神になる
用心棒たちは剛腕であったが、骨精錬の境地に達したゼンを動かすことはできなかった。
その足がまるでくさびで地面に固定されてるかのように、地面に深く釘付けにされていて、 渾身の力を振り絞っても、向こうは微動だにしなかった。 まもなく彼らは汗だくになり、 息は上がり、終いには力尽きて喘いだ。 それを見たダレンは言った。「ゼン、俺はお前にグレイ様にお仕えする機会を与えてやっている。 毎日殴られ続けるよりはずっとましだろう。 強情を張るのもいい加減にしろ!」
その時、ゼンの目が獰猛に光り、 深呼吸をして肋骨を収縮させた。 骨精錬の境地に達しているゼンは、報復のために必要な「気」を集めることができた。 彼がじっと立ったまま、雷のような気を放つと、 地面は、爆発でもしたかのように激しく揺れはじめ、 その揺れに続き、大きな爆発音がしたので、グレイとダレンを含むすべての使用人たちは、急いで耳を覆った。
「おのれ、グレイ・フワン! ダレン・ファン!」 ゼンは叫んだ。 「仮に叔父のブライソン・ルオがここにいたとしても、僕に彼の下僕になるように命ずるようなことはしないだろう。 ましてや、ルオ家の召使いに過ぎないお前らが、 何をもってそのようないけ図図しい考えを持ち、 何を拠り所にそのような下らん考えを起こすのか?」
ゼンの力に怯えたダレンは、一歩下がったが、 グレイはその場にじっと立っていた。
すべてダレンの目論見通りに事が運んでいた。 彼の目的は、グレイにゼンを懲らしめてもらうことだった。 この尊大なじじいの最大の禁忌は他人に見下される事なのだ。なので、ゼンの怒り狂った顔を見たとき、ダレンは彼の作戦は成功したようなものだとほくそ笑んだ。 ゼンは間違いなく痛い目に遭うだろう。
ゼンの言葉にグレイは動じず、 余裕を見せながら佇み、 そして、目を細めて言った。「ゼン、己の状況を忘れるでないぞ。 今のお前はもう若様ではなく、ただの召使いじゃ。 今となっては、ペリン様が若旦那のお役を務めていらっしゃる。 私に仕えることを光栄に思うがよいぞ」
「黙れ!」
ゼンはつかみかかっている用心棒を乱暴に振りほどいた。
グレイはゼンの出方を慎重に見計らっていたが、遂にその口を開いた。「まだ逆らうつもりか? されば、一族の規則に従って、反逆の罪で処刑されよう」
高笑いしながらゼンはグレイに向かって歩いて行き、 「一族の規則だ? お前のような部外者が俺の前でルオ家の規則を語るなど無礼にもほどがある! 今日こそお前に、ルオ家の規則というものを教えてやろう!」
ゼンはグレイを倒すため、態勢をととのえた。
「ゼン、止めておけ。 この私に暴行を振るえば、アンドリュー様は決して黙ってはおられまい。 それにお前は所詮、何の後ろ盾も無いルオ家のサンドバッグに過ぎぬのじゃ。 殴られて死ぬのがこわくないのか?」 内心怯えながらも、グレイは冷静なふりを貫き通した。
「痛っ!」
その話が終わったと同時に、 ゼンの平手打ちを食らったグレイの顔面から、肉と肉がぶつかり合う音が庭に響き渡った。 もはや誰にも留められることのできない ゼンはさらに一歩踏み出して、グレイの首根っこをつかみ、何度も何度も気が遠くなるほどのびんたを食らわせた。
ゼンの猛攻撃で、グレイのしわくちゃな顔はまず青ざめ、 やがて半腫れになり、更に元若様の指紋も、烙印のようにはっきりと刻み込まらせていた。 その顔が平手打ちのたびに細かい血しぶきが噴き出しながら 徐に豚のように赤く腫れ上がっていくのを見ると、ゼンは満足そうに微笑んだ。 一方、そんなゼンとは違い、信じられない出来事を目の当たりにしたダレンは全身をガタガタと震わせた。
「ルオ家の規則によれば、戯言を叩くもの、証拠なしに他人を非難する者は罰せられるべし!」
「痛てっ!」
「ルオ家の規則によれば、弱者をいじめ、我が物顔でつけあがるものは罰せられるべし!」
「痛たっ!」
「ルオ家の規則によれば、不和をまき、正義を捻じ曲げるものは罰せられるべし!」
