氷室晴斗に3年間献身的に尽くしてきた藤井結菜は、彼の初恋の女性が帰国した日、あっさりと離婚協議書にサインした。 財産分与も求めず身一つで家を出た彼女を、誰もが養父の治療費すら失った愚か者だと嘲笑った。 しかし予想に反し、結菜は最高級の豪邸へと足を踏み入れる。その背後には、絶大な権力を持つ3人の兄が従っていた。 長男は謎多き財閥のトップ、次男は医学界の権威、三男は天才弁護士である。 偽りの令嬢が「彼らは私の兄よ」と見せびらかすと、3人は目を赤くして否定した。 「違う、結菜こそが我々の本当の妹だ」 そこで彼女は初めて、自分が名家から幼い頃に行方不明になった本物の令嬢であり、実の両親が並外れた権力者であることを知る。 その後、彼女は自立して輝き、3人の兄から限りない寵愛を受ける。一方の氷室晴斗はかつての威圧感をすっかり失い、ひざまずいて復縁を懇願してきた。 結菜は兄たちの腕に寄り添い、冷ややかに微笑む。 「氷室社長、まずは私の兄たちが賛成するかどうか、聞いてみてはいかがですか?」
『結菜、今すぐこっちに来て!あなたの実のお兄さんが訪ねてきたのよ!』
電話口から聞こえる養母、藤井典子の声は、隠しきれない焦りと困惑が滲んでいた。
藤井結菜は胸を突かれ、詳しく問いただす間もなく、「すぐ行く」とだけ返事をして、鞄を掴むと外へ駆け出した。
寝室のドアを押し開け、急ぎ足で階段の踊り場へ向かう。
だが、階下の光景が目に入った瞬間、彼女の足はピタリと止まった。
広く豪奢なリビングでは、姑の氷室美智子が上座に腰を下ろしていた。
そして隣のソファには、一人の男と見知らぬ若い女が座っている。
仕立ての良い黒いシャツを着た男の横顔は冷ややかだったが、今は体を少し前傾させ、女の手に温かい水の入ったグラスを渡している。その動作には、彼には珍しいほどの気遣いが込められていた。
氷室晴斗だ。
結婚して3年、結菜が自分の夫と顔を合わせるのは、これが初めてだった。
3年前、すれ違いから生じた一夜の過ちの後、晴斗は祖母である氷室千代の圧力に屈して彼女を娶った。しかし、入籍したその日のうちに海外事業の拡大を理由に、容赦なく国外へ飛び立ってしまったのだ。
丸3年間、音信不通のまま。
結菜の視線が、その見知らぬ女に向けられた。
か弱そうな顔立ちの女は、グラスを両手で包み込みながら晴斗に向かって優しく微笑みかけており、晴斗の態度も非常に穏やかだった。
結菜は自嘲気味に口角を上げ、すぐに相手の正体を察した。
1年前、晴斗は海外で恨みを買った者たちに追われ、命を落としかけた。 一人の女が身を挺して彼を救い、重い後遺症を負ったと聞いている。
間違いなく、目の前にいる女のことだろう。
「バタバタと落ち着きのない、本当に教養の欠片もない女ね!」
階段の物音に気づいた姑の美智子は、結菜を見上げるとすぐに白目を剥き、容赦なく嘲った。「やはり家政婦の娘ね。骨の髄まで貧乏くささが染み付いているから、一生表舞台には立てないのよ」
結菜は鞄の紐をきつく握りしめ、反論を飲み込んだ。
今は一刻も早く養母のもとへ行かなければならない。美智子と口論している暇はなかった。
階段を下りかけた彼女の足を、低く冷たい男の声が引き止めた。
「書斎に来い」
晴斗は立ち上がると、まともに目を向けることすらなく、まっすぐ二階へ上がっていった。
世話になっている以上、逆らうことはできない。
結菜は唇を噛み、その後を追うしかなかった。
書斎のドアが閉まり、階下の音は完全に遮断された。
結菜は書斎机の前に静かに立ち、目の前の男を観察した。
3年ぶりに見る晴斗は、かつての刺々しさが幾分和らいだ代わりに、落ち着きと重厚感が増し、より強い威圧感を放っていた。
「サインしろ」
薄い書類が机の上に投げ出された。
目に飛び込んできたのは『離婚協議書』の文字。
晴斗は冷ややかな目を彼女に向けた。「美緒は俺を庇い、足に障害を負った。 俺は、彼女に責任を取らなければならない」
この3年間、独りきりの部屋で何度も覚悟を決めていたはずだった。だが、その言葉を聞いた瞬間、結菜の心臓はどうしようもなく鈍い痛みを訴えた。
彼女は深く息を吸い込んだ。こんな惨めな形でこの結婚を終わらせたくはないし、何より、晴斗にずっと嫌悪感を抱かれたままでいるのは耐えられなかった。
「晴斗、終わりにするなら、どうか一度だけ私の説明を聞いて」
結菜は目元を微かに赤くした。「3年前のあの夜、薬を盛ったのは絶対に私じゃない……」
「いい加減にしろ!」
晴斗は苛立たしげに遮り、その目には途端に激しい嫌悪が浮かんだ。「結菜、もう3年も前のことだ。今さら被害者ぶって何になる?」
結菜の全身が強張り、血液が一瞬にして凍りついたような感覚に陥る。
「互いに円満に別れようじゃないか」
晴斗は見下すような口調で言った。「この3年、お前の養父は氷室家の力で最高の治療を受けられたはずだ。 お前自身も氷室夫人という肩書きで、3年間いい思いをしただろう。人間、足るを知るべきだ」
結菜は下唇をきつく噛みしめ、血の味を感じた。
足るを知る?
