離婚します、理由はミルクティー

離婚します、理由はミルクティー

福田 香織

5.0
コメント
4
クリック
8

夫は大学教授。無口だが誠実で、穏やかな性格をしている。 彼を迎えに行く途中、喉が渇いていたのでミルクティーを買ってきてもらった。 受け取ったのは、氷なし・甘さ控えめのミルクティー。 私はひと口も飲まずに、それを彼の研究室のゴミ箱に放り込んだ。「……私たち、離婚しましょう」 夫は一瞬呆気に取られ、困惑した顔で言った。「えっ……?」 その場にいた新しく入った博士課程の学生が慌てて場をなだめる。「ミルクティーなんてただの飲み物じゃないですか。嫌なら飲まなければいいだけですし、奥様もそんなに気を悪くなさらなくても」 夫も眉をひそめて口を開いた。「気に入らないなら新しく買えばいいじゃないか。どうしてそんなに怒るんだ?」 私は背を向けて歩き出した。「明日、離婚届を持ってくるから」

第1章彼は彼女を家に連れてきた

夫は大学教授である。

口下手だが実直で、穏やかな人だった。

彼の退勤を迎えにいく途中、喉が渇いたのでミルクティーを注文してもらった。

手渡されたのは、氷抜き・微糖のミルクティー。

私は一口も飲まず、それを彼の研究室のゴミ箱に叩き込んだ。

「沈南、離婚しましょう」

彼は呆然とし、心底不可解だという表情で聞き返した。「……何だって?」

彼が新しく受け持った博士課程の学生、林年年が間に入ってとりなす。

「たかがミルクティーじゃないですか。お気に召さないなら飲まなければいいのに。奥様も、そんなに意地悪なさらないでください」

沈南も眉をひそめた。

「江佳年、気に入らないなら買い直せばいいだろう。何をヒステリーを起こしているんだ」

私は背を向けて歩き出す。「明日、離婚協議書を持ってきます」

……

振り返っても、沈南は追いかけてこなかった。

林年年が、おずおずと彼の腕をつついた。

「沈先生、奥様が怒っていらっしゃいますよ。引き止めなくてよろしいのですか?」

沈南は鼻を鳴らし、苛立たしげに吐き捨てる。

「ミルクティー一杯で大袈裟な。彼女がどんな味を好むかなんて、知るものか」

「いつものことさ。離婚を切り出すのも初めてじゃない。放っておけばそのうち機嫌も直る」

林年年の口元に、微かな笑みが浮かぶ。彼女は沈南との距離をさらに詰めた。

風が二人の服の裾を弄び、まるで意思があるかのように絡み合わせる。

林年年の髪が乱れると、沈南は無意識にそれを彼女の耳にかけてやった。

二人の耳は、血が滴るほど赤く染まっていた。

まるで恋人のように親密なその仕草を、どちらも避ける素振りは見せない。

私は携帯を取り出し、弁護士をしている親友に電話をかけた。

「数日前に香港の企業からチームを率いてほしいと誘われたの。明後日には発つつもりよ」

親友は絶句し、驚きに満ちた声で言った。

「沈南には話したの? あなた、彼と遠距離恋愛なんて耐えられるの?」

私は肩をすくめ、乾いた笑いを漏らす。

「遠距離恋愛じゃない。離婚を切り出したの。だから、離婚協議書を作ってほしくて」

彼女は再び言葉を失い、やがて深いため息をついた。

「あなたたちみたいな模範的な夫婦でさえ、七年目のジンクスには勝てないのね……」

私と沈南は、かつて誰もが羨む理想のカップルだった。

大学一年の時から交際を始め、卒業と同時に結婚して、七年になる。

だから、彼のことは誰よりもよく分かっている。

彼はミルクティーなど飲まない。外食で注文する時も、いつも決まったメニューを選ぶだけ。

そんな彼が、ミルクティーを「氷抜き・微糖」と的確に選べるようになった。

理由は一つしかない。誰かのために、その味のミルクティーを何度も買ったことがあるからだ。

そして、その「誰か」が私ではなく、林年年であることも。

学生の一団が、楽しげに笑いながら私のそばを通り過ぎていく。噂話がやかましく耳に突き刺さった。

