お調子者の御曹司」へ
12/12/2025
チャプター 3 間違いのまま婚姻届を提出
13/12/2025
チャプター 4 これで面白いことになりそうだ
14/12/2025
チャプター 5 婚姻届受理証明書が暴かれる
15/12/2025
第6章致命的な誤算
15/12/2025
第7章用が済んだらポイか?
15/12/2025
チャプター 8 洗礼
15/12/2025
第9章古川詩鈴、また恥をかく
15/12/2025
第10章松岡家の若奥様は、楽ではない
15/12/2025
チャプター 11 息をのむほどに
15/12/2025
チャプター 12 今夜は俺たちの、新婚初夜だぜ
15/12/2025
チャプター 13 寝取られ男の屈辱
15/12/2025
チャプター 14 借りた刃で人を斬る
15/12/2025
チャプター 15 強引にキス
15/12/2025
チャプター 16 詩鈴の正体、疑念の始まり (パート1)
15/12/2025
チャプター 17 詩鈴の正体、疑念の始まり (パート2)
15/12/2025
チャプター 18 古川紗雪にも裏切りの味を味わわせる (パート1)
15/12/2025
チャプター 19 古川紗雪にも裏切りの味を味わわせる (パート2)
15/12/2025
チャプター 20 夫婦でクズを痛い目に合わせる (パート1)
15/12/2025
チャプター 21 夫婦でクズを痛い目に合わせる (パート2)
15/12/2025
チャプター 22 峻一、妻を断固として守る (パート1)
15/12/2025
チャプター 23 峻一、妻を断固として守る (パート2)
15/12/2025
チャプター 24 猿芝居 (パート1)
15/12/2025
チャプター 25 猿芝居 (パート2)
15/12/2025
チャプター 26 松岡峻一、理性を失う (パート1)
15/12/2025
チャプター 27 松岡峻一、理性を失う (パート2)
15/12/2025
チャプター 28 意地悪 (パート1)
15/12/2025
チャプター 29 意地悪 (パート2)
15/12/2025
チャプター 30 プールに転落 (パート1)
15/12/2025
チャプター 31 プールに転落 (パート2)
15/12/2025
第32章どうすれば泣き止むんだ (パート1)
15/12/2025
第33章どうすれば泣き止むんだ (パート2)
15/12/2025
第34章一緒にシャワーを浴びる (パート1)
15/12/2025
第35章一緒にシャワーを浴びる (パート2)
15/12/2025
第36章詩鈴、また始まった―― (パート1)
16/12/2025
第37章詩鈴、また始まった―― (パート2)
17/12/2025
第38章そんなに俺と離れるのが名残惜しいのか (パート1)
18/12/2025
第39章そんなに俺と離れるのが名残惜しいのか (パート2)
19/12/2025
第40章征服 (パート1)
20/12/2025