あの馬鹿げた一夜の過ちが起こる前、養母の典子は氷室の大奥様である千代の家政婦だった。彼女と晴斗は、共に遊びながら育った幼馴染みのようなものだったのだ。
彼女は密かに、丸10年もの間、晴斗を想い続けていた。
だが、己の身分はわきまえていた。雲泥の差があることも理解しており、あんな卑劣な手を使って彼のベッドに潜り込み、結婚を迫ろうなどと企んだことは一度たりともなかった。
それでも、彼は信じてくれなかった。
彼女が虚栄心に駆られ、地位を得るために手段を選ばなかったのだと決めつけているのだ。
晴斗の瞳に浮かぶ隠しきれない嘲笑と嫌悪を見て、結菜が必死に保っていた糸が、ふつりと切れた。
彼女は完全に諦めた。
「わかったわ」
結菜はもう一言も発することなく、机の上のペンを取ると、最後のページをめくり、手早く自分の名前をサインした。
そこには微塵の躊躇いもなかった。
そのあまりにもあっさりとした動作を見て、晴斗は無意識に眉をひそめた。
泣き喚いてすがりついてくるものだとばかり思っていたからだ。
「お前の養父の医療費は、氷室家が今後も負担する」
晴斗の口調が少しだけ和らいだ。「昔、お前の母親が祖母を助けてくれたことへの埋め合わせだ」
結菜はペンを置き、よどんだ水面のように静まり返った表情を浮かべた。
「ありがとうございます、氷室社長」
他人行儀にそう言い残すと、彼女は背を向けて書斎のドアを開け、足早に部屋を出た。
廊下に出た途端、宮崎美緒を連れて二階に上がってきた美智子と鉢合わせた。
美智子は結菜の手に握られた協議書の控えを素早く見とがめると、目を輝かせ、満面に得意げな笑みを浮かべた。
「身の程をわきまえたようね!」美智子は鼻を鳴らし、我慢できないようにまた悪態をついた。「無駄に晴斗の3年間を奪い、席だけ占領して何もしないんだから。 一文無しで追い出されるだけで済んだんだから、本当にありがたく思いなさいよ!」
結菜は無表情のまま、彼女たちの横をすり抜けて階段を下りようとした。
「おば様、結菜さんにそんな言い方をしては駄目ですよ。彼女だって、今はきっとお辛いはずですから」
美緒が突然優しい声で口を挟み、おしとやかな様子で美智子の腕を軽く押した。「結菜さんの荷造りを手伝ってあげるって仰っていたじゃないですか? 私はここで、彼女の話し相手になっていますから」
「そうね、荷造りしてあげるわ。どさくさに紛れて、氷室家の物を盗まれても困るからね!」
美智子は結菜をキッと睨みつけると、身を翻して結菜の寝室へと向かった。
廊下には、結菜と美緒の二人だけが残された。
美智子の背中が見えなくなった途端、美緒の顔からあの可憐で温厚な表情が跡形もなく消え去った。
彼女は僅かに顎を上げ、無遠慮で傲慢な視線で結菜を上から下まで値踏みした。
「へえ、あの時、手を尽くして晴斗を誘惑した女って、こんな顔だったのね」
美緒は鼻で笑い、軽蔑の眼差しを向けた。「大したことないじゃない。 あなたみたいな卑しい女のせいで、晴斗はこの3年間、ずっと苦しんできたのよ」
結菜は実の兄の件で急いでおり、こんな表裏の激しい女に関わっている暇はなかった。
「どいて」
冷たく一言だけ言い放ち、美緒を避けて階段を下りようとする。
すれ違いざま、美緒が突然手を伸ばし、結菜の手首をきつく掴んだ。
「何するの?離して!」 結菜は眉をひそめ、無意識に手を振り払おうとした。
だが、結菜が力を入れるよりも早く、美緒の口角に不気味な冷笑が浮かんだ。
次の瞬間、美緒は自らぱっと手を離した。
「きゃあっ!」
悲鳴とともに、美緒はそのまま真っ直ぐ後ろに仰け反り、廊下の床に激しく叩きつけられた。
書斎のドアが「バンッ」と音を立てて開いた。
晴斗が長い脚で大股に飛び出してくる。
床に倒れ込む美緒を見るなり、彼は瞳孔を収縮させ、急いで結菜の横を通り抜けると、片膝をついて彼女を抱き起こした。
「美緒、どうした!」
美緒は晴斗の胸に顔を埋め、糸が切れたようにぽろぽろと涙をこぼし始めた。彼女は苦しげに自分の左足を押さえ、ガタガタと震えている。
「晴斗、足が痛い……さっき転んだ時に、また前の傷口を打ったみたい…… 痛い……っ」
彼女は泣きじゃくりながら、おびえたように結菜をちらりと見上げ、慌てて首を振って言い訳した。「藤井さんのせいじゃないの。私が勝手によろけただけで、彼女はわざと私を突き飛ばしたわけじゃ……」
そのあざとい芝居は、まさに堂に入ったものだった。
晴斗が纏う空気が、一瞬にして氷点下まで冷え込んだ。
彼は勢いよく顔を上げ、深い漆黒の瞳にぞっとするような殺気を渦巻かせながら、その場に立ち尽くす結菜をねめつけた。
「謝れ!」
ざまぁ見ろ、クズ夫!私を愛する三人の最強兄が成敗!!
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都市
チャプター 1 離婚協議書
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チャプター 2 突然現れた実の兄
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チャプター 3 結菜、怖がらなくていい
