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六年前、私は愛する男を救うため、その手で彼を破滅させた。今日、彼は私の人生に再び現れ、私に残された唯一のものを奪いに来た。
白血病で余命数ヶ月。私に残された望みは、娘の希(のぞみ)と残りの時間を過ごすことだけ。しかし、亡き夫の姉が、私には到底払えない莫大な慰謝料を要求し、親権を争う裁判を起こしてきた。
そんな中、相手方の弁護士として現れたのは、藤澤涼介(ふじさわ りょうすけ)だった。
彼は冷酷な仮面を貼り付け、クライアントが私の頬を殴りつけるのをただ傍観していた。そして、私を母親失格だと罵り、娘を奪うと脅した。
「サインしろ」氷のように冷たい声だった。「さもなければ法廷で会うことになる。お前からすべてを奪ってやる。まずは、その娘からな」
彼は、希が自分の子供であることを知らない。私が死にかけていることも知らない。ただ私を憎み、私の家族を破滅させた張本人の一族の女と、新しい家庭を築いていることだけを知っていた。
私は彼を守るため、残酷な嘘で彼を突き放し、すべてを犠牲にした。だが、その犠牲は彼を怪物に変え、今、彼は私を完全に破壊するための武器として使われている。
娘を救うため、私は命を繋ぐための治療費を諦め、彼女を遠い場所へと送った。彼が上の階で新しい子供の誕生を祝っている頃、私は病室のベッドで独り、息を引き取った。
けれど、私は彼に一通の手紙を残した。彼の完璧な世界を焼き尽くす、一通の手紙を。
第1章
結城恵梨(ゆうき えり) POV:
六年前、私は愛する男を救うため、その手で彼を破滅させた。今日、彼は私の人生に再び現れ、私に残された唯一のものを奪いに来た。
調停室は冷え切っていた。安っぽいコーヒーの匂いと、言葉にならない憎しみが空気に充満している。
磨き上げられた重厚なマホガニーのテーブルの向こう側で、便宜上の結婚相手だった亡き夫の姉、鈴木貴子(すずき たかこ)が、乾いた目にティッシュを当てている。私たちを結びつけた空虚な結婚生活と同じくらい、中身のない悲劇のパフォーマンスだった。
私の悲しみは、静かで、絶え間ない痛みだ。骨の髄まで染み渡る倦怠感と同じように、すっかり慣れ親しんだ伴侶となっていた。
白血病。医者はそう言った。私には見つめる余裕すらない、時を刻む時計。
残された時間を、娘の希と過ごしたい。根拠のない親権争いのために、こんな無機質な部屋で時間を無駄にしたくはない。
裁判費用と世間の注目を避けるため、私はこの調停に同意した。静かに示談に応じれば、貴子とその強欲さが消えてくれると期待して。
その時、ドアが開き、私の世界が、ぐらりと揺れた。
藤澤涼介。
大学時代の思い出の中で響く笑い声も、狭い寮の部屋で私の背中に星座をなぞってくれた、あの頃の彼ではなかった。
この男は、氷と野心で形作られた別人だ。非の打ちどころなく仕立てられたスーツ、石のように固く結ばれた顎。そして、かつて私が吸い込まれそうになった深く魂のこもった瞳は、今や冷たく、値踏みするような空虚な穴に変わっていた。
相手方の弁護士。
そう、当然だ。運命の女神は残酷なユーモアのセンスをお持ちのようだ。
貴子の甲高く耳障りな声が、沈묵を破った。
「いたわ。あの後妻業が。涼介さん、見てちょうだい。可哀想な弟のために、涙の一粒も流さないのよ」
私はびくりと震え、テーブルの木目に視線を固定した。
「どうせずっと浮気してたんでしょうね」貴子は吐き捨てるように言った。「弟は善良な人間だったわ。聖人君子よ。あんな女を引き取ってあげたんだから。落ちぶれたお嬢様が産んだ、父親のわからない子供ごとね!」
五十代ほどの疲れ切った様子の調停委員が、咳払いをした。
「鈴木さん、どうか冷静に」
貴子はそれを無視し、私に狙いを定めた。
「慰謝料を要求します。弟が受けた精神的苦痛に対する慰謝料を。あの子は心労で死んだのよ!」
「彼が亡くなったのは癌よ、貴子さん」私はかろうじて囁いた。
「あんたのせいよ!」
貴子は叫びながらテーブル越しに身を乗り出した。彼女の手が私の頬を打つ。その衝撃で、私の頭は横に振られた。鋭い痛み。だが、涼介に目を向けた瞬間、血管を駆け巡った氷の冷たさに比べれば、何でもなかった。
彼は、ただそこに立っていた。
微動だにしない。
クライアントが私を殴るのを、冷酷な無表情で見つめているだけだった。
私が知っている涼介なら、私のためにバスの前にだって飛び込んだだろう。この男は、部屋を横切ることさえしない。
私は動かなかった。叫び声も上げなかった。ただその一撃を受け止めた。プライドだけが、私に残された唯一の盾だった。
「そこまでだ、貴子さん」
ようやく涼介が言った。その声には何の感情もこもっていない。法廷を支配する弁護士の声。かつて愛した女性が殴られるのを目撃した男の声ではなかった。
雷雨の中、雨と涙で顔を濡らしながら、行かないでくれと私の名前を叫んだ彼の姿を思い出す。その対比は物理的な打撃となって、私の肺から空気を奪った。
彼は一歩前に出て、私の前のテーブルにファイルを置いた。静かな音だった。彼の長く優雅な指が、紙に触れる。
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