四十九冊の本、ただ一つの清算

四十九冊の本、ただ一つの清算

Gavin

5.0
コメント
クリック
8

私の夫、彰人にはあるパターンがあった。 彼が浮気し、私がそれに気づくと、私の本棚には希少な古書が一冊増える。 四十九回の裏切りと、四十九回の高価な謝罪の品。 それは取引だった。美しい物と引き換えに、私は沈黙を守る。 だが、四十九回目が限界だった。 彼は、死にゆく父の手を握って交わした約束を破り、父の授賞式をすっぽかした。 高校時代の恋人、樹里のためにマンションを買うためだった。 その嘘はあまりにもあっけらかんとしていて、不倫そのものよりも私の心を粉々に砕いた。 そして彼は、彼女を私の母の追悼庭園に連れて行った。 母のベンチの隣に、彼女が飼っていた死んだ猫の記念碑を建てようとするのを、彼はただそばに立って見ていた。 私が二人を問い詰めたとき、彼は臆面もなく私に思いやりを求めてきた。 「少しは思いやりを持とう」と彼は言った。 母の記憶を冒涜する女への思いやり。 私が経験した流産という、神聖な悲しみを、汚らわしい秘密のように彼が漏らした女への思いやり。 その時、私は悟った。 これは単に心が傷ついたという話ではない。 これは、私が彼と共に築き上げた嘘を、解体する物語なのだと。 その夜、彼が眠っている間に、私は彼のスマートフォンに盗聴アプリを仕込んだ。 私は選挙プランナーだ。これより少ない情報で、いくつものキャリアを潰してきた。 五十冊目の本は、彼の謝罪にはならない。 私の、最後の声明になるのだ。

