砕けた心の鎮魂歌:冷徹な夫への永遠の別れ

砕けた心の鎮魂歌:冷徹な夫への永遠の別れ

遠野 文

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結婚三年目の記念日、小松原静は特注のケーキを抱え、夫が待つはずのスイートルームのドアの前に立った。 僅かに開いたドアの隙間から見えたのは、静が彼に贈った限定品のネクタイと、見知らぬ女の黒いランジェリーが絡み合う光景だった。 夫の鷹司暁は、最近話題のモデルを抱き寄せ、冷酷に言い放った。 「あれはただの家のための政略結婚だ。感情などない」 静は怒鳴り込むこともなく、ただ証拠の写真を撮って離婚協議書を突きつけた。 しかし、鷹司グループの当主である暁は、分厚い書類を無残に破り捨てた。 彼は静をベッドに力任せに押さえつけ、冷酷な声で妻としての「跡継ぎを産む義務」を強要する。 さらに彼女のクレジットカードを止め、会社での役職すら剥奪し、孤立無援にして徹底的に服従させようとした。 たかが代用品の女のために妻を踏み躙り、どこまでも傲慢に振る舞う夫。 なぜ彼は、静が四年前、彼を庇った事故で子宮を失い、二度と子供を産めない身体になったことを知らないまま、これほど残酷になれるのか。 極限の絶望の中、静の瞳に冷たい炎が宿る。 「鷹司暁。今の私にとって、あなたは死んだ人間以下よ」 権力と尊厳を賭けた、静の壮絶な反撃が今、始まる。

砕けた心の鎮魂歌:冷徹な夫への永遠の別れ 第1章

「暁さん、喜んでくれるかしら」

小松原静は特注のケーキが入った箱を大切そうに胸に抱え、リッツ・カールトン東京の最上階スイートルームのドアの前に立った。結婚三年目の記念日。夫である鷹司暁は、今夜ここで彼女を待っているはずだった。

指先が冷たいドアノブに触れる。その瞬間、ドアが僅かに開いていることに気づいた。隙間から漏れ出す冷気と共に、甘ったるい薔薇の香水の匂いが静の鼻腔を掠める。

彼女の眉が微かに顰められた。

指をドアノブにかけたまま、動きが止まる。ドアの向こうから、女の甲高い笑い声が聞こえたのだ。心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

静は息を殺し、そっと隙間から中を覗き込む。

視線が玄関を越え、リビングのペルシャ絨毯の上で絡み合う二つの物体を捉えた。

一つは見覚えのある男物のネクタイ。

もう一つは見覚えのない黒いレースのランジェリー。

そのネクタイは、静が先月彼のために選んだ限定品だった。それが今、見知らぬ女の下着と無造作に絡まっている。

静の瞳孔がきゅっと収縮した。

奥のバスルームから、バスローブ姿の女が駆け出してくる。白石千尋。最近メディアを賑わせているモデルだ。彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、後から出てきた長身の男の胸に飛び込んだ。

鷹司暁。

彼は片手で千尋の身体を受け止める。その冷たい光を宿した横顔は、薄暗い照明の下でどこか気怠げに見えた。彼は千尋を突き放さなかった。

千尋が背伸びをして、キスを強請る。暁は僅かに顔を傾け、唇へのキスは避けた。だが、そのキスが彼自身の顎に落ちるのを許した。その甘やかな光景は、静の胸を抉るには十分すぎた。

胃の奥が冷たくなる。指の爪が知らず識らずのうちに掌に深く食い込んでいた。大切に持っていたケーキの箱が、手のひらに赤い跡を刻む。

「いつまであんな女を奥様の席に座らせておくの?」

千尋の甘ったるい声が、静の耳に届いた。

「あれはただの家のための政略結婚だ。感情などない」

暁の冷たい声が、静の最後の希望を打ち砕いた。

氷水を頭から浴びせられたような衝撃。静の瞳の奥で微かに灯っていた温かい光が、ふっと音を立てて消えた。

彼女は部屋に乗り込まなかった。怒鳴り散らすこともしなかった。

ただ静かに半歩下がり、スマートフォンのカメラを起動する。そして、抱き合う二人の後ろ姿を、無感情に写真に収めた。

静は踵を返し、エレベーターホールへと向かう。

その途中、廊下に設置されたゴミ箱に、高価な記念日のケーキを何の躊躇もなく投げ捨てた。

帰りのタクシーの車窓から、東京の夜景が流れていく。静はタブレット端末を取り出し、鷹司家の邸宅管理システムにアクセスした。画面には、暁が持つ副カードの利用履歴が表示されている。リッツ・カールトンの決済記録。彼女の唇の端に、冷たい笑みが浮かんだ。

静は迷うことなく、専属弁護士に電話をかけた。

「離婚協議書を。今すぐに」

その声には、何の感情も籠っていなかった。

電話の向こうで、弁護士が驚き、考え直すよう促す。だが、静の決意は固かった。

「明日の朝、私のデスクに置いてください」

電話を切ると、静は家庭用のエネルギー管理端末にログインした。最高権限のパスワードを入力する。

『本宅の電気、水道、ガスの供給を全て遮断しますか?』

システムが最終確認を求めてくる。

静はためらうことなく、『はい』をタップした。

画面に『コマンド送信完了』の文字が表示される。静は目を閉じた。全てを壊す前の、ほんの僅かな静寂。

タクシーが世田谷区の高級住宅街に入る。遠くに見えるはずの煌々と輝く鷹司家の豪邸が、今は死んだように深い闇に沈んでいた。

重い玄関ドアを押し開ける。メイドたちが懐中電灯を手に慌てふためいているが、静は一瞥もくれず、リビングの中央にあるソファに腰を下ろした。

執事が駆け寄り、配電系統の故障だと焦ったように報告する。

静は冷え切ったテーブルの上のお茶を一口啜った。

「私が切ったの」

その静かな声に、メイドたちは息を呑んだ。女主人の纏う、今まで感じたことのない冷たい圧に、誰もが口を噤み、後ずさる。

静はタブレットで離婚協議書の草案リストを作成し、自分が得るべき財産分与の項目に赤いマーカーを引いていく。

その時、庭の外からけたたましいエンジン音が響いた。眩いヘッドライトの光が落地窓を突き抜け、静の無表情な顔を白く照らし出す。

鷹司暁のマイバッハが玄関前で急ブレーキをかけて止まった。

車のドアが乱暴に開けられる音がする。

長い脚で、暁が暗い玄関ホールに足を踏み入れた。その全身から、不機嫌なオーラが立ち上っている。

彼はネクタイを乱暴に緩めながら、暗闇の中、ソファに座る静の姿を正確に捉えた。

「予備電源はどうした!」

暁が、自分の時間を邪魔された支配者特有の怒りを込めて、執事を怒鳴りつける。

その声に応えるように、静が暗闇の中でゆっくりと立ち上がった。

彼女は手にしていたタブレットを、ガラスのローテーブルの上に投げつける。

ゴン、と鈍い音が響いた。

静は、暁の怒りを正面から受け止めるために、ただ静かにそこに立っていた。

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