ルージャルグ神学校。その卒業予備生は『勇者』と呼ばれ旅に出ることに決まっている。 その一人であるラーニエは、けれどスライムにすら負けるポンコツだった。 そんな彼女はある日、自らを『ただの猫』と主張する生意気なケット・シーと出会う。彼はケット・シーにしてはとんでもない魔力の持ち主で……。
夜遅く、街灯も少ない町の中、急ブレーキの甲高い音が響いた。
その音を聞いて駆けつける人もいなければ、何事だろうと窓を開ける人すらいない。
あまり大きな音ではなかったからと言うよりも、それに気づく人がいないくらい遅い時間だったのだ。
住宅街の一角に、一台のトラックが止まっていた。
五十代半ばの運転手は、顔をしかめていた。
最初はコンビニの袋か何かだと思っていたのだ。だが近づいてみて、取り返しのつかない距離に入って、初めてそれがゴミではなく生きた猫であることに気づいた。
運転手は猫が得物を狩る時にどれほどの瞬発力と正確性を持つかを、動画サイトで見て知っていた。
だが、突然車道に飛び込んできた猫は、じっとこちらを見つめて動かなかった。蛇に睨まれたカエルのように。
そして、ぐしゃりと、毛が逆立つような揺れを感じた。
トラックを降りて、確認するまでもなかった。
彼は深くため息をついた。
確かに、健康状態はお世辞にもいいとは言えない状況ではあった。
思い返せばほぼ二十四時間運転し続けている。食事もまともなものは食べていない。
車を運転するには最悪の条件だろうし、これが猫ではなく人間であった可能性は十分あった。
だが、だからこそ、彼は少しほっとしていた。
轢いたのが、人間ではなく猫でよかった、と。
道ばたで人間が死んでいれば事件だが、猫が死んでいるだけで警察が動くことはないだろう。
そもそも、そんなことで通報する奴もいない。
大変です。道で猫が死んでいるんです。事件です。早く来て、こんなことをした犯人を捕まえてください。
相手にされるわけがない。
せいぜい、出しゃばりがSNSに写真をあげて、ある程度有名になるくらいだろう。
彼は運転を再開することにした。
そうでなくても、猫に憐れみを持っている余裕などなかったのだ。早く積み荷を目的地に運ばなければならない。時間通りに到着しなければ、上司に何とどやされるかわかった物ではない。評価も下がる。
運転手の頭の中で、『猫踏んじゃった』の音とリズムがぐるぐると回った。
ねこ ふんじゃった
ねこ ふんじゃった
ねこ ふんずけちゃったら ひっかいた
子供の頃、ピアノを弾くのが好きだった彼は、ふとピアニストを目指してみるのもそれなりにいい道だったかもしれない、と思った。
だがもちろん、今となってはありえない妄想にすぎない。
苦笑して、アクセルを踏む。
まるでくだらない物を振り切るかのように、トラックは走り去った。
後には、無残に踏みつぶされた猫の死骸だけが、どうにもならない物を象徴するように、置き去りにされていた。