第1章

私の夫、彰人にはあるパターンがあった。

彼が浮気し、私がそれに気づくと、私の本棚には希少な古書が一冊増える。

四十九回の裏切りと、四十九回の高価な謝罪の品。

それは取引だった。美しい物と引き換えに、私は沈黙を守る。

だが、四十九回目が限界だった。

彼は、死にゆく父の手を握って交わした約束を破り、父の授賞式をすっぽかした。

高校時代の恋人、樹里のためにマンションを買うためだった。

その嘘はあまりにもあっけらかんとしていて、不倫そのものよりも私の心を粉々に砕いた。

そして彼は、彼女を私の母の追悼庭園に連れて行った。

母のベンチの隣に、彼女が飼っていた死んだ猫の記念碑を建てようとするのを、彼はただそばに立って見ていた。

私が二人を問い詰めたとき、彼は臆面もなく私に思いやりを求めてきた。

「少しは思いやりを持とう」と彼は言った。

母の記憶を冒涜する女への思いやり。

私が経験した流産という、神聖な悲しみを、汚らわしい秘密のように彼が漏らした女への思いやり。

その時、私は悟った。

これは単に心が傷ついたという話ではない。

これは、私が彼と共に築き上げた嘘を、解体する物語なのだと。

その夜、彼が眠っている間に、私は彼のスマートフォンに盗聴アプリを仕込んだ。

私は選挙プランナーだ。これより少ない情報で、いくつものキャリアを潰してきた。

五十冊目の本は、彼の謝罪にはならない。

私の、最後の声明になるのだ。

第1章

家に帰って、私が最初にしたことは、グラスにたっぷりとワインを注ぐことだった。

リビングを通り過ぎ、ダイニングテーブルに山積みになった選挙活動の資料には目もくれず、まっすぐ書斎に向かった。

ガラスキャビネットの鍵を開け、空っぽの棚にその本を慎重に置いた。

『グレート・ギャツビー』の初版本。

美しく、希少で、馬鹿みたいに高価な本。

彰人が私にくれた、四十九冊目の本だった。

四十九回の裏切りに対する、四十九回の謝罪。

私がキャビネットを閉めようとしたちょうどその時、彼が入ってきた。

「杏奈、帰ってたんだ」

彼の声は滑らかで魅力的。有権者の票を勝ち取る時と同じ声だ。

彼は私の後ろに回り、腰に腕を巻きつけてきた。

私は体をこわばらせた。彼の感触は、嘘そのもののように感じられた。

「あなた、来なかったわね」

私は感情のない声で言った。

私が話しているのは、父の生涯功労賞の授賞式のことだ。

彰人が「何があっても絶対に行く」と誓った、あの授賞式。

彼は父の手を握り、その目を見て約束したのだ。

父は病気だった。

あの約束は、すべてを意味していた。

「わかってる、ハニー。本当にすまなかった」

彰人は私の肩に顎を乗せて言った。

「直前に献金者の会合が入ってしまって。本当に緊急だったんだ。わかるだろ?」

私には、よくわかっていた。

一時間前、不動産エージェントの友人から電話があったのだ。

彼女は都心の高級マンションの契約をまとめたばかりだった。

買い手は、永田彰人。現金一括払い。

名義は、高橋樹里。

高橋樹里。

彼の高校時代の恋人。

私たちの結婚生活から決して消えることのなかった亡霊。

その嘘はあまりにもあっけらかんとしていて、彼にとっては簡単なことだった。

それが、不倫そのものよりも私を打ちのめした。

彼は、別の女との愛の巣を買うために、死にゆく私の父を待たせたのだ。

何年もの間、これが彼のパターンだった。

彼が浮気し、私が気づくと、希少な古書が現れる。

私が受け入れることを期待された、静かで高価な謝罪。

それは取引だった。美しい物と引き換えに、私の沈黙。

私は、五十冊目の本が最後になると決めていた。

私たちの終わり。

しかし、彼の嘘の重圧に押しつぶされそうになりながらそこに立っていると、もう待てないと思った。

父を傷つけたこの裏切りが、限界点だった。

「美しい本ね」

彼は私の首筋に温かい息を吹きかけながら囁いた。

いつものように、贈り物がすべてを解決したと彼は思っている。

「ええ」

私は彼の方を向き、無理に微笑んで言った。

「本当に」

証拠が必要だった。

すべてを焼き尽くす前に、醜い真実のすべてをこの目で見なければならなかった。

その夜遅く、彼がシャワーを浴びている間に、私は彼のスマートフォンを手に取った。

手は震えていたが、頭は冴えわたっていた。

私は選挙プランナーだ。これより少ない情報で、いくつものキャリアを潰してきた。

簡単な盗聴アプリをインストールすることなど、朝飯前だった。

二分もかからなかった。

シャワーの水が止まるのと同時に、私はスマートフォンをナイトスタンドに戻した。

彼はバスルームから出てきた。腰にタオルを巻き、完璧な候補者の笑みを浮かべて。

「君と、君のお父さんには必ず埋め合わせをするよ。約束する」

彼はそう言った。

彼はキスをしようと身を乗り出したが、私はわずかに顔をそむけた。

彼の唇は私の頬に触れた。

「ただ疲れているだけよ」

私は言った。

彼は簡単にそれを受け入れた。

自己陶酔に浸る彼は、私の瞳の冷たさに気づくこともない。

一時間後、彼が隣で静かにいびきをかいていると、ナイトスタンドのスマートフォンが震えた。

メッセージの通知が画面を照らす。

私のスマートフォンでは、アプリが即座にそれをミラーリングした。

樹里:あなたのこと考えてる。新しい私たちの場所で早くお祝いしたいな。

私は眠っている彼を見つめた。

この、私が人生を共に築いてきた男を。この、見知らぬ他人を。

私は彼女の公開されているインスタグラムのプロフィールを開いた。

二時間前に新しい投稿があった。

大理石のカウンタートップの上に置かれた、大きな安っぽいハート型のキーホルダーがついた鍵の写真。

キャプションにはこう書かれていた。

『新しい始まり。彼は私の心の鍵を知っている』

彰人はその投稿に「いいね」をしていた。

赤いハートの絵文字一つでコメントまでしている。

彼は自身の選挙キャンペーンページに載っている、完璧な政治家夫婦として微笑む私たちの何十枚もの写真をスクロールして通り過ぎ、愛人のために買ったマンションの鍵の写真に「いいね」を押したのだ。

すると、樹里からまたメッセージが届いた。

樹里:明日は?同じ時間で?

彰人のスマートフォンが再び震えた。

彼は寝返りを打ったが、起きることはなかった。

私は息をのんだ。

私の画面に表示された返信は、彼が眠る前に設定したに違いない、予約送信メッセージだった。

彰人:待ちきれない。杏奈には予算会議だと言っておく。

嘘はすでに準備されていた。

いとも簡単に。

私は暗闇の中で横たわっていた。

スマートフォンの画面が、私の顔を青白く照らす。

頭の中の戦略家はすでに動き出し、次の一手を計画していた。

これはもはや、単に心が傷ついたという話ではない。

これは、嘘を解体する物語。

私の嘘。私が彼と共に築き上げた人生を。

五十冊目の本は、贈り物にはならない。

私の、最後の声明になるのだ。

続きを見る

Gavinのその他の作品

もっと見る
あなたとではない、私の結婚式

あなたとではない、私の結婚式

恋愛

5.0

五年前、私は軽井沢の雪山で、婚約者の命を救った。その時の滑落事故で、私の視界には一生消えない障害が残った。視界の端が揺らめき、霞んで見えるこの症状は、自分の完璧な視力と引き換えに彼を選んだあの日のことを、絶えず私に思い出させる。 彼がその代償に払ってくれたのは、私への裏切りだった。親友の愛理が「寒いのは嫌」と文句を言ったからという、ただそれだけの理由で、私たちの思い出の場所である軽井沢での結婚式を、独断で沖縄に変更したのだ。私の犠牲を「お涙頂戴の安っぽい感傷」と切り捨てる彼の声を、私は聞いてしまった。そして彼が、私のウェディングドレスの値段にケチをつけた一方で、愛理には五百万円もするドレスを買い与える瞬間も。 結婚式当日、彼は祭壇の前で待つ私を置き去りにした。タイミングよく「パニック発作」を起こした愛理のもとへ駆けつけるために。彼は私が許すと信じきっていた。いつだって、そうだったから。 私の犠牲は、彼にとって愛の贈り物なんかじゃなかった。私を永遠に服従させるための、絶対的な契約書だったのだ。 だから、誰もいない沖縄の式場からようやく彼が電話をかけてきた時、私は彼に教会の鐘の音と、雪山を吹き抜ける風の音をたっぷりと聞かせてから、こう言った。 「これから、私の結婚式が始まるの」 「でも、相手はあなたじゃない」

