東京のブラック企業をクビになり、田舎の実家に逃げ帰ってきた私。 「跡取りがいない」と見下されてきた父は、無職の私のことまで親戚や村人から嘲笑されていた。 意地悪な祖母は私を罵り、親戚の男に家を乗っ取らせようと企んでいる。 そんなある日、私の部屋に突然「空間の渦」が現れた。 繋がった先は、人々が極度の飢餓に苦しむ終末世界。 生存者の男は、私が見切り品で買ったポテトチップスやただの水を「至宝」だと言って貪り食った。 そして水一杯の代金として、向こうでは「石ころ同然」だという純金の延べ棒やダイヤモンドを無造作に投げ渡してきたのだ。 「水も食べ物も、いくらでも渡せるわ。その代わり、あんたは私に何をくれるの?」 現代の安い食料が、莫大な富と絶対的な力に変わる。 私と家族を嘲笑ってきた連中をひれ伏せさせ、巨大な帝国を築き上げる私の反撃が始まった。
「健一よぉ、お前んとこの凛ちゃん、東京でクビになって逃げ帰ってきたんだってなあ!」
窓の外から響くトラクターの激しいエンジン音に混じって、隣人の村上茂のしわがれた声が突き刺さった。
石堂凛が寝返りを打つと、古びた畳がぎしりと耳障りな軋み声を立てた。天井に染み付いた雨漏りの跡を睨みつけながら、肺の奥に溜まった重苦しい空気を長く吐き出す。
薄い壁を突き抜けてくる村上の嘲笑が鼓膜を叩き、凛は無意識に体を丸めた。東京のブラックデザイン会社で昼夜を問わずペンを握り続けたせいで、右手の人差し指と中指の腹には分厚いタコができている。黄ばんだ掛け布団の端を、その指先で強く握りしめた。関節が白く浮き出るほど力を込めても、胸の奥からせり上がってくる惨めさは拭い去れない。
「でたらめ言うんじゃねえ!」
庭先で、父の石堂健一が鍬を地面に打ちつける鈍い音が響いた。土にまみれた分厚い手で作業着の裾を荒々しく払う気配とともに、不器用だが揺るぎない声が返される。
「うちの娘は都会暮らしに一区切りつけて、田舎で親孝行しながらのんびり過ごすために戻ってきたんだ! 余計なお世話だ、さっさと行け!」
父の必死な庇い立てが耳に届いた瞬間、凛の鼻腔の奥がツンと痛んだ。
跡取り息子がいないことを本家や村の連中に長年見下されながらも、一人娘の自分を東京の美大まで出してくれた父だ。なのに今、自分はそんな父にこれほど恥をかかせている。
凛は布団を跳ね除けて上体を起こした。平熱の低いひんやりとした指先で、寝癖のついた黒髪を苛立たしげにかき上げる。
その時、静まり返った六畳間に、ぐうぅと間抜けな腹の虫が鳴った。
昨夜から何も口にしていない。小さくため息をつき、部屋の隅のちゃぶ台に置かれたポテトチップスに手を伸ばした。スーパーの見切り品で買った、のり塩味だ。
梅雨前の湿気を吸った袋は妙に開けづらく、指先に力を込めて一気に引き裂いた。破裂音とともに裂け目が大きく広がり、砕けたチップスが数枚、畳の上にこぼれ落ちる。
(あ、もったいない……)
凛は眉をひそめ、比較的きれいな大きめの一枚を指でつまみ上げた。口元へと運ぼうとした、まさにその瞬間だった。
目の前わずか五十センチほどの空間が、まるで水面に小石を落としたかのように、ぐにゃりと不気味に波打った。
「え……?!」
息をのんで半歩後ずさると、背中が古いタンスに強くぶつかった。塗装の剥げた木枠がガタッと鈍い音を立てる。
凛は切れ長の瞳を大きく見開き、呼吸すら忘れて目の前の空間を凝視した。空間の歪みは次第に形を整え、バスケットボールほどの大きさの半透明な渦へと変わっていく。その向こう側には、灰色に淀んだ空と崩れ落ちたコンクリートの瓦礫――まるで死に絶えた廃墟のような光景が、薄ぼんやりと透けて見えていた。
喉がからからに渇き、ごくりと唾を飲み込む。恐怖よりも、自分の部屋で起きている異常事態への動揺と好奇心が勝り、チップスをつまんだままの右手を恐る恐る渦へと近づけていった。
