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シャンゼリゼグランドホテル。
早川寧寧は医療系の学術会議を終え、ロビーから外へ出た途端、吹きつけてきた冷たい風に思わず肩をすくめた。骨の髄まで凍るような寒さだ。
ポケットからスマホを取り出し、夫・川村真佑にメッセージを送ろうと、画面を開いたそのとき――
ニュースの見出しが目に飛び込んできた。
『川村グループ、新型標的薬の開発に成功 シャンゼリゼグランドホテルにて祝賀パーティー開催』
「……え?」一瞬、見間違いかと思った。
新型標的薬は、寧寧が夫――川村真佑の会社・川村グループのために開発したものだ。その祝賀パーティーが、まさに今このホテルで開かれている?なのに、自分には一言の連絡もない――?
胸の奥がざわつきながらも、寧寧は少しだけ迷い、きゅっと唇を噛むと踵を返した。エントランスを抜け、案内ボードに目をやる。「三号ホール 川村グループ 新薬開発祝賀会」
宴会場の入り口まで来た瞬間、寧寧の足が止まる。視界の正面、スポットライトに浮かび上がるようにして、真佑と荒木雪乃が寄り添って立っていた。背の高い男と、華やかな女。まるで絵画の一場面みたいに“絵になる二人”だった。
荒木雪乃は、寧寧と同じ病院の同僚であり、真佑の幼馴染みでもある。
――ただの幼馴染み、のはずだった。けれど今の二人の距離は、そんな言葉ではとてもごまかせない。
男の大きな手が雪乃の腰をしっかりと抱き寄せ、時おり向けられる視線は、どうしようもなく優しく、甘い。
真佑……
あの目で――彼が自分を見たことなんて、一度でもあっただろうか。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。こみ上げてくるみっともない感情を、なんとか飲み込もうとしたそのとき、
そばで飲んでいた真佑の友人たちの声が、嫌でも耳に入ってきた。
「真佑、お前と荒木先生、ほんっとお似合いだよな。 いつになったら荒木先生を嫁にもらうんだ?」
「そうそう。荒木先生、美人だし仕事できるしさ。お前が一度も連れてこない、あの地味な奥さんより、よっぽどマシじゃね?さっさと離婚した方がいいって!」
別の男が首をかしげる。「でもさ、その標的薬って、真佑の奥さんが開発したんだろ? 標的薬を作れるあの奥さん、そう簡単には手放せないんじゃないの?」
一言一言が、鋭い針になって寧寧の全身に突き刺さる。骨の隙間という隙間まで、じくじくと痛みが広がっていくようだった。
それでも――寧寧は、まだ彼を信じようとしていた。きっと真佑は、こんなふうに妻を侮辱されても黙ってはいない。そうであってほしい。そうでなければ、今までの自分が、あまりにも哀れすぎるから。
けれど。真佑は鼻で笑い、抱き寄せた雪乃の腰に回した腕を、さらにきつくした。
「あの地味な女に、何の取り柄がある?この標的薬は全部、雪乃が研究してくれたんだ。雪乃こそ、うちの川村グループの大功労者だろ」
――轟、と。頭の中で、何かが爆ぜた。
(……真佑? 今、なんて言ったの?)
昼も夜もなく、何日も何日もかけて作り上げた標的薬。眠る時間を削り、身体を壊すのもかまわず続けてきた研究。その成果を、彼はあっさりと別の女の手柄にしてしまった。
視界がじわりとにじむ。涙があふれそうになるのを、寧寧は歯を食いしばってこらえた。
彼を何年も、ずっと好きで。川村グループのためにどれだけのものを差し出してきたか。
それが今では、笑い話にしか見えない。自分自身が、滑稽な冗談そのものみたいだ。
――ああ、私はこの結婚で、完膚なきまでに負けたんだ。
胸の奥が鈍く痛む。息を吸うだけで苦しい。
このままここにいたら、みじめな顔を誰かに見られてしまう。それだけは嫌で、寧寧は踵を返し、足早に化粧室へと向かった。
どうにか涙の跡を整え、深呼吸をしてから化粧室を出る。そのとき――
「ねえ真佑、いつになったら早川寧寧を追い出してくれるの?正式に籍を入れたのは私なのに、あの女が“川村夫人”の肩書きを何年も名乗ってるなんて、納得いかない」甘えているようで、どこか傲慢な女の声が耳に飛び込んできた。
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