世界の敵が、泣いていた。
「うっ、うっく、うう!」
晴れた天気の下、すすり泣く男の子がいる。頭上に広がる青空に反し彼の様子はしくしくと雨模様だ。塀に囲まれた家の裏庭では壁が影になっており、固い地面の上で少年は独りぼっちでうずくまっている。
ここには彼以外誰もない。心は荒れて、涙をいくら流しても。それでも彼を慰めようとする人はいない。
なぜなら。
この世界に彼の味方はいない。ずっと一人で、彼はいつも泣いていた。
しかしこの時、俯いていた視界に足が映り込んだ。少年は顔を上げてみると、そこには知らない子供がいた。
「うわあ!」
同い年くらいの白いワンピースを着た女の子だ。目の前の少女は金色の短い髪をしており、丸みのある瞳や体型は人形のように可愛らしかった。
「き、君は誰!?」
会ったことも見たこともない少女だ。親戚か、近くに住んでいる子だろうか。少年は聞き、問いに少女はワンピースの裾を持ち上げ小さく頭を下げた。
「はじめまして、|我が(わが)|主(あるじ)。私のなまえはミルフィアといいます」
「あ、初めまして。僕は|宮司神愛(みやじかみあ)っていいます」
ミルフィアと名乗る少女につられて|神愛(かみあ)も頭を下げる。なんとも礼儀正しい、というよりも大仰なあいさつに面食らってしまう。まるでお城の舞踏会で出会ったようだ。
「えっと、名前は分かったけど……。どうして僕の家にいるの?」
当然自分の家に知らない人がいればおかしい。やはり知らない親戚だろうか。それで|神愛(かみあ)は聞いてみたのだが、しかし。
彼女の答えは驚きのものだった。
「私があなたの|奴隷(どれい)だからです、主」
「奴隷!?」
眉が曲がる。突然の奴隷宣言。この少女はなにを言っているんだ?
「えっと、どうして君は僕の奴隷なの?」
「あなたが、いにしえの王だからです」
「え?」
唖然(あぜん)となる。反対に微笑むミルフィアの頬は可愛らしい。しかし話はまったくかみ合わない。
「えっと、ちょっと待って。ん? え!?」
考えてみたけど無駄だった。どういう意図で言っているのかさっぱり分からない。なにかの遊び? いたずらか、もしくは罰ゲームか? |神愛(かみあ)は誰か見ているんじゃないかと辺りを見渡してみたがここには二人以外誰もいない。
少女の言っていることは意味不明だが、しかしこれだけは確かに言える。
「ううん、僕はそんなんじゃないよ」
そんなことあってたまるか。そんな気分だ。
「いえ、|宮司(みやじ)|神愛(かみあ)。あなたこそが私が仕えるべき王なのです」
「そう言われても……」
真顔で言ったのだがミルフィアは否定する。かなりの強敵だ。|神愛(かみあ)は肩を落としつつ、彼女の青い目を見た。
「どうしてぼくが、いにしえ? の王様なの?」
「あなたが王だからです、わたしの主」
(いや、そうじゃなくて)
返ってくる答えが答えになっていない。
「僕が王様の理由を教えてよ」
「理由などありません。あなたは初めから王であり、わたしも初めからあなたの奴隷なのです」
そう言われてはお手上げだ。|神愛(かみあ)は「はあ」と呟く。
それでも自分が王ではないのは確かなので、|神愛(かみあ)は分かっていない少女を説得させようとする。だが、説明に移る前、嫌なことを思い出してしまい表情が暗くなった。
「僕は、そんなんじゃないよ。むしろ逆なんだ……」
|神愛(かみあ)はつい先ほどまで泣いていた。その理由が胸を重くする。
「知ってる? 僕たちが住んでいる世界とは別の世界に、三人の神様がいるんだって」
|神愛(かみあ)は目線を空へと向けた。雲一つないきれいな青空だが、見たいのは空の景色ではない。さらにその先、
――|天(てん)|上界(じょうかい)だった。
|天(てん)|上界(じょうかい)。それはこの世界、この宇宙のさらに先にある神の|居城(きょじょう)、神々の世界だ。そこには|三柱(みはしら)の神と呼ばれる三人の神がおり、人々が暮らす|天(てん)|下界(げかい)に神が創ったルールを設けている。
「だから、みんなは神さまが作った教えを守って生きている。みんなは生まれる前に、三人の神さまから一人を選んで生まれてくるんだって」
|神愛(かみあ)は説明する。それは|天(てん)|下界(げかい)の常識、ここでのあり方だ。|天(てん)|下界(げかい)にいる者はみな神の教えを信じ、信仰者と呼ばれている。|天下界(てんげかい)に生きる者は生まれた時から信仰者なのだ。
だが、|神愛(かみあ)のその言い方は、まるで他人事のようだった。
「でも、僕はそうじゃないんだ。神さまなんか知らない。僕だけがそうなんだ。だから友達もいないし、いつもみんなから駄目な奴だって言われてる……」
|神愛(かみあ)は落ち込み視線が空から地面に落ちる。自分の足元をじっと見つめ、悲しそうに目つきが細くなった。
無信仰者。それが神愛(かみあ)の泣いている原因だった。世界の敵。信仰者しかいない|天(てん)|下界(げかい)で無信仰者など最大の異物だ。許される存在じゃない。
生まれてきたこと自体が誤りの、誰とも相容れない者だった。
「そんなことはありません」
だが、聞こえてきた言葉に顔が上がる。そこには自信に満ちた表情のミルフィアがおり、神愛(かみあ)の悲しみを励ましていた。
「主は偉大な王です。あなたに、出来ないことなどありません」
「で、でも……」
ミルフィアの言葉に困ってしまう。自分が王であるはずがないし、そもそも、神愛(かみあ)が置かれている立場は王どころか普通の人よりもひどいのに。
「ぼく……、いじめられてるんだ」
再び視線が下がる。自分がいじめられていること、誰にも相談したことがない。唯一の無信仰者に味方などいるはずもなく、故に神愛(かみあ)は一人で泣いていた。
しかし、ミルフィアは駆け足で近寄ってきた。
「主が? そんな! それはいつですか?」
「え?」
ミルフィアは神愛(かみあ)の手を両手で握ってきたのだ。女の子に触られるなんてことは初めてでドキリとしてしまう。
「その、ついさっき」
「なにをされたのですか?」
「石を投げられた」
「だれにですか?」