「痛でっ!」
「ルオ家の規則によれば…」
「いだだ!」
そのあまりにも激しい平手打ちの連発に、グレイは血を吐き、 ただ見ているだけのダレンも震えが止まらなかった。
このひどい状況に、
ダレンとグレイは驚きを隠せなかった。 ゼンが奴隷にされてからもうずいぶん経つが、 それまでの彼は従順で、すべての侮辱を甘んじて受け入れてきた。 だが、何という事か今グレイの方が逆に彼から滅多打ちにされている。
まさか長い間受けた侮辱を受け流してきたゼンが、 ここへきて逆らうとは思いもしなかった。
騒ぎを聞きつけて、庭に駆け付けたルオ家の子供たちも、 ゼンが主任執事を痛めつけている様を目撃し、 衝撃を受けた。
アンドリューの威を借りたグレイは常日頃から、ルオ家で 主人風をふかせては横行跋扈を繰り返してきた。 駆けつけてきた子供たちの何名かも、グレイにいじめられていたが、彼の縦の繋がりが恐ろしく、仕返しすることさえできなかった。
自己中心的なグレイは、彼の横行が人々の反感を買っていることにさえ気付いておらず、 子供たちが彼に対して秘かに抱いていた憎しみも見落としていた。 それが今日、やっと審判が下り訓戒されることとなったのだ。
しかし…
ルオ家の子供たちは弱齢でありながらも、すでにその傲慢さが主に対する忠誠と、その見返りに紐づいていることを知っていた。 そう、グレイがこんな我が物顔で振舞えたのはすべてその後ろ盾であるアンドリューのおかげなのだ。
グレイは、自分の得にならない人々には暴虐の限りをつくしたが、ルオ家の氏族、中でも次男と三男の前では、非常に謙虚に振る舞った。
そうは言っても、奴隷がこのように執事を打ち負かすことなど言語道断。
この後ゼンは必ず苦境に追い込まれ、 今日の事を死を持って償う定めにあることを、その場に居た誰もが分かっていた。
当のゼンはグレイをさらに数回引っ叩くと、叩くのを止めた。 グレイの顔は、血にまみれぐちゃぐちゃになっていて、 そのきちんと結ばれた髪でさえ、血と体液にまみれてよれよれだった。
「おのれ… 今に見ていろよ…」
グレイは弱弱しく口を開きそう言いかけたが、話し終わる前にもう一度引っ叩かれ、 地面に倒れた。
グレイに焼きを入れ終わると、ゼンの視線はまたダレンに向けられた。
「ゼン・ルオ、お前はただの奴隷なんだぞ。分かっているのか?」 次は自分の番かと思うと、震えずにはいられなかった ダレンは大声でそう言うなり、後ずさりした。
「奴隷がどうしたってんだ?」 獲物を狙うようにゼンはそっとダレンに忍び寄った。
「やれるものならやってみろ! 俺の立場はお前より上なんだ!」 ダレンはゼンを思いとどまらせようと必死に叫んだ。
「はぁ?立場が低いとはどういう意味だ? 何の立場が高いんだ? たとえ奴隷でも、 僕はルオ家の血筋だ! それに、拳も僕の方が強いから どう考えても下はお前の方だろ! 力だってお前よりもずっと 強いし、 武術だって お前よりも優れている!」
ゼンは、ダレンに向かって脅迫的な一歩を踏み出しながら、食いしばった歯の間から力強くそう呟いた。 そしてダレンに激しく襲いかかると、身体を引っつかんだ。 骨精錬の境地に達した後、より自信をつけ、 目覚ましい力の成長も遂げていたゼンは ダレンを攻撃するために手を上げると、その手に力がみなぎるのを感じた。
食らわせた平手打ちはとても激しく、大きな衝撃音は、見物人さえも震え上がらせた。
そしてゼンは自分のビンタで顔がぐちゃぐちゃになったダレンを、グレイに向かって投げ捨て、 二つの身体が衝突したとき、二人は痛みのあまりうめき声を上げた。 ゼンは誇らしげに胸を張り、「今日の事はお二人にとって、とてもいい勉強になっただろう。 自分の事だけでなく、人を思いやる気持ちを忘れないように!」と、言った。
そうして彼はくるりと背を向けて立ち去った。 見世物見物のため、三人の男たちの周りに群がっていたルオ家の子供たちと使用人は、ゼンが扉に向かって行こうとするとサッと道を切り開いた。