斎藤麻耶子 POV: 結婚記念日の夜, 腹部を焼くような激痛と大量の出血で目が覚めた. 薄れゆく意識の中で, 心臓外科医である夫・航輝に助けを求めようと電話をかけた. しかし, 受話器の向こうから聞こえてきたのは, 彼の幼馴染である由佳璃の声だった. 「航輝は今, 手が離せないの. 私がパニック発作を起こしちゃって」 そう言って電話は一方的に切られた. 私は独り救急車を呼び, 緊急手術を受けたが, お腹の子供と子宮の両方を失ってしまった. 翌朝, ようやく連絡がついた航輝は, 私の言葉に耳を貸そうともしなかった. 「由佳璃は本当に苦しんでいるんだ. 君まで大袈裟に騒いで, 僕を困らせないでくれ」 私が生死の境を彷徨っていた時, 彼は仮病を使った女を優先したのだ. 絶望の中で, 私の八年間の愛は完全に冷め切った. 私は退院と同時に離婚届を送りつけ, 家を解体し, 彼の前から姿を消した. 数ヶ月後, 真実を知り, 全てを失った航輝が泣きながら私の前に現れた. 「麻耶子, やり直そう. 僕には君しかいないんだ」 しかし, 私の隣にはもう, 私を命がけで守ってくれる別の男性が立っていた.
斎藤麻耶子 POV:
結婚記念日の夜, 腹部を焼くような激痛と大量の出血で目が覚めた.
薄れゆく意識の中で, 心臓外科医である夫・航輝に助けを求めようと電話をかけた.
しかし, 受話器の向こうから聞こえてきたのは, 彼の幼馴染である由佳璃の声だった.
「航輝は今, 手が離せないの. 私がパニック発作を起こしちゃって」
そう言って電話は一方的に切られた.
私は独り救急車を呼び, 緊急手術を受けたが, お腹の子供と子宮の両方を失ってしまった.
翌朝, ようやく連絡がついた航輝は, 私の言葉に耳を貸そうともしなかった.
「由佳璃は本当に苦しんでいるんだ. 君まで大袈裟に騒いで, 僕を困らせないでくれ」
私が生死の境を彷徨っていた時, 彼は仮病を使った女を優先したのだ.
絶望の中で, 私の八年間の愛は完全に冷め切った.
私は退院と同時に離婚届を送りつけ, 家を解体し, 彼の前から姿を消した.
数ヶ月後, 真実を知り, 全てを失った航輝が泣きながら私の前に現れた.
「麻耶子, やり直そう. 僕には君しかいないんだ」
しかし, 私の隣にはもう, 私を命がけで守ってくれる別の男性が立っていた.
第1章
お腹が, 焼けるように熱い.
子宮がねじ切れるような激痛に, 私は真っ暗な寝室で飛び起きた.
全身から冷や汗が噴き出す.
隣のベッドは冷たいシーツが広がるばかりで, 航輝の姿はなかった.
また, 徹夜か.
優秀な心臓外科医の彼が, 私との結婚記念日を忘れるはずがないと, 自分に言い聞かせる.
激痛はますます激しくなり, まるで刃物で内臓を掻き回されているようだった.
息が詰まる.
震える手でスマートフォンの画面を開き, 航輝の番号をタップした.
心臓が喉まで飛び出してきそうだった.
電話はすぐに繋がった.
しかし, 聞こえてきたのは, 知らない女の声だった.
「あら, 麻耶子さん? こんな時間にどうしたの? 」
由佳璃の声は, 私の苦痛を嘲笑うように, 楽しげに響いた.
私は痛みに喘ぎながら, か細い声で訴えた.
「こうき…航輝, を…呼んで…お願い…」
由佳璃は, ため息混じりに言った.
「航輝は今, 手が離せないの. 私がパニック発作を起こしちゃって. あなた, こんな時までワガママ言わないでよ」
そう言うと, 由佳璃は一方的に電話を切った.
再度, 航輝に電話をかけた.
しかし, 今度は電源が切られているというアナウンスが流れるだけだった.
私の世界が, 音を立てて崩れていく.
激痛と絶望が, 私の体を硬直させた.
お腹から, 温かいものが流れ出す感覚があった.
私は震える手で救急車を呼んだ.
意識が朦朧とする中, 私は這って玄関に向かった.
鍵を開けなければ.
救急隊員が, 入れなかったら.
朦朧とした意識の中で, 遠くからサイレンの音が聞こえた.
それは, 私を助けに来た音ではなかった.
私を, 置き去りにする音だった.
病院に運び込まれ, 私は緊急手術を受けた.
医師は, 私の意識が薄れる中で「重度の常位胎盤早期剥離」と告げた.
「お子さんは…」と言いかけたところで, 私は意識を失った.
手術は深夜まで及んだ.
その間, 航輝からの連絡は一切なかった.
彼は, 私の緊急事態を知る由もなかった.
翌朝, 私は薄暗い病室で目を覚ました.
主治医が沈痛な面持ちで語った.
「流産です. 大量出血で, 子宮摘出の可能性もありました」
私は, 自分の下腹部にそっと触れた.
そこには, 何もなかった.
空虚な空間だけが広がっていた.
「私の赤ちゃん…」
かすれた声が, 虚しく響いた.
私の目から, 涙が溢れ落ちた.
航輝は, まだ連絡してこなかった.
彼の冷淡さに, 私は深く傷ついた.
しかし, 私は彼に真実を伝えなければならないと思った.
私は震える指で, 再び航輝の番号をタップした.
今度は一回で繋がった.
彼の声は, 疲れているようだった.
「麻耶子? 何かあったのか? 」
彼は, 私が倒れたことを知らないようだった.
私は, 涙声で言った.
「航輝…私…」
しかし, 彼の言葉が私の言葉を遮った.
「由佳璃がね, またパニック発作を起こして. 昨夜からずっと付きっきりなんだ. 君も少しは大人になって, 僕を困らせないでくれないか? 」
彼の声には, 私への苛立ちが滲んでいた.
私は絶望した.
「航輝, 私…病院にいるのよ…」
私は震える声で告げた.
「赤ちゃんが…」
しかし, 彼の言葉は, 私の心を深く抉った.
「またそんなこと言って. 君はいつも大袈裟なんだ. 由佳璃は本当に苦しんでいるんだから, 君まで大騒ぎしないでくれ」
彼の声は冷たく, 私を突き放した.
その時, 電話の向こうから, 由佳璃の声が聞こえた.
「航輝, どこ行くの? 私, 一人じゃ怖いの…」
由佳璃の声は, 甘く, か細かった.
私は, すべてを悟った.
航輝は, 私に「ごめん, また後でかけ直す」と一方的に言い放ち, 電話を切った.
私の手から, スマートフォンが滑り落ちた.
私の心は, 完全に砕け散った.
航輝にとって, 私は何だったのだろう.
彼の言葉が, 私の心臓を握り潰した.
私は, 彼の愛に溺れていた時期の自分を思い出した.
あれは, 航輝の声だったか?
私の知る航輝ではなかった.
私は, 彼が私を愛していると信じていた.
全て, 私の思い過ごしだったのか.
私は, 乾いた笑い声を上げた.
その声は, 病室の冷たい空気に吸い込まれていく.
私の人生は, この笑い声と共に, 終わるのだ.
私は, もう, 泣かなかった.
泣くことすら, 忘れてしまったように, ただ, 呆然と天井を見つめていた.
私の目の奥から, 温かいものが, もう, 何も, 出てこなかった.
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