「申し訳ありません、遠野さん。お腹のお子さんですが……やはり、助けることができませんでした」
診察室の椅子に座り、遠野詩子は医師の言葉を聞きながら、スマートフォンのニュース速報に目を落としていた。
ニュースには、一組の男女が連れ立って空港から出てくる様子が映し出されている。
女性は、芸能界で今をときめく人気女優であり、三年間の海外留学から戻ったばかりの浅野莉子。
男性のほうは、霧原市で知らぬ者のない芥川グループの総帥、芥川浩介だ。
そして同時に、彼こそが詩子のお腹の子の実の父親であり――彼女の夫であった。
ニュースのコメント欄は「才能と美貌を兼ね備えた、まさにお似合いの二人だ」と絶賛の嵐だが、浩介が三年前に極秘結婚していたことなど、誰も知る由もなかった。
詩子はスマートフォンの画面を消し、医師に向き直った。「赤ちゃん……本当に、もう……?」
医師は首を横に振り、詩子に憐れみの眼差しを向けた。「遠野さん、ご自身でもお分かりのはずです。あなたは不治の病を患っておいでだ。お身体は、とうにお子さんへ栄養を送れる状態ではなかったのですよ」
医師はそう言いながら、妊娠中絶の同意書を詩子の前に押し出した。「お腹のお子さんはすでに亡くなっています。可及的速やかに流産処置を行わなければ、あなたの生命にも危険が及びます」
詩子は再びスマートフォンに目を落とし、ネット上で燃え上がるように話題となっている二人を見つめた。唇の端に、乾いた自嘲の笑みが浮かぶ。「手術をお願いします」
かつては、誰よりも強く子供を望んでいた。
だが、どれほど力を尽くしても、この子を守り切ることはできなかった。
お腹の子も、分かっていたのかもしれない。自分が死んだ後、浩介がこの子を慈しむはずがないと。だから、この世に来ることを拒んだのだろう。
それでいい。何の憂いもなく、逝けるのだから。
処置台に横たわり、医師から「付き添いのご家族は?」と何度目かの問いかけを受けた時、詩子の耳に、扉の外で交わされる若い看護師たちの噂話が届いた――
「浅野莉子って本当に羨ましいよね。三年間も音沙汰なしだったのに、帰国した途端、芥川グループの社長がお出迎えなんて」
「知らないの?浅野莉子って、芥川浩介の初恋の相手なんだよ。彼女が留学してた三年、彼はずっと待ってたんだって。一途すぎる!」
「でもネットの噂だと、芥川浩介って結婚してるんじゃなかった?」
「デマに決まってるじゃん!あれだけ浅野莉子を愛してる人が、愛してもいない女と結婚するわけないって……」
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