夫の書斎を掃除していた時、「復讐と代替」という隠しフォルダを見つけた。 パスワードは、夫が愛する別の女の誕生日だった。中には私をあの女の身代わりとして利用する計画書が入っていた。 ショックで倒れそうになった私はお腹の子の危機を夫に伝えたかったが、彼はその女と一緒にいて電話を無慈悲に切った。その夜、酔って帰宅した夫に抵抗も虚しく無理やり抱かれ、私は流産した。 病院で目を覚ました私を待っていたのは、さらなる地獄だった。夫が私の毎日のスープに薬を混ぜ、二度と妊娠できない体にしていたことを知ったのだ。 「あの女に岡本家の跡継ぎを産む資格はない。理歌音への償いだ」 友人にそう笑って話す夫の声を、私は物陰から聞いてしまった。 この二年間の私の献身は、一体何だったのか?なぜ彼は自分の子を殺し、私の未来まで完全に奪わなければならなかったのか? 私は離婚届にサインをし、未練なく家を出た。そして、彼への愛のために隠してきた「天才ジュエリーデザイナー」としての莫大な資産の封印を解いた。私を無能な女だと嘲笑ったあの男に、本当の絶望を教えてやる。
「何をしている」
冷たい声が、鼓膜を突き刺した。
松本理実は、びくりと肩を震わせ、ゆっくりと振り返る。書斎のドアの前に、夫の岡本正樹が立っていた。寸分の狂いもなく仕立てられたスーツを纏い、その表情は能面のように固い。
「あ、あなた……。おかえりなさい」
声が震える。理実は、慌てて手に持っていた埃取りを背中に隠した。心臓が早鐘のように鳴り響き、指先から急速に血の気が引いていく。
ほんの数分前まで、彼女はこの静かな書斎で、いつものように掃除をしていた。夫の膨大な蔵書が並ぶ本棚を丁寧に拭き、重厚なマホガニーのデスクを磨いていた。完璧な主婦。それが、この二年間の彼女の全てだった。
その時だった。デスクを拭いていた布巾が、正樹のノートパソコンのマウスに偶然触れた。スリープ状態だった画面が、幽かな光を放って起動する。
何気なく視線を向けた理実は、その画面の中央に表示された一つのフォルダ名に釘付けになった。
「復讐と代替」
嫌な予感が、背筋を冷たい汗となって伝う。理実は、ゆっくりと布巾を置き、震える手でマウスを握った。ダブルクリックする。パスワードを要求する小さなウィンドウが、ポップアップした。
四桁の数字。
理実は、無意識に正樹の誕生日を入力した。エラー。次に、二人の結婚記念日。それも違う。
唇を噛み締めた理実の脳裏に、いつも正樹が財布に忍ばせている古い写真が浮かんだ。写真の中の、自分によく似た女性。藤田理歌音。その写真の裏に走り書きされた日付。
理実は、呪われたようにその日付を打ち込んだ。
カチリと軽い音を立てて、フォルダが開いた。中にはファイルが一つだけ。
「藤田理歌音の裏切りに対する懲罰計画」
息を呑み、ファイルを開く。そこに綴られていたのは、地獄の計画書だった。
「彼女とよく似た容姿の愚かで従順な女を見つけ出し、結婚する」
「俺の所有物として、徹底的に支配する」
「彼女が最も欲しがっていたものを、その女に与えることで、理歌音に絶望を味あわせる」
理実の瞳孔が、激しく収縮した。視界が滲む。スクロールしていく指が、自分の名前を見つけた。詳細な身元調査報告書。その隣には、理歌音の写真が並べられていた。自分と七分も似ている、その顔。
胃が痙攣を起こす。理実は、口元を強く押さえ、こみ上げてくる吐き気を必死に堪えた。正樹がいつも自分に白いワンピースを着せたがった理由。彼の視線が、時折自分を通り越して遠いどこかを見ていた理由。
全てが繋がった。
絶望が、冷たい水のように心を満たしていく。涙が、視界を歪ませる。
その時、玄関の電子ロックが解除される音が響いた。
理実は、全身を硬直させ、パニックに陥った。震える手でマウスを掴む。だが、焦りのあまり、マウスは手から滑り落ち、大理石の床に硬い音を立てて転がった。
慌ててそれを拾い上げ、フォルダを閉じる。ウィンドウを閉じる。その直後だった。
書斎のドアが開いたのだ。
「掃除をしていただけよ」
理実は、かろうじてそう答えた。声は掠れていた。
正樹は、眉一つ動かさず、理実の蒼白な顔と震える手を見下ろした。彼の鋭い視線が、まだ微かに光を放っているパソコンの画面へと移る。
「そうか」
短い返事。それだけだった。彼は、理実の横を通り過ぎ、デスクの前に立つ。そして、まるで汚れたものでも払うかのように、理実が触れたマウスをハンカチで拭った。
その無言の拒絶が、理実の胸を抉る。
「夕食の準備があるから」
理実は、逃げるように書斎を出ようとした。これ以上、この空間にいることは耐えられなかった。
「待て」
背後から、再び冷たい声がかけられる。
理実は足を止めた。振り返ることができない。
「今夜は、白いワンピースを着ろ」
命令だった。いつもの命令。
だが、その言葉の意味は、もう以前とは全く違って聞こえた。それは、松本理実に向けられた言葉ではない。彼女を通して、別の誰かに向けられた執着の言葉。
「……わかったわ」
理実は、唇から血が滲むほど強く噛み締め、そう答えるのが精一杯だった。
身代わりの妻は天才デザイナーとして覚醒する
霧島藍
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