おすすめ

義姉の軽蔑、恋人の偽り

義姉の軽蔑、恋人の偽り

Gavin
5.0

名門、桐朋学園のガラパーティー。特待生のヴァイオリニストである私、小鳥遊詩織は、ようやく自分の居場所を見つけたと感じていた。特に、私の隣には、若くして学園の理事を務める恋人、一条蓮が、当たり前のように寄り添ってくれている。 だが、その時だった。寄付者の名前を映し出すはずだった巨大スクリーンが、突如として切り替わった。そこに映し出されたのは、私の、あまりにもプライベートな寝室の映像。東京中のエリートたちが固唾をのんで見つめる中、私の最も深い屈辱が、衆目に晒されたのだ。 息を呑む音は、やがて残酷な囁きと嘲笑に変わった。私の世界が崩壊していく中、支えであるはずの蓮は、忽然と姿を消していた。数分後、私が彼を見つけたとき、彼は義理の妹である玲奈と勝ち誇ったように笑いながら、私たちの関係全てが、私を破滅させるための「面白い気晴らし」だったと認めていた。 愛した男に裏切られ、家畜のように追い立てられた私は、彼の友人たちによって暗い路地裏へと引きずり込まれた。そこで待っていたのは、想像を絶する拷問だった。激辛のラー油が喉を焼き、恐怖に歪む私の顔をフラッシュが捉え、熱く焼けた鉄ごてが私の肩に烙印を押した。すべては、大衆の娯楽のため。そして、それを許可したのは、冷ややかに「始末しろ」と誘拐犯に指示した蓮、その人だった。 かつて私を擁護してくれた彼が、なぜこれほどまでに悪魔的な仕打ちを企てたのか?私を心身ともに打ちのめし、烙印を押し、この世から消し去ろうとまで望んだのはなぜなのか?この歪んだ復讐の裏に隠された暗い秘密とは何なのか?そして、私は彼の恐ろしい執着から、果たして逃れることができるのだろうか? この、身を引き裂かれるような裏切りは、私を変えた。ただ生き延びるだけではない。私は彼の世界から、私自身のやり方で、完全に消えてみせる。彼が作り出した廃墟に背を向け、私、小鳥遊詩織が、ついに自由になる未来を築き上げるために。

妻の苦い清算

妻の苦い清算

Gavin
5.0

夫、西園寺蓮と私、佳乃は、東京の誰もが羨む理想の夫婦だった。 でも、私たちの完璧な結婚生活は、すべて嘘で塗り固められていた。 彼が言うには、彼が持つ稀な遺伝子疾患のせいで、彼の子を宿した女性は必ず死に至るのだという。だから私たちに子供はいなかった。 そんなある日、死の淵にいる蓮の父親が、跡継ぎを産めと命令を下した。 すると蓮は、ある解決策を提案してきた。代理母だ。 彼が選んだ女、有栖亜里沙は、まるで若かりし頃の私をそのまま写し取ったかのような女だった。 突然、蓮はいつも忙しくなった。「辛い不妊治療の付き添い」だと言って、彼女を支えるために。 私の誕生日を忘れ、私たちの結婚記念日さえもすっぽかした。 私は彼を信じようとした。 パーティーで、彼の本音を盗み聞きするまでは。 友人たちに、彼はこう漏らしていた。 私への愛は「深い絆」だが、亜里沙との関係は「炎」であり、「 exhilarating( exhilarating)」だと。 彼は亜里沙と、イタリアのコモ湖で密かに結婚式を挙げる計画を立てていた。 私たちの記念日のために、と私に約束した、あのヴィラで。 彼は彼女に、結婚式を、家族を、そして人生のすべてを与えようとしていた。 私には決して与えられなかったすべてを。 致死性の遺伝子疾患という真っ赤な嘘を言い訳にして。 裏切りはあまりに完璧で、全身を殴られたかのような物理的な衝撃を感じた。 その夜、出張だと嘘をついて帰ってきた彼に、私は微笑み、愛情深い妻を演じた。 彼は私がすべてを聞いていたことを知らない。 彼が新しい人生を計画している間に、私がすでに、この地獄からの脱出計画を立てていたことも。 そしてもちろん、彼が知るはずもない。 私がたった今、ある特殊なサービスに電話をかけたことを。 そのサービスは、たった一つのことを専門にしている。 人を、この世から完全に「消す」ことを。

すぐ読みます
本をダウンロード