医師から「至急の手術が必要」と告げられた瞬間、私は震える手で夫の南広志に電話をかけた。 しかし、何度コールしても繋がらない。 翌朝、ようやく病室に現れた夫からは、私の知らない甘い香水の匂いと、微かなアルコール臭が漂っていた。 「昨日は仕事で徹夜だったんだ」 そう言い訳する彼のジャケットから、カタンと乾いた音を立てて何かが落ちる。 それは都内の高級ホテルのルームキーと、彼が若い女性――柳詩織と頬を寄せて笑う写真だった。 さらに、その浮気相手である詩織が病室に乗り込んできて、嘲笑いながらこう告げた。 「広志にとって、あなたはただの便利な家政婦よ。女としての魅力なんてゼロ」 私が実家を売ってまで彼の法律事務所の独立を支えた献身は、彼らにとって「都合のいい踏み台」でしかなかったのだ。 涙すら出なかった。私の中で、10年の愛が音を立てて崩れ落ち、代わりに冷徹な怒りが湧き上がる。 私は探偵が集めた決定的な証拠写真をベッドの上に広げ、青ざめる夫に離婚届を突きつけた。 「お望み通り、あなたを捨ててあげる。ゴミはゴミ同士、お似合いよ」 私は日本を去り、新たな人生へと飛び立った。 残された夫はまだ気づいていない。 彼が手にした成功も、輝かしいキャリアも、すべて私が支えていたからこそ存在していたのだということに。 これは、私を裏切った夫が全てを失い、孤独な地獄で泣き叫ぶことになるまでの、爽快な復讐の物語。
医師から「至急の手術が必要」と告げられた瞬間、私は震える手で夫の南広志に電話をかけた。
しかし、何度コールしても繋がらない。
翌朝、ようやく病室に現れた夫からは、私の知らない甘い香水の匂いと、微かなアルコール臭が漂っていた。
「昨日は仕事で徹夜だったんだ」
そう言い訳する彼のジャケットから、カタンと乾いた音を立てて何かが落ちる。
それは都内の高級ホテルのルームキーと、彼が若い女性――柳詩織と頬を寄せて笑う写真だった。
さらに、その浮気相手である詩織が病室に乗り込んできて、嘲笑いながらこう告げた。
「広志にとって、あなたはただの便利な家政婦よ。女としての魅力なんてゼロ」
私が実家を売ってまで彼の法律事務所の独立を支えた献身は、彼らにとって「都合のいい踏み台」でしかなかったのだ。
涙すら出なかった。私の中で、10年の愛が音を立てて崩れ落ち、代わりに冷徹な怒りが湧き上がる。
私は探偵が集めた決定的な証拠写真をベッドの上に広げ、青ざめる夫に離婚届を突きつけた。
「お望み通り、あなたを捨ててあげる。ゴミはゴミ同士、お似合いよ」
私は日本を去り、新たな人生へと飛び立った。
残された夫はまだ気づいていない。
彼が手にした成功も、輝かしいキャリアも、すべて私が支えていたからこそ存在していたのだということに。
これは、私を裏切った夫が全てを失い、孤独な地獄で泣き叫ぶことになるまでの、爽快な復讐の物語。
第1章
医師の口から「至急の手術が必要です」という言葉が放たれた瞬間、私の世界からすべての色彩と音が剥がれ落ちた。
子宮に巣食う病魔の宣告。しかし、その恐怖よりも先に脳裏を焼き尽くしたのは、夫である南広志の顔だった。
震える指先がスマートフォンの画面を彷徨い、短縮ダイヤルの一番上をタップする。
コール音が、耳の奥で虚しく響く。
もう一度。
さらにもう一度。
「ただいま電話に出ることができません」
無機質な機械音声。それは、命の淵に立つ私と彼との間にある、決定的な断絶を冷酷に告げていた。
広志の秘書に連絡を入れても、返ってくるのは「会議中ですので」という事務的な拒絶だけ。まるで壊れたレコードのように。
乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。
私が命の危機に瀕しているこの瞬間、私の夫は、私の存在そのものを遮断している。
「ご家族への連絡は?」
看護師の問いかけに、私はゆっくりと首を横に振った。
「いえ、一人で大丈夫です」
その言葉を口にした瞬間、私の心の中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ落ちた。
入院手続きを済ませ、冷え切った病室のベッドに身を横たえる。
時計の針は、すでに深夜を回っていた。
ブブッ。
スマートフォンが短く振動する。広志からのメッセージだ。
『まだ仕事だ。先に寝ててくれ』
私の病状を気遣う言葉はおろか、「どうした?」の一言さえない。
画面の光が消えていく。
それと同時に、私の中で彼を「あなた」と呼んでいた温かな感情も、完全に消え失せた。
南広志。
これからは、ただそう呼ぼう。
長い夜が明け、朝の光が白々しく病室に差し込む頃、ようやくドアが開いた。
「凛、ごめん。昨日はどうしても抜けられなくて」
広志が慌ただしく入ってくる。
彼は私のベッドに歩み寄ると、罪滅ぼしのように私の頬にキスをしようと顔を近づけた。
その瞬間、私の鼻腔を暴力的なまでに甘い香りが襲った。
それは私が愛用しているものではない。見知らぬ女性の香水の匂い。
そして、その奥に微かに、しかし確かに混じるアルコールの澱んだ臭気。
私は反射的に顔を背けた。
広志の唇が空を切り、彼は驚いたように私を見下ろす。
「どうしたんだよ? 機嫌直してくれよ」
彼はわざとらしく疲れた表情を作り、ネクタイを緩める。
「昨日の案件、本当に大変だったんだ。俺だって寝てないんだよ。……水、くれないか?」
彼は当然のように、病人である私にケアを求めてくる。
私はベッドサイドのテーブルにあるペットボトルを、氷のような眼差しで見つめた。
そして、指一本動かさなかった。
「自分で取って」
私の低く、冷たい声に、広志の動きが止まる。
「なんだって?」
「水くらい、自分で飲んでと言ったの」
広志は眉をひそめ、苛立ちを隠そうともせずに大きなため息をついた。
「凛、お前まで俺を追い詰めるのか? 今が俺のキャリアにとってどれだけ重要な時期か知ってるだろ?」
キャリア。
いつもその言葉が、彼の身勝手を許す免罪符だった。
「広志、私たちのこれからについて話したいの」
私がそう切り出すと、彼は露骨に嫌悪感を滲ませた。
「今は無理だ。頭が痛いんだよ。そういう重い話はまた今度にしてくれ」
彼はそう吐き捨て、上着を脱ぎ捨てると、逃げるようにソファへ倒れ込もうとする。
無造作に椅子に掛けられたジャケット。
その重みでポケットの口が開き、プラスチックのカードと一枚の写真が、重力に従って滑り落ちた。
カタン。
床に落ちたそのカードは、都内の高級ホテルのルームキー。
そして写真は、広志と若い女性――柳詩織が、頬を寄せ合って幸せそうに笑っているものだった。
心臓が早鐘を打つどころか、全身の血液が瞬時に凍りついていくのを感じた。
私は震える足でベッドから降り、その「真実」を拾い上げる。
「広志」
私の呼びかけに、彼が億劫そうに目を開ける。
私はルームキーと写真を、彼の顔めがけて投げつけた。
プラスチックが彼の頬に当たり、乾いた音を立てて床に転がる。
「これは何?」
広志は床に散らばった写真を見て、一瞬だけ息を止めた。
しかし、すぐに視線を逸らし、私と向き合うことを拒絶した。
その横顔に浮かんでいたのは、妻を裏切った罪悪感ではない。
バレたことへの舌打ちと、面倒ごとは御免だという冷酷な計算だけが透けて見えた。
私の痛みなど、彼には一ミリも届いていないのだ。
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