指先が半透明の縁に触れた途端、肌を刺すような冷気と、むせ返るような鉄錆の匂いが腕を駆け上がった。
はっとして手を引っ込めようとした、その刹那。
渦の奥から、血と泥にまみれた骨ばった手が、猛烈な勢いで突き出された。
「きゃあっ!」
無数の傷痕が刻まれた無骨な男の手は、凛の持っていたポテトチップスの袋を万力のような力で鷲掴みにし、強引に渦の向こうへと引きずり込んだ。
短い悲鳴とともにバランスを崩し、凛は前のめりに倒れて畳に両膝を強打した。袋ごと獲物を奪い去ると、半透明の渦が激しく揺らめき、血まみれの手は灰色の景色の奥へと瞬く間に引っ込んだ。
畳の上にへたり込んだまま、凛の心臓は早鐘のように激しく脈打っていた。右手の指先には、今しがた触れた男の皮膚の、ざらついて熱を帯びた生々しい感触がまだ焼き付いている。
荒い息を繰り返しながら渦を睨み据え、頭の中ではホラー映画のあらゆる惨劇が駆け巡った。父を呼ぼうと喉に力を込めたその時、渦の向こうから、ビニール袋を乱暴に引き裂く音が響いてきた。
直後、耳に飛び込んできたのは、まるで飢えた獣が獲物に食らいつくような荒々しい咀嚼音だった。何年も飢餓に晒され続けていたかのように、袋の底に残った破片までも貪り尽くす、切迫した勢いだった。
凛は息を詰め、震える胸元を片手で押さえながら、渦に向かってかすれた声を投げかけた。
「だ、誰……? そこに、誰かいるの?」
ぴたりと咀嚼音が止まった。
渦の向こう側は死んだような静寂に沈み、乾いた砂嵐の吹き抜ける音だけが微かに漏れてくる。相手が息を潜め、こちらを鋭く探っている気配が肌にひりひりと刺さった。
十秒ほどの重苦しい沈黙が流れた。武器になるものを探そうと凛が腰を浮かせかけた時、渦の奥から、低くかすれた男の声が響いた。
『どこの基地の人間だ。……この食い物は、まだあるのか』
濃い血の匂いと警戒心が滲む声だったが、そこには揺るぎない威圧感が宿っていた。凛は無意識に指先で鼻の頭をこすり、冷え切った頭を高速で回転させる。
パニックはすでに引いていた。ブラック企業での理不尽な修羅場をくぐり抜けてきた持ち前の図太さが頭をもたげ、彼女は相手の問いには答えず、まっすぐに問い返した。
「そっちこそ誰よ。いきなり人のポテトチップスを奪っておいて、名乗るのが先でしょ」
渦の向こうの男は虚を突かれたように沈黙し、やがて喉の奥で低く乾いた笑いを漏らした。
『女、自分が今どういう状況に置かれているか分かっているのか』
「ええ、よく分かってるわ」
凛は畳に両手を突き、背筋をすっと伸ばして渦を見据えた。
「あんたは今、死ぬほど飢えてる。そして私の手元には、あんたが喉から手が出るほど欲しい食べ物がある。……それだけで十分でしょ」
その一言は、男の急所を的確に射抜いていた。渦の向こうに漂っていた荒々しい気配が、凍りついたように静止する。
張り詰めた沈黙のあと、男の声が喉を絞り出すように落ちてきた。
『……条件を言え』
クビになった私に、廃土の統帥が物資を求めてきた
小田切優
異世界
第1章 時空を超えたポテトチップスと終末の飢え
今日10:41
第2章 廃土と現代の衝突万金に値する純水
今日10:40
第3章 晶珠の贈り物初めての取引の暗黙の了解
今日10:40
第4章 生まれ変わる肉体廃墟の中の純金
今日10:40
第5章 狂喜する終末の生存者肉まんと黄金の交換
今日10:40
第6章 打算的な隣人の嘲笑原付バイクでの逆襲
今日10:40
第7章 貴金属店での暴富爆買いの衝撃
今日10:40
第8章 搾取の拒絶えこひいきな祖母への反撃
今日10:40
第9章 父の自慢吉川家の歓声
今日10:40
第10章 終末基地の動員二界の首富の始まり
今日10:40