小林静は吉田家に十九年間育てられた偽りの令嬢で、本物の令嬢・吉田絢子の身代わりとして、一度も顔を合わせたことのない死にかけの男・近衛悠真と結婚させられた。 孤児となった彼女が惨めな人生を送ると思われていたが、彼女は姓を小林に改め、一人で立派に生き抜いた。 鷹司暁は海城を代表する権力者で、手段が苛烈で冷酷無情だと囁かれており、身辺にいる幼い息子の母親の素性は最大の謎となっている。 ある日、体調を崩し眠り込んでいた鷹司暁の部屋に女性が踏み込み、彼を一方的に関係を持った。 彼は街中に捜索令を出して犯人を追い求めたが、まさか「犯人」が目の前にいて、しかも自分の息子の担任の先生だったとは思いもよらなかった。 事実が発覚した時、彼は彼女を壁際に追い詰め顎を掴む。 「小林先生、大胆な真似をしてくれたな」 彼女は長年しまっておいた結婚証明書を取り出し、言い返す。 「私があなたと関係を持ったのは、正当な夫婦だからだ」 それをきっかけに、彼は彼女を骨まで愛し、何もかも甘やかし尽くすようになる。 街中の女性たちは嫉妬に狂い、陰口を叩く。 「小林静は計算高いわ。鷹司家の坊やの継母になるため、わざわざ幼稚園の先生になったのよ」 「名家の継母なんて簡単な立場じゃない。一ヶ月も経たないうちに鷹司家から追い出されるに一票」 翌日、小林静は SNS に親子鑑定の結果画像を投稿し、一文を添えた。 「申し訳ない、血のつながった実の親子です」
『今夜、近衛悠真様に会っていただく』
携帯のスピーカーから響く養父、吉田正雄の声には有無を言わせぬ圧があった。
結婚して四年間、一度も顔を合わせたことのない「夫」。当時、危篤状態だった近衛悠真に、彼女は厄除けの道具として無理やり嫁がされたのだ。
小林静は車の中で、スマートフォンの画面をただ見つめる。そこに表示された養父の名が、まるで彼女の首を絞める冷たい鎖のように感じられた。
『それがお前が吉田家のためにできる、唯一の貢献だ』
貢献。その言葉が、静の胃を抉る。
脳裏に、祖母、吉田千代の優しい顔が浮かんだ。「静、夫がまだ生きているのなら、一度直接会って、離婚するにせよこのまま夫婦として生きていくにせよ、ちゃんと話し合いなさい」——唯一この家で、彼女に温もりをくれた人の言葉。
しかし、養父の正雄は違った。「近衛の背後にある勢力は、我々吉田家が到底手を出せるものではない。絶対に機嫌を損ねるな」と、事あるごとに彼女に警告してきたのだ。
静は深く息を吸い込み、こみ上げる反抗心と複雑な心境を喉の奥に押し込めた。
『……わかりました』
か細い声が、自分のものではないように聞こえた。
通話を切ると、彼女は車の窓の外にそびえ立つきらびやかなホテルを見上げた。その輝きが、自分の置かれた惨めな状況を嘲笑っているかのようだ。唇の端が引きつり、自嘲の笑みが浮かぶ。
その瞬間、後部座席のドアが両側から開けられた。
黒いスーツを着た二人の男が、無表情に「どうぞ」と促す。その仕草は丁寧だが、目に宿る光は監視者のそれだった。
静は静かに車を降りた。
背筋を伸ばし、まるで処刑台に向かう罪人のように、一歩一歩ホテルのエントランスへと歩を進めた。
エレベーターの鏡面に、血の気の失せた、しかし意志の強い光を宿した自分の顔が映る。
上昇していく数字が、まるで運命のカウントダウンのようだ。
男の一人が、小さなグラスに入った酒を差し出してきた。
「正雄様からの心遣いです。景気づけにどうぞ」
硬質な声だった。
