夫のオフィスに携帯の充電器を取りに行った。 中から聞こえてきたのは、夫の声ではなかった。 低く喉の奥から響く、私の「親友」須崎紗奈の笑い声だった。 私は飾り物の妻だった。夫に「恥をかかせるな」と言われ、まともな職を持つことを禁じられた。扉を開けると、そこには予想通り陳腐な光景が広がっていた。夫の瑛太と、彼の膝にまたがる紗奈。二人の顔に羞恥心はなく、ただ不機嫌そうな視線を私に向けた。瑛太は私を追い払うように手を振り、紗奈は「トレーラーハウスにでも戻るつもり?」と嘲笑った。 彼らの傲慢さに、喜びではなく疲労が押し寄せた。震える手は、恐怖からではなく怒りからだった。瑛太は私の腕を掴み、「俺が終わったと言うまで、終わらない」と脅した。私は彼の足を踏みつけ、振り払った。エレベーターに乗り込んだ私は、膝から崩れ落ちた。だが、泣きはしなかった。 私は、誰にも知られていない使い捨ての携帯を取り出し、教授からのメッセージに返信した。「檻は壊れた。鳥は濡れている。」私の戦いは、今、始まったばかりなのだ。
ノー
オーク材の重厚な両開きの扉の真鍮製の取っ手は、千羅の手のひらに氷のような冷たさを伝えた。この廊下で冷たいのはそれだけだった。「ヴァンス・イノベーションズ」の三十四階は、数十億ドル規模のテクノロジー帝国が放つ、目に見えない狂騒的なエネルギーでむせ返るような熱気に満ちていた。だが、夫のオフィスの前に立つこの場所だけは、空気が止まっていた。死んだように、静まり返っていた。
彼女はここにいるべきではなかった。今日は火曜日だ。火曜日はいつも、図書館でのボランティア活動か、地下の書庫の整理に充てていた。瑛太が彼女に許した、いわゆる「忙しい仕事」だ。彼が「恥をかかせるな」と、彼女がまともな職に就くことを禁じた結果だった。火曜日は、どこからともなく現れ、何も知らない飾り物の、物言わぬ妻、伊藤千羅として過ごす日だった。
だが、携帯の充電器を忘れてしまった。些細で、馬鹿げた理由が、結婚の終わりを告げようとしていた。
彼女は取っ手を握る手に力を込めた。押し下げようとした、その時だった。
笑い声が聞こえた。
それは瑛太の笑い声ではなかった。彼の笑いは、役員会議で支配力を誇示するために使う、訓練された鋭い吠え声のようなものだ。この声は低く、喉の奥から響く、女性のものだった。その声は重い扉を震わせ、千羅の胃の腑に直接響き渡り、朝飲んだコーヒーを酸に変えた。
彼女はその笑い声を知っていた。須崎紗奈。彼女の「親友」。三年前、彼女のウェディングドレス選びを手伝ってくれた女性。そして、現在この会社の最高マーケティング責任者である女性。
千羅はノックしなかった。自分の存在を知らせることもなかった。あの笑い声が耳に届いた瞬間、礼儀作法などというものは消え去っていた。
彼女は取っ手を押し下げた。カチリと、鋭く機械的な音が響き、扉が開いた。
中に広がっていた光景は、裏切りというだけではなかった。それは、あまりにも陳腐な、ありふれた光景だった。予測可能すぎて、彼女なら途中で電源を切ってしまうような安っぽい映画の一場面のようだった。
瑛太は革張りのソファに座り、ネクタイを緩め、白いワイシャツの襟元をはだけていた。紗奈は彼の膝の上にまたがり、スカートを太ももの上までたくし上げ、頭を後ろに反らせていた。彼らは、野心と欲望が絡み合った塊だった。
扉がストッパーにぶつかる音が、銃声のように響いた。
紗奈は彼から慌てて身を引いたが、そこにあったのは羞恥心ではなく、苛立ちだった。彼女はスカートを撫で下ろし、その指先が生地に触れる仕草は、千羅の視界を歪ませるほどに無頓着だった。瑛太は身を起こした。彼は罪悪感に苛まれているようには見えなかった。恐怖に怯えているようにも見えなかった。
彼は苛立っているように見えた。まるで、間違った注文を持ってきたウェイトレスを見るかのように。
「千羅」瑛太が言った。彼はネクタイを締め直す。その動きはぎこちないが、正確だった。「ノックもしないのか?」
その厚かましさに、部屋の空気が抜けた。彼は言い訳をしようとはしなかった。彼女のマナーを叱責しているのだ。
千羅は扉の前に立ち尽くした。胸の内に奇妙な感覚が広がった。心臓が鼓動を止め、ただ肋骨に沿って震えているかのようだった。彼女は紗奈を見た。紗奈の口紅は滲んでいた。鮮やかで、暴力的な赤。かつて彼女が、妻がつけるには「派手すぎる」と千羅を説得した色と同じだった。
「話がある」千羅は言った。自分の声に驚いた。震えていない。平坦で、死んだような声だった。紗奈は薄く笑った。一瞬で消え去るような微かな表情だったが、千羅は見逃さなかった。それは、相手が始まっていることすら知らないゲームに勝利した者の顔だった。