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チャプター 4 平凡な富裕層という設定
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チャプター 5 氷室結菜、あの男は誰だ?
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チャプター 6 デザイン界への復帰のチャンス
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チャプター 7 別の男と一緒に家探し
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チャプター 8 まさか私を尾行してるんじゃ……?
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チャプター 9 平手打ち
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チャプター 10 次兄自らメスを握る
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チャプター 11 宮崎家の妹溺愛レベル
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チャプター 12 大奥様があなたに会いたいと
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チャプター 13 男らしくしろ
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チャプター 14 第14話 結菜のおごり
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チャプター 15 邪魔をするな
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チャプター 16 その一口の飯、いくらだ
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チャプター 17 1000万
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チャプター 18 気後れしてはならない
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チャプター 19 千代お祖母様のお見舞い
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チャプター 20 国際的な名医を招く
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チャプター 21 吐き気と嘔吐
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チャプター 22 俺に隠してできたのか?
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チャプター 23 誰が煮た魚のスープ
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チャプター 24 テクニックはお前の一万倍は上よ
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チャプター 25 兄が手配した女性ボディガード
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チャプター 26 リストにある藤井結菜の名前
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チャプター 27 まさかお兄ちゃん目当てで行くんじゃないでしょうね?
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チャプター 28 滑稽で、野暮ったい
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チャプター 29 誰が氷室夫人か
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チャプター 30 藤井結菜の作品に盗作判定
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チャプター 31 彼女の正体はトップデザイナーのジョイ
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