静は直感的に、何かおかしいと感じた。だが、男の有無を言わせぬ視線が、彼女から拒否という選択肢を奪う。
彼女はグラスを受け取り、一息にその酒を飲み干した。
チン、と軽い音がして、エレベーターが最上階に到着する。
扉が開くと、厚い絨毯が敷かれた長い廊下が、静寂の中にどこまでも続いていた。
一歩踏み出した途端、静の膝ががくりと折れた。
酒のせいか、視界が急速にぼやけ始める。全身から力が抜け、異常な火照りが身体の芯から広がっていく。頭が酷く眩暈を起こしていた。
酒に何か入れられていたのだ。
黒服の男がぐらつく彼女の腕を掴み、ある部屋の前まで引きずるように連れて行く。
「こちらの部屋です。近衛様がお待ちです」
男はそう言い残すと、彼女を廊下に残して足早に立ち去った。
静は熱い息を吐きながら、ふらつく身体を壁に預けてドアをノックした。しかし、何の応答もない。彼女は震える手でドアノブを回し、鍵の開いていた部屋の中へと足を踏み入れた。
カシャリ、という無機質なロック音が、彼女の背後で静かに鳴った。
部屋の中は薄暗く、カーテンの隙間から差し込む街の灯りが、かろうじて室内の輪郭を照らし出している。
静は壁に手をつき、霞む視界で必死に周囲を把握しようとした。濃いアルコールの匂いと、微かに薬草のような香りが鼻をつく。
視線の先、大きなベッドの上に、一人の男が静かに横たわっていた。
近づいて見下ろすと、その男——近衛悠真は深い眠りに落ちていた。暖色のフットライトに照らし出された容貌は極致と言えるほど俊美だったが、その顔色は酷く蒼白で、まるで触れれば崩れてしまいそうなほどの強い「壊れやすさ」を漂わせていた。
静は熱に浮かされたようにベッドの脇に座り込み、彼を起こそうと、そっと指を伸ばしてその冷たい頬をつついた。
「近衛……さん……?」
肌が触れ合った瞬間、静の身体に電流のような異変が走った。渾身の血が沸騰するような異常な熱と渇望が押し寄せ、四肢からは完全に力が抜け落ちる。逃げ出さなければならないのに、彼女の視線はどうしても目の前の美しい男から離せなかった。
その時、昏睡しているはずの男が突然動き、彼女の手首を強く攥み取った。
男の指の冷たさが、彼女の狂いそうな熱を僅かに和らげる。薬の効力が静の理性を完全に侵食した。ふと、彼女の頭に一つの考えが浮かぶ。(私たちは、元々夫婦なのだから……彼が私の薬を解いてくれてもいいはずだ)
完全に抵抗を諦めた彼女は、自ら身を乗り出し、その薄く形の良い唇に不器用なキスを落とした。
彼女の甘く危険な誘いに触発されたかのように、男の目が突然見開かれた。その瞳に宿る鋭い光が静を射抜く。次の瞬間、世界が反転した。男は瞬時に反撃へと転じ、彼女の身体をベッドへと強く押し倒し、完全に組み敷いた。
逃げ場を失った静の脳裏に、この長く熱い夜が、もう後戻りできない運命の始まりになるという予感がよぎった。
身代わり妻の華麗なる復讐:冷酷CEOと秘密の夜
九条光
恋愛
第1章
今日16:49
第2章
今日16:49
第3章
今日16:49
第4章
今日16:49
第5章
今日16:49
第6章
今日16:49
第7章
今日16:49
第8章
今日16:49
第9章
今日16:49
第10章
今日16:49
第11章
今日18:07
第12章
今日18:07
第13章
今日18:07
第14章
今日18:07
第15章
今日18:07
第16章
今日18:07
第17章
今日18:07
第18章
今日18:07
第19章
今日18:07
第20章
今日18:08