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小野凛の整った眉が、緊張でぎゅっと寄っていた。――だが、妊娠検査薬に浮かんだ“一本線”を見た瞬間、ここ数日胸の奥に溜め込んでいた不安が、霧が晴れるようにすっと消えていく。
「ドンッ!」
リビングのほうから、鈍い轟音が響いた。次の瞬間、トイレの扉が乱暴に蹴り開けられた。
凛ははっと我に返り、慌てて怯えた表情を作って入口を見た。瞳には濃い恐怖がにじむ。
入ってきた男は苛立ちを隠しもせず、怒鳴りつけた。「トイレにどんだけこもってんだよ。結果は?どう?」
凛の全身が小刻みに震える。端正な顔から血の気が引き、紙のように白くなっていた。目尻の赤い泣きぼくろさえ、今は色褪せて見えた。
目の前の男は、暴れ狂う獣みたいだった。いつ襲いかかって引き裂かれてもおかしくない――そう思わせるほどの凶暴さ。
男はずかずかと近づき、凛の細い腕を乱暴に掴み上げる。赤く充血した目で睨みつけ、喉の奥から絞り出すような声で吐き捨てた。「検査薬はどこ?見せろ」
凛は震える手で、それを差し出した。
男は一瞥すると、ふっと笑った。――けれど、その笑みは目に届かない。そこにあるのは危険な殺気だけだった。
凛は、それが男の怒りの前触れだと知っていた。
だが今回は怒鳴られなかった。代わりに、男は彼女の頬をそっと撫でる。動きはやけに優しいのに、口から落ちた言葉はあまりにも残酷だった。「大丈夫だよ、ベイビー。今日もう一度連れていってやる。今度も妊娠しなかったら――ずっとあそこに置いてやってもいいんだぜ」
凛の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ冷たい光が走る。だがそれはすぐに消え、顔には極限まで怯えた表情だけが残った。大きな瞳には、今にも零れ落ちそうな壊れた涙の光。
男はその“無害な小動物”のような様子に満足げに笑い、彼女の手首を乱暴に掴んで別の部屋へ引きずっていった。
「バンッ!」
ドアが強く閉められる。室内にいた数人の女たちが、同時にこちらを振り向いた。どの顔にも感情はなく、ただ麻痺したような虚ろな目だけがそこにあった。
彼女たちは皆、凛と同じようにアメリカに売り飛ばされてきた女たちだった。この貸し部屋で、昼も夜もわからない生活を送りながら、島の権力者たちの慰みものにされる日を待たされている。
一か月前、凛もここへ連れて来られた。
彼女は小野家の長女。父親は母の実家の後ろ盾で事業を大きくし、順風満帆に見えていた。だが母は早くに亡くなり、しかも死後三か月も経たないうちに父は再婚した。継母はやがて娘を産んだ。凛の異母妹――小野乃愛。
最愛の娘を失った悲しみで祖父も病に倒れ、そのまま世を去った。それ以来、凛は小野家の中で――まるで最初から存在しなかったかのような、透明な人間になった。
凛は生き延びるため、ずっと身を低くしてきた。乃愛とは争わず、ただ目立たぬよう、言われるがままに耐えてきた。それでもなお、あの親子の仕打ちはあまりにも度を越していた。幼い頃からろくに食事も与えられず、着る物にも困らされた。それだけでは飽き足らず、彼らは小野家の財産すべてを奪おうとまでした。
そして何より許せないのは、二十一歳の誕生日の当日。薬を盛られ、二人が手を組んで彼女をアメリカ南東部の小さな島へ売り飛ばしたこと。
そこまで思い至り、凛の瞳はいっそう冷たく沈んでいった。
彼女がゆっくり歩み寄ると、部屋の隅にいた女が無言で場所を空ける。
本来なら、同じ境遇の者同士、身を寄せ合うべきなのだろう。けれど誰も凛に近づこうとしない。向けられる視線は、どれも怯えを含んでいた。
凛がここへ来た初日、すぐに会所へ連れて行かれたからだ。しかも“とんでもない大物”の相手をしたらしい――そんな噂まで流れている。
相手が誰なのかを知っている者はいない。だが、凛が戻ってきてからというもの、彼女は頻繁に妊娠検査に連れて行かれている。あの連中は、彼女を妊娠させて、それを利用して大金をゆすろうとしているのだろう。
相手は、相当な資産家に違いない。
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