冷泉家と赤楚家の縁組が結ばれたその日、夜空を裂くように炎が天を焦がした。
赤楚悠の目の前で、新婚の夫――冷泉木遠は白藤つつじを抱きかかえ、迷いもせず燃え盛る火の中から駆け出していった。
屏風の下敷きになった赤楚悠は、涙に濡れた目でその姿を見つめながら、身動き一つ取れずにいた。
煙が渦巻き、息苦しさが身体を蝕むなか、赤楚悠は、このまま火の海に呑まれて終わるのだと、薄れゆく意識の中で覚悟した。
――だが、次の瞬間。誰かが彼女を抱き上げた。
力強く響く鼓動が、赤楚悠の胸の奥にじんわりと広がっていく。その音に、不思議と心が安らいだ。
「ジッ……」
突然、赤楚悠の鼻を刺したのは、生肉が焼かれるような焦げた匂いだった。
目を見開こうとしたが、視界にはただもうもうと立ち込める煙しか映らない。
咳き込みながら手を伸ばすと、指先にぬめりとした感触が触れた。次いで、男の身体が反射的にわずかに身を引いた。 しかしそれも、ほんの数秒のこと――男はそれ以上、拒むことなく彼女の手に身を委ねた。
耳元では風がうなりを上げていた。
赤楚悠は、頬に感じていたあの焼けつくような熱が、徐々に和らいでいくのを確かに感じていた。
目を凝らし、必死にその姿を見ようとする。かすむ視界の中で、ようやくひとつの輪郭が浮かび上がった。
――その男の目尻に、小さな痣がひとつ。艶やかで妖しくも見えるその痣を見つめた瞬間、赤楚悠の胸に、何かがこみ上げてきた。……どこかで、見たことがある。
意識が遠のくなか、赤楚悠の耳にかすかに声が届いた。 「旦那様、救急車が到着しました。 赤楚家の方々は皆、すでに乗せました。 ひとまず行きましょう。 腕の大きな火傷も手当てが必要ですし……今日は赤楚悠様の婚礼の日です。 これ以上付き添うのは、さすがに不適切かと」
……
目を覚ましたとき、彼女は病院の安っぽい病室のベッドにひとりきりだった。
窓の外には冴え冴えと月が浮かび、部屋の空気はどこまでも冷たく乾いていた。 新婚の夫は行方不明だ。
肋骨は一本折れ、左の頬には無残な擦り傷が走っていた。 医者は言った――「この傷はしっかり手当てしないと、跡が残る可能性がある」と。
翌朝、回診に来た医師がベッドの周囲を見回して尋ねた。
「ご家族は?」
赤楚悠は、かすかに首を横に振った。 何度も冷泉木遠に電話をかけたが、応答はなかった。
医師はため息を漏らしながら、注意事項を伝える。 「今は無理をしないこと。身の回りの世話が必要ですよ。もしご家族が無理なら、看護助手を手配しましょうか」
「あれ…もしかして、あの結婚式で火事に巻き込まれた新婦さんじゃない?ニュースになってた…」若い看護師が思い出したように声を上げた。 「ご主人は付き添ってないの?」
その言葉に、近くにいた婦長が咳払いをして彼女の腕をそっと突いた。そして小声でささやく。 「上の階にいるわよ、付き添ってる」