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久我清乃は肝臓がんを患い、移植が必要だと診断された。しかしそのとき、思いがけない事実が明らかになる――五年間連れ添った夫、路井晟が、その貴重なドナーを他人に回す手配をしていたのだ。しかも、外には愛人と子どもまでいた。
すべてを知った瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。
裏切った男に未練はない。ただ、自分に与えられるはずだった肝臓だけは、何があっても取り戻さなければならなかった。
久我清乃は、五年間一度もかけたことのなかった番号に電話をかけた。
「京南市で手術を受ける。三日後、迎えに来て」
だが、彼女がその街を去ったとき――路井晟は、狂った。
……
久我清乃が肝臓がんを患って三年目、ようやく適合するドナーが見つかった。
主治医から電話がかかってきたとき、夫の路井晟は清乃の掛け布団を丁寧に整えてから、ひとりベランダへ出て電話に出た。
久我清乃が余計なことを考えないよう、医師とのやり取りはいつも彼がひとりで行っていた。だが今日はなぜか胸騒ぎがして、久我清乃はベッドサイドのもう一つのワイヤレスイヤホンを手に取り、こっそり耳に差し込んだ。そして、ベランダのドアをほんの少しだけ開けた。
「兄さん、久我清乃に用意してた肝臓、先に月島るかのお母さんに回すって、本気?」
「本気だ。るかに母親を失わせたくない。彼女は俺に娘を産んでくれたんだ」
「でも、久我清乃はもう移植を待てる状態じゃない。あと三か月もつかどうかだよ」
「三か月はあるんだろ?その間にまた見つかるさ」
その会話は、雷鳴のように久我清乃の耳を打った。次の瞬間、音も景色もすべてが遠ざかり、頭の中は真っ白になった。ただ、「彼女は俺に娘を産んでくれたんだ」という一言だけが、何度も何度も脳内で反響していた。
誰もが知っていた。路井晟がどれだけ彼女を大切にしてきたかを。この三年間、何度入退院を繰り返しても、彼は決して彼女を見捨てなかった。
病院食が合わないと聞けば、毎日六往復して手作りの食事を運んだ。
手術のたびに祈り続け、寺の門前で夜通し頭を下げ、彼女のために御札を求めた。
そんなふうに、命がけで愛してくれた男が、裏切るはずがない。浮気なんて、あるはずがない。
ちょうどそのとき、足音が近づき、久我清乃は我に返った。きっと聞き間違いだ。彼を疑うなんて間違ってる。
十年も愛し合ってきたのだから。病に倒れても、彼は一度だって彼女を見放したことなどない。裏切るわけがない。
そう自分に言い聞かせながら、イヤホンを外そうとしたそのとき、新たな通話が入った。
「もしもし? あなた、娘の誕生日なのよ。いつ来てくれるの?」
女の甘えた声が、久我清乃をさらに深い奈落へ突き落とした。
「もうすぐ着くよ」
路井晟の声は、どこまでも優しかった。
「パパ、あのね、こないだデパートで見たバービーちゃんがほしい!」
今度は幼い女の子の声。
「わかった。パパ、もうプレゼント買ってあるからね。お利口に待ってて」
久我清乃の涙は、イヤホンを外したその瞬間、ついに堰を切ったようにこぼれ落ちた。
さっきまでは、まだどこかで希望を捨てきれずにいた。けれど今は、全身が氷のように冷えきっている。――路井晟が、外にもうひとつ家庭を持っている? では、自分は何なのだろう。
路井晟が十八歳のとき、両親を亡くし身寄りをなくして、久我家にやって来た。久我清乃は、初めて彼を見たその瞬間から、寂しげな瞳と寡黙な佇まいに心を奪われた。
ふたりは自然に惹かれ合い、大学を共に過ごし、卒業後に結婚。路井晟は久我清乃をまるでお姫様のように大切にし、彼女の両親にも繰り返し誓った――「一生、彼女を大切にします」と。
久我清乃が病に倒れてからも、彼はずっと傍にいた。不機嫌な日が続いても、気分の浮き沈みが激しくても、決して彼女を責めることはなかった。
何度も痛みに目を覚ました夜、そのたびに久我清乃のそばには路井晟がいた。
彼は涙を流しながら、久我清乃を強く抱きしめて言うのだった――「お願いだ、もう少し頑張って。僕を置いていかないでくれ」と。そして久我清乃は、何度も危篤を乗り越えてきた。
肝臓移植さえ叶えば、ようやく長い闇を抜けて光にたどり着ける。そう信じていた。だが、その先に待っていたのは、さらに深く冷たい地獄だったことを、彼女はまだ知らなかった。
「……どうして泣いてる?」
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