如月璃奈と時任悠真が結婚して三年目、突然前の恋人が現れた。 璃奈は他人のように振る舞おうとしたが、彼はしつこく絡んできて、「彼女と復縁するつもりだ」と公言した。 ネット上には噂が飛び交い、璃奈は頭を悩ませていたが、記者会見で困惑しているとき、悠真が突然現れ、彼女を抱きしめた。結婚指輪をはめた手で指を絡め、既婚者であることを宣言した。 前の恋人は嫉妬で狂い、目を赤くして叫んだ。「彼女を愛していないなら、俺に返してくれ!」 悠真は彼女の唇に軽くキスをしながら、「俺が愛していないって誰が言った?」と微笑んだ。 璃奈は悠真がただの口先だけだと思っていた。二人の間に深い感情があるとは言えなかったからだ。 親戚の集まりで年配者から子供を急かされると、悠真は璃奈の手を取り、「子供?すぐにでも考えるよ!」と答えた。 後になって璃奈は知ることになる。悠真がずっと密かに自分を愛していたのだと。
「如月さん、佐伯蓮司が帰ってきたって聞いたけど、知ってる?」
賑やかなはずの個室に、その声は妙にクリアに響いた。 如月璃奈の隣に座っていた女子学生が、探るような笑みを浮かべて口を開く。
今夜は大学の同窓会。 懐かしさとアルコールでほどよく温まっていた空気は、佐伯蓮司という名前が投じられた瞬間、ぴんと張り詰めた。 好奇と悪意の入り混じった視線が、まるで合図でもしたかのように一斉に璃奈へと注がれる。
誰もが、彼女がどう反応するのかを固唾をのんで見守っていた。 大勢が集う円卓の中にあって、璃奈の存在はひときわ目を引いた。 その可憐な面立ちは、まるで月光を練り上げて彫り上げたかのようで、白い肌は気品ある艶を帯びている。
璃奈の美しい瞳は凪いだ水面のように静かで、目の前のグラスを手に取り、そっと一口含んだ。 「知らないわ」間髪入れず、別の声が追い打ちをかける。
「昔はあんたたちの恋、本当にすごかったもんね。 みんな、絶対結ばれると思ってたのに。 まさか、あなたが他の男と結婚するなんて。 今や蓮司はスターライト・エンタメの大社長よ。今さら後悔してるんじゃないの?」
元クラスメイトの女子が、隠しきれない嘲笑を声に滲ませる。 「あなたの旦那さん、少しは甲斐性があるらしいけど、蓮司ほどじゃないでしょ。 新しい恋人より古い恋人の方がいいって言うし。 ねぇ?」
あちこちで、くすくすと抑えた笑い声が漏れた。
アルコールのせいか、同級生たちの声が不快なノイズのように頭の中で反響する。 璃奈はそれ以上彼らの声を聞きたくなくて、ハンドバッグを手にすっと立ち上がった。 「みんなは続けて。 私、ちょっと気分が優れないから、お先に失礼するわ」
「おいおい、そんなに急いでどうしたんだよ。 旦那がお帰りの催促か?」
揶揄するような男の声が響いた、その時。 不意に個室の扉が開き、二つの人影が滑り込んできた。
璃奈が顔を上げると、その影の奥に立つ男――佐伯蓮司と、目が合った。
三年という歳月は、彼をすっかり変えていた。 体に吸付くような黒のスーツを纏い、かつての面影を残しながらも、全身から放たれる空気はナイフのように鋭く、研ぎ澄まされている。 視線は真っ直ぐに、璃奈だけを射抜いていた。
先に声を上げたのは、蓮司の寮のルームメイトだった須藤明彦だ。
佐伯蓮司の登場に、個室にいた女性陣の目が色めき立つ。 彼の容姿は昔から群を抜いており、学生時代も学内の王子様的存在だったのだから。
須藤明彦は璃奈に侮蔑の色を隠さない視線を向け、唇の端を歪めて言った。 「如月璃奈、いっそ旦那も呼んで一緒に飲んだらどうだ?」
「彼は忙しいので。 私もこれで失礼します」 璃奈は蓮司の突き刺さるような視線をあえて無視し、須藤に軽く会釈だけして、その場を去ろうとした。 璃奈の背中が見えなくなると、須藤は待ってましたとばかりに蓮司の肩を叩いた。
「見たかよ、蓮司。 今さらお前にどの面下げて会えるってんだ。 見栄を張ってお前を捨てたくせによ。 あんな女、ここにいる資格なんてねえんだ」
蓮司は須藤の言葉に何の反応も示さず、ただ無言で踵を返し、璃奈が消えた方へと歩き出した。
「おい、どこへ行くんだよ!」背後で須藤が訝しむ声が響いた。
璃奈はエレベーターを降り、ホテルのエントランスへと足を速める。
「如月璃奈!」 鋭い声と共に、蓮司がすぐ隣に追いつき、強く腕を掴んだ。 「俺の顔を見た途端に逃げるのか? 何か後ろめたいことでもあるのか?」 不意に腕を掴まれ、璃奈の体はぐらりと傾いだ。 掴まれた箇所から、彼の体温がじわりと伝わってくる。
冷ややかに彼を一瞥し、低く呟いた。 「放して」 蓮司は腕を放すどころか、むしろ力任せに自分の方へと引き寄せた。
身長差を利して、彼女を覗き込む。 その瞳には、怒りと……それから、見捨てられた男のプライドが渦巻いていた。 「俺を捨ててあいつと結婚した結果がこれか? そいつは、お前にろくなアクセサリーひとつ買ってやれないのか。 これが、お前の選択か?」
「私のことは、あなたには関係ないわ」 肌に触れる彼の指が不快で、璃奈はありったけの力でその手を振り払おうとした。
二人がエントランスホールで揉み合っていた、その時。
まるで空気を切り裂くような静かなエンジン音と共に、一台の黒いランボルギーニが滑るようにエントランス前へと乗りつけた。
見慣れたナンバープレートに、璃奈の美しい瞳が微かに揺れる。
その変化を、蓮司は見逃さなかった。 振り返った彼の視線の先で、車のドアが静かに開く。 知らず、その瞳の奥が険しさを増した。
長い脚をしなやかに伸ばし、車から降り立った長身の影。 彼が現れた瞬間、周囲の温度がすっと下がり、空気が張り詰めるのを感じた。
璃奈はその隙をついて蓮司の手を振りほどき、彼の方へ駆け寄った。 「明後日、帰るんじゃなかったの?」
時任悠真は歩み寄り、ごく自然な仕草で璃奈の腰を引き寄せ、庇うように抱いた。 その声は低く、心地よい磁性を帯びている。 「仕事が早く片付いたから、戻ってきた」
蓮司の視線が、二人の親密な仕草に突き刺さる。 瞳の光が、見る間に翳っていく。
悠真は冷ややかな瞳で佐伯蓮司を値踏みするように一瞥し、言葉は璃奈に向けた。 「君の同級生か?」
璃奈の瞳に驚きがよぎる。 彼が自分と蓮司の関係を知らないはずがないのに。 その場の空気が、とたんに息苦しいほど気まずくなった。 彼女は黙って頷くことしかできない。
悠真は小さく頷くと、真っ直ぐに蓮司を見据えた。 「はじめまして。 如月璃奈の夫です」
第1章新しい恋人より古い恋人の方がいい そんなわけない
05/02/2028
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