「林年年、また沈先生に研究室でマンツーマン指導だって。新入りであんなに可愛がられてるの、彼女が初めてじゃない?」

「しーっ、変なこと言わないでよ。沈先生は結婚してるんだから」

「奥さん、すごく気が強い人らしいよ。だから先生、毎日夜中まで研究室に籠もってるんじゃないかって」

「それって本当に、林年年がいるからじゃないの?」

ほら、誰の目にも明らかなのだ。彼の私に対する嫌悪と、林年年への偏愛は。

ただ彼一人が、それに気づいていないだけで。

帰宅して荷物をまとめていると、誤って机の上のノートに手が当たった。

ノートから、一枚の写真が滑り落ちる。

カラオケのミラーボールの下、彼と林年年がティッシュを口移しで破るゲームに興じている。周りでは人々が囃し立て、笑い声が響いていた。

猥雑で、刺激的な光景。

写真には無数の指紋がついており、沈南が何度も彼女の顔を指でなぞったことが見て取れた。

心臓を巨大な手に鷲掴みにされたような、息苦しいほどの痛みが襲った。

午前三時、ようやく沈南が帰宅した。その後ろには、千鳥足の若い女――林年年がいた。二人からはむっとするような酒の匂いが立ち込めている。

私が冷たい視線を送ると、林年年は駆け寄り、わざとらしい親密さで私の腕に絡みついた。

「奥様、今日ちょうど研究室の皆さんと食事会だったんです。でも沈先生、奥様のことでひどく落ち込んでいらして……。それで、私が残って少しお酒にお付き合いしたんです」

「そうしたら、すっかり遅くなってしまって。寮の門も閉まってしまったので、先生がここに一晩泊めてくださる、と」

「お邪魔しますね?」

私は腕を振りほどき、三歩後ろへ下がる。

「今日はホテルが大繁盛だったのかしら?どこも満室だったとでも?」

沈南は唇を固く結び、怒りを爆発させた。

「年年が、若い女の子が一人で夜中にホテルに泊まるなんて、君は平気なのか!?」

林年年は、沈南に向かって悲しそうに涙を二粒こぼしてみせる。

「奥様がご迷惑なら、私は大丈夫です。沈先生も、私のせいで奥様と喧嘩なさらないでください」

怒りが頂点に達し、乾いた笑いがこぼれた。

「沈南は妻帯者で、あなたたちは師弟関係でしょう?世間の目も気にせず夜中まで二人で酒を飲んでおいて、その言い方だと、まるで私が悪いみたいじゃない」

「彼女が心配なら、私が出て行けばいい。それで満足でしょう?」

アルコールのせいか、彼は初めて私に激しく怒鳴った。「出て行きたければ勝手に出て行け!二度と帰ってくるな!」

私は何も言わず、スーツケースを引いて家を出た。

もう二度と、ここへは戻らない。

続きを見る

おすすめ

追放された令嬢、実は最強大富豪の娘でした

追放された令嬢、実は最強大富豪の娘でした

鈴菜すず
5.0

二十年以上、長谷川家の令嬢として何不自由なく生きてきた絵渡。だがある日、血のつながりはないと突きつけられ、本当の令嬢に陥れられ、養父母から家を追い出される。瞬く間に、街中の笑い者となった。 絵渡は背を向けて農民の両親の家へ戻ったが、次の瞬間、まさかの人物に見つかった。 それは――彼女の本当の父親であり、城一の大富豪だった。 兄たちはそれぞれの世界で頂点を極めた天才。 小柄な彼女を、家族は惜しみなく愛し守った。 しかしやがて知る――この妹は、ただの令嬢ではなかった。 伝説級ハッカーも、最高峰のレシピ開発者も、舞踊界のカリスマも――すべて彼女。 そして後日、出会ったとき―― 真の令嬢が嘲る。「あなたが舞踊大会?笑わせないで。 私は“天才舞踏少女”よ」 「悪いけど――私、その大会の審査員なの」 利己的な長谷川家は言う。「田舎で貧乏な両親と暮らしてなさい。毎日長谷川家を夢見るな!」 絵渡は一本の電話をかけた。すると長谷川家の取引先は全て切られた。 元カレがあざ笑う。 「もう俺に絡むな。俺の心にいるのは恋夏だけだ!」 だがその時、夜京で権勢を握る大物が現れ、強引に彼女を庇った。「俺の妻が、お前なんか眼中に入れるわけがないだろ?」

すぐ読みます
本をダウンロード