「手は尽くした」
13時間におよぶ手術。だが、宮沢和子の腹にいた6ヶ月の命は、守りきれなかった。
森川清緒のその言葉と同時に、手術室の外は一瞬にして悲鳴に包まれた。
その中心にいた黒田老夫人が、「私のひ孫がぁぁ――!」と叫び声を上げ、そのまま気を失った。
和子のストレッチャーが運び出されると、