契約妻を辞めたら、元夫が泣きついてきた

契約妻を辞めたら、元夫が泣きついてきた

藤宮 あやね

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冷徹な契約結婚のはずが、気づけば本気になっていた―― 藤沢諒との結婚生活で、神崎桜奈はただひたすらに尽くしてきた。 だが火災の夜、彼が守ったのは「初恋の彼女」。 心が砕けた彼女は静かに家を去り、すべてを捨てて離婚届に判を押す。 ……数ヶ月後、彼女は別人のように華やかに輝いていた。 恋敵たちが列をなす中、彼は懇願する。「君がいないとダメなんだ、やり直そう」 その言葉に、彼女は微笑む――「再婚希望?じゃあ四千万円から並んでね」

第1章火災

汐見市。

旧市街の古びた建物の一室から出火した。火は風に煽られ、瞬く間に燃え広がり、濃い煙と紅蓮の炎がビルの大半を包み込んだ。

「救出したぞ!生きてる..!」

神崎桜奈は消防隊員に抱えられ、道端へと運び出された。

端整な顔には煤がべったりとつき、いつもなら潤んでいた桃花の瞳も、今はただ茫然と前を見つめていた。まるで、魂が抜けたように。

我に返った瞬間、生き延びた安堵が一気に押し寄せ、礼儀や作法などどうでもよくなった。かすれた声で「ありがとう」と消防員にだけ伝えた後、彼女は手と足を震わせながら、夢中でスマートフォンを探り始めた。 震える指で、無意識にあの馴染みきった番号を押していた。

「申し訳ありません。ただいま、おかけになった相手は通話中です。しばらくしてからおかけ直しください..」

コール音が数回鳴っただけで、無情にも切られた。喉まで込み上げた悔しさと寂しさが詰まり、言葉にならない。胸の奥からじわじわと、苦しさが全身に広がっていく。

「ドンッ!」

突然、轟音が冷たい自動音声をかき消した。桜奈がはっと顔を上げると、ついさっきまで自分がいた部屋が、爆発を起こしていた。

衝撃波に巻き上げられた瓦礫が、空を舞いながら四方八方に散っていく。

誰もがその瞬間、恐怖に凍りついた。特に、さっき助け出されたばかりの人々は悲鳴を上げ、互いに抱き合って怯えたまま身を寄せ合っていた。その光景の中、担架の上にひとりぽつんと横たわる桜奈の姿だけが、ひときわ孤独だった。

「藤沢諒..」桜奈は唇を噛みしめ、諦めきれずにもう一度電話をかけた。

だが、やはり向こうは数回のコールのあと、無情にも切断された。

そのとき、不意に通知が画面に跳ね上がった。

――#トップ女優・高橋光凜、謎の御曹司彼氏と交際疑惑浮上#

煽情的な見出しの下には、マーケティング系のアカウントによる暴露記事が続いていた。 曰く、あるバラエティ番組のプロデューサーが高橋光凜を食事に誘い、彼女が酒を断ったことで口論に発展した、という。 彼女の「御曹司彼氏」は、ちょうどその場を通りかかり、プロデューサーに一切の顔も立てず、高橋光凜をそのまま連れ出していったという。

その暴露記事はやたらと臨場感たっぷりで、まるで現場で「社長が恋人を堂々と庇う姿」を目撃したかのような書きぶりだった。

ただし、男の正体がバレるのを恐れてか、添付された写真には彼の顔は映っておらず、背中だけが写っていた。その男の背後では、高橋光凜がサイズの合っていないスーツジャケットを羽織り、にこにこと笑みを浮かべながら彼の後ろをついて歩いていた。まるで、その手を取ろうとしているように、彼女は腕を伸ばしていた。

桜奈は、ただぼんやりとスマートフォンの画面を見つめた。視線は、写真の一点に吸い寄せられた。

..藤沢諒だった!

高橋光凜が羽織っていて、そのサイズの合わないスーツジャケットを――桜奈は、一目で見抜いた。

藤沢諒のスーツは、すべて翠島国王室御用達の仕立て屋によるオーダーメイド。どれひとつとして同じものは存在しない。桜奈にとっては、見慣れすぎるほどに見慣れた品だった。

彼女はスマートフォンを握る手に力を込めた。関節が浮き上がり、血の気が引いて真っ白になった。心臓はまるで、酢の壺の中に浸されて、ぐいぐいと揉み潰されるかのように――酸っぱく、痛んだ。

生死の境をさまようそのとき、彼は彼女の電話を切り、高橋光凜のそばにいた。

二年以上の結婚生活は、一体、何だったのだろう。

必死に抑え込んできた涙が、この瞬間、堰を切ったようにあふれ出した。

桜奈は天を仰いだが、それでも涙は勝手に頬を伝って落ちていった。

高橋光凜は、藤沢諒の初恋の人だった。世間の噂では、藤沢家は「普通の家庭の娘」である彼女を受け入れなかったと言われている。

二人はついに家の反対にあい、引き裂かれた。高橋光凜のほうから、別れを切り出したという話だ。

その後、藤沢諒は血のにじむような努力を重ね、藤沢家の後継者の座を手に入れた。

本当は、あの時、高橋光凜と再び一緒になれると思っていたのだろう。だが、彼女にはすでに新しい相手がいると知った。

それが藤沢家に対する当てつけだったのかどうかはわからない。ただ、彼はあえて同じように「何も持たない女」――神崎桜奈を選び、彼女を「藤沢家の妻」の座につけた。それは、良家の令嬢を藤沢諒に押し込もうとする者たちの期待を、根こそぎ断ち切る選択でもあった。

その頃の桜奈は、祖母の高額な治療費のために、神崎達也に無理やり結婚を迫られていた。相手は、神崎グループの取引先に属する、放蕩者として有名な御曹司だった。

お互いの思惑が一致した。二人は「契約結婚」という形で結ばれた。

婚約期間は、たったの一年。それでも、期限が過ぎた後もふたりは関係を解消せず、無言のまま、結婚生活を続けていた。 今となっては、とうに契約の期限など過ぎていた。桜奈は信じていた――自分はもう本物の「藤沢の妻」になれたのだと。けれど、それはすべて彼女ひとりの思い込みに過ぎなかった。

さっき、もう少しで火の海に飲まれるところだった。必死でかけた二度の電話は、どちらも冷たく切られた。そのとき彼は高橋光凜のそばにいたのだ。

桜奈が信じていた「偽りの関係が本物になる」という幻想は、高橋光凜の登場によって、無惨に打ち砕かれた。それは、白昼夢から現実へと引き戻される瞬間。しかも、これ以上ないほど痛烈な目覚め方だった。

彼女は、代わりの存在ですらなかった。藤沢諒が家族への当てつけとして利用した、ただの道具にすぎなかったのだ。

しばらく呆然としていた桜奈の目に、静かに涙がにじみ始めた。こらえきれず、瞳が赤く染まっていく。

――もう、終わりにすべきなのかもしれない。これ以上、自分に都合のいい幻想にすがっていてはいけない。独りよがりな希望で、自分を騙し続けるのは..もうやめよう。

..

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