「あら、千羅」紗奈が、偽りの心配を滲ませた声で言った。「ひどい状況に見えるのは分かってるわ。でも、瑛太と私はただ……戦略について話し合っていただけなの」
「戦略」千羅は繰り返した。彼女は部屋の中へ歩みを進めた。厚いカーペットが、彼女の安物のフラットシューズの音を吸い込んだ。「今ではそれをそう呼ぶのね?」
瑛太は立ち上がった。彼は巨大なマホガニーのデスクの後ろに回り込み、家具を盾のように二人の間に置いた。そこなら安全だと、彼は感じていた。力がある、と。
「大げさにするな、千羅。君はヒステリーを起こしている。家に帰れ。話は後だ」
彼は手を振った。まるで、食卓から犬を追い払うかのように。
千羅はトートバッグに手を伸ばした。それは古いキャンバス地のバッグで、彼女が伊藤家に入る前から使っていたものだ。瑛太はそれを嫌っていた。貧乏くさく見える、と。
彼女は厚いマニラ封筒を取り出した。何日も持ち歩き、迷い、ためらっていたものだ。中には、図書館で印刷した訴状の草案が入っていた。
彼女はそれをデスクの上に置いた。磨かれた木材に、軽い音を立てて落ちた。
「離婚を申請する」彼女は言った。
その後に続く沈黙は重く、彼女の耳に圧し掛かった。瑛太は封筒に目をやり、それから彼女を見た。喉の奥から笑いが込み上げてきた。あの短く、吠えるような笑い声だ。「君が?俺と別れる?何の金でだ、千羅?君には何もない。俺がいなければ、君は無だ」
紗奈がデスクのそばに歩み寄り、腰を預けて彼に寄り添った。その光景は雄弁に物語っていた。彼ら二人対、彼女一人。
「あら、千羅」紗奈が、甘ったるい声で言った。「早まらない方がいいわ。どこへ行くの?トレーラーハウスにでも戻るつもり?」
千羅は彼女を無視した。彼女は夫と視線を合わせた。「和解しがたい性格の不一致。きれいな別れを望む」
瑛太は書類を手に取った。彼は一枚だけの書類を、嘲るようにめくった。「何もいらない?慰謝料も?家も?」
「ただ、ここから出たいだけ」千羅はきっぱりと言った。彼女は指が震えているのを隠すために、両手を前で組んだ。恐怖からではない。怒りからだ。
瑛太は書類を投げ返した。「結構だ。どうせ一銭も渡すつもりはなかった。俺には鉄壁の婚前契約がある。君がこのドアを出て行けば、君は俺が見つけてやった、あの哀れな慈善事業の対象に戻るだけだ」
「分かっている」千羅は静かに言った。彼女は振り返った。傲慢な瑛太と、してやったりという顔の紗奈の姿は、彼女に喜びではなく、ただ疲労感だけを与えた。
「待て」瑛太が言った。彼の声色が変わった。より暗く、低い声に。「ヴァンス家の人間から、そう簡単に逃げられると思うな。俺が終わったと言うまで、終わらない」
彼はデスクを回り込んだ。「君がマスコミにどう説明するか、話し合うまではどこへも行かせない!」
彼は彼女に手を伸ばした。その手が彼女の手首を掴み、骨が軋むほどに握りしめた。
その一瞬、千羅は考えなかった。本能が閃いたが、殴りつける衝動を抑え込んだ。彼女はここで兵士になるつもりはない。彼女は妻なのだ。
彼女は腕を強く引き戻し、肌の汗を利用して、必死に体をひねって逃れた。そして、彼の足の甲を力いっぱい踏みつけた。怯えた女の、不器用で必死な動きだった。
「離して!」彼女は叫んだ。
瑛太は、足に走った突然の痛みに驚き、手を緩めた。千羅はよろめき、肩がドアフレームにぶつかった。
彼は怒りに満ちた目で彼女を睨みつけた。彼女が反撃するのを、不器用なりにも見たのは初めてだった。彼は涙を、抵抗ではなく、涙を期待していたのだ。
千羅は廊下に立ち、彼に掴まれた手首を握りしめた。そこには赤い跡が残っていた。心臓が、檻に閉じ込められた鳥のように肋骨を打ち鳴らしていた。
「法廷で会いましょう、伊藤瑛太」
彼女は振り返り、エレベーターへと向かった。走らなかった。呼吸を整え、リズムを刻むように歩いた。
カチリ。カチリ。カチリ。
彼女はエレベーターにたどり着いた。ボタンを押す。扉が滑るように開いた。彼女は中へ入った。
扉が閉まり、自分の名前を叫ぶ夫の姿を遮断した瞬間、伊藤千羅はついにこらえていた息を吐き出した。彼女の足から力が抜け、エレベーターの金属製の壁に寄りかかり、床に崩れ落ちた。彼女は膝を抱え、顔を両手で覆った。
彼女は泣かなかった。泣けなかった。泣くことのできる彼女の一部は、ずっと前に死んでいた。だが、彼女の手は激しく震え、セールで瑛太が買ったささやかなダイヤモンドの結婚指輪が、歯に当たって音を立てた。
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