結婚して三年、静まり返ったリビングで夫の帰りを待っていた私に突きつけられたのは、見知らぬ女と一枚の離婚届だった。 夫の鷹司暁は愛人を腕に抱き、「財産分与として一億円やるからさっさとサインしろ」と見下すように冷酷に言い放った。 私があっさりと離婚に同意し、かつて鷹司財閥の危機を救うために私が出資した五百億円の対価である、時価二千億円の株式を持って家を出ると告げると、事態は急変した。 夫と愛人は私を詐欺師呼ばわりし、義理の家族までもが結託して「金の出所を警察にばらされたくなかったら、株を全て置いていけ」と、私の正当な財産を堂々と強奪しようとしてきたのだ。 一族の危機を救った恩を仇で返し、嘘の証人まで仕立て上げて私を陥れようとする彼らの底知れぬ強欲さと厚顔無恥さに、私の心に残っていた最後の情も完全に消え失せた。 私は静かに彼らに背を向け、日本一の弁護士を雇うための番号を呼び出した。 「私のやり方で、私の全てを取り戻すまでです」
离婚届が、ローテーブルに叩きつけられた。
「サインしろ」
藤森沙耶はソファからゆっくりと立ち上がり、声の主である夫、鷹司暁を見つめた。彼の後ろには、見慣れない女が勝利を確信した顔で立っている。
壁に掛けられた大きな額縁には、風景画が飾られている。この家に嫁いで三年。そこに二人の写真が飾られることは、一度もなかった。
つい先ほどまで、沙耶はこの静寂の中で暁の帰りを待っていた。玄関先に滑り込んできた車のエンジン音。だが、それに続いたのは、甘ったるい、知らない女の笑い声だった。
窓辺に立った沙耶の目に映ったのは、マイバッハから降りる暁が、助手席のドアを恭しく開ける姿。現れた女——安井小夜子は、慣れた仕草で暁の腕に絡みつき、別荘の窓を見上げた。目が合った気がした。さよ子の唇がゆっくりと弧を描き、笑みを浮かべた。それはまるで獲物をもてあそぶかのような、挑発的な笑みだった。
沙耶は無表情のままカーテンを引き、ソファへと戻った。そして今、目の前にその二人が立っている。
暁の端正な顔には、焦燥の色が浮かんでいた。対照的に、小夜子はまるで女主人のように、値踏みするような視線で豪奢な内装を見回している。その目には隠しきれない貪欲さが宿っていた。
「財産分与として一億円やる。それで十分だろう」
田舎出身の女性にとって、これはまさに棚ぼたのはずだった。シャオの顔にはそんな思いが浮かんでいた。
沙耶は、微かに眉を上げた。
——一億。
三年前、彼女がこの家に持ち込んだ金の、五百分の一だった。
「沙耶さん、暁さんは優しいのよ。普通なら一円ももらえないんだから」
小夜子が勝ち誇ったように言い添える。
沙耶はようやく顔を上げた。その視線は二人を通り越し、壁の風景画に向けられる。あれは沙耶自身が描いた作品だ。そのことを、この家の誰も知らない。
彼女はペンを取った。ためらいは、なかった。流れるような筆致で、離婚届の署名欄に「藤森沙耶」と書き記す。
「え……」
暁と小夜子の顔に、驚愕が浮かんだ。あまりにもあっけない幕切れに、思考が追いつかないようだった。
沙耶は署名を終えた書類を、暁の方へ押しやった。
「離婚には同意します」
暁が安堵の息をつき、書類に手を伸ばす。
だが、沙耶の指が、書類の端を離さなかった。
その瞳が、初めて真っ直ぐに暁を射抜いた。いつもは凪いだ水面のような瞳が、今は底の見えない沼のように冷たい光を放っている。
「ただし、条件があります」
暁は眉をひそめた。
「一億で不満だと?」
「なんて強欲な女!」
小夜子が甲高い声で叫ぶ。
沙耶は彼女の存在などないかのように、暁だけを見つめていた。
「慰謝料は不要です」
沙耶は、初めて微かに笑った。
「私が保有する鷹司ホールディングスの株式、四%。時価二千億円相当。それを持って、この家から出て行きます」
リビングの空気が、凍りついた。
暁の顔から、傲慢と焦燥が消え失せる。代わりに浮かんだのは、純粋な驚愕と、信じられないという拒絶。彼は勢いよく立ち上がり、まるで初めて見る生き物のように、沙耶を凝視した。
小夜子の顔から笑みが消え、その意味を理解できないまま、暁の反応に巨大な不吉を感じ取っていた。
捨てられた元妻?実は二千億の令嬢でした
小鳥遊 奏
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