普通の人よりほんの少しだけ彼女は勇気と優しさ―――そして何より「頼まれたら断れない」という性質を持っていた。 魔王討伐を半ば無理やり引き受けたものの行く先々で頼み事をされた彼はそれをこなしている間に―――、魔王軍は人類側の拠点を落としていた。 一方、彼女はその別世界で裏ボスを倒していた。
永く、辛く、苦しい戦いだった。
彼女は孤独だった。常に孤独だったわけはない。時に彼を助け、励まし、支えてくれる者は大勢―――、夜空に輝く星の数ほどいた。
彼女は弱きを助け、強きをくじいた。
弱き者の代わりに怒り、強き者の為により強い者に立ち向かい、そして勝ち続けた。
いつしか世界の誰もが彼をこう呼んだ。
————勇ましき者、即ち《《勇者》》と。
彼の行くところには冒険があり、彼を―――世界の誰もが頼りにした。
敵は、強大だった。
彼女とて最初から強かったわけではない。
人間が誰しも赤子から生まれるように、彼女も最初は唯の人だった。
ただ、最初の一歩を踏み出したその時、《《強くならなければならない》》と彼女自身が決めたのだ。
故に、悔いなどあるはずもない。
蜥蜴が火を吐かなければならないから竜になるように、そうして彼も人間の枠を超え―――勇者となったのだ。
その勇者が真に戦うべき相手が―――目の前にいた。
彼女をして全身が総毛立つ程の圧倒的存在感と恐怖。
彼女が今まで幾度となく潜り抜けた死線を嘲笑うかの如き存在感。
彼女はこの時思った。
「もし、『死』というものが形を得ているのなら間違いなく《《これがそう》》だ」と。
しかし、撤退することなど許されなかった。
彼女は―――勇者だから。
自身に言い聞かせ、震える膝を奮い立たせ、逆流する血を飲み込んで不敵に笑った。
そうして、死闘の末、彼女は勝利を収めた。
戦いは三日三晩に及び辺りの地図が書き換える必要があるほどに破壊し尽くされた。
彼女は瓦礫の上に立っている。
眼下には先ほどまで死闘を繰り広げた―――魔界の神を名乗る人物が胸を貫かれて倒れ伏している。
それが確かに絶命しているのを確認すると、漸く彼女は倒れ込む。
もはや指一本動かす力も残っていない。体力も魔力もとうに底を尽いて久しい。
しかし、彼女は天を仰ぎ満足気に微笑む。
終わった。
この身は間もなく朽ちるだろう。
だが、最後に世界を。皆の居る世界を守れたのだ。
だから、悔いはない。
そう思い、瞼を閉じる。
意識はすぐ、闇に飲まれていった。
「あー……感傷に浸ってるところ悪いんだけどね?」
「はぇ?」
気が付くと彼女はどことも言えない、暗闇の中に居た。
「うん。驚くのも無理はない。こうして君の深層意識にお邪魔させてもらっているんだ。一応尋ねておくけど、僕が誰だか分かるかな?」
若い男性のような声に彼女は聞き覚えがあった。むしろ今まで何度も道標を示してくれた存在を忘れるはずがなかった。
「えっと……神様、ですよね」
「うん。よかった。そうだよ。私は君の世界の神様だ」
穏やかに笑ってそういう男性は申し訳無さそうに続ける。
「実はね。大変なことになっているんだ」
「大変……ですか?」
彼女はごくりと唾を飲むと、神様を名乗る男性は言う。
「君は、違和感を覚えなかったかい?ある時を境に私からの声が聞こえなくなったことに」
「あっ、そうですね……。あれ?おかしいなあとは思ってたんですけど……」
「うん。そう。おかしい。実におかしいことだったんだよ」
神様の話は要領を得ない。彼女は意を決して尋ねる。
「い、一体何を仰りたいのですか?私、何かやらかしちゃったんですか?でも……私はこの通り魔神をやっつけて―――」
「そう。そこなんだよ」
神様はどこからか取り出した杖で地面―――に該当するのかは分からないがコン、と叩く音がする。
すると、それまで暗闇だった世界の眼下に地面が広がる。
「これが、君が魔神を倒した世界だ」
そこは火山が絶え間なく噴火し、毒の煙が蔓延する死の大地だった。人々は常に獰猛な魔物に怯え暮らしていた。
その魔物達を従えているのが―――彼女が倒した魔神だった。
「君は疑問に思わなかったのかい?本来これらの魔物は君のいる世界には生息しない極めて強力な存在だったんだ。あぁ、勘違いしないで欲しい。怒っているわけではないんだ。むしろ驚いていてね」
「は、はぁ……まぁ、なんというか深刻そうな悩み事をしている人のお願いを聞いてる内に変なところに来ちゃったなーとは思ってましたけど……」
彼女の言葉に神様はなんとも言えぬ……複雑そうな顔をした後咳払いを一度する。
「おほん。うん、つまりね。《君が本来救う世界はここじゃなかったんだ》」
神様は額に手を当てると、観念したように言った。
「え?」
「いや。だからね。私の声が届かなくなったのは君が私の治める世界とは違う世界に行ってしまったからなんだよ。言うなれば何ら関係ない……は言い過ぎか。いずれは私の世界にも侵略してくるつもりだっただろうから……。ただ順番がね?大分前倒しになってしまったんだ。」
「えーーーーーーーっ!!!??」
彼女の叫びが響き渡る。
「こうして魔神を倒したことで漸く私は君に干渉することが出来るようになったんだけど……」
「あっ、あのあのあの!じゃあ《本来私が救うはずだった世界》は……?」
「あぁ……うん。それなんだけどね」
神様は再び杖で地面を叩く。
眼下に広がる景色が緑豊かな大地と青い海を映す。
これが彼女のよく知る世界だ。地図を確認し冒険した世界だ。
「あれ……?」
そこで、彼女は気付いてしまう。
「あの……神様?」
「……うん」
ぎぎぎ、と錆び付いた歯車が動き出すようなぎこちなさで彼女は首を動かす。
「私のよく知るお城の……旗が……」
そこは彼女が初めて『勇者』として認められた戦い―――。魔王軍の幹部の一人と決戦を繰り広げた土地だった。
その城に掲げられていた旗は勇猛な騎士と王家を称える紋章ではなく。
邪なる者を祀り人間を貶めるかのような髑髏の薄気味悪い旗が掲げられていた。
「…………残念だけどね。君が別世界で戦っている間、勇者という希望を失ったこの世界は魔王軍に乗っ取られてしまったんだ」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!?」
「と、いうわけで」
神様はそれまでと打って変わって明るい声で彼女に語り掛ける。
「今から君を元の世界に呼び戻すから。なんとかして再び人類を勝利へ導いてくれたまえ。なーに。魔神を倒した君なら魔王なんて一捻りさ。いやー君と連絡が取れなくなった時は本気で焦ったけど君が魔神を倒してくれたお陰でこうして私の世界と繋げることが出来た。ある意味では感謝かな。あぁいや私の管理する世界が増えたという意味ではよくもやってくれたなと思わなくもないけれどそれはそれだ」
神様はこほん、と咳払いをする。
「では勇者『マリア・ロンベルク』よ!!再び世界の危機、しかも最初より悪化した状況から人類を救う為再び旅立つのだーーー!!」
そう言って神様は杖を振うと、暖かな光が勇者―――マリアを包み込み飛んで行く。
彼女の冒険は―――再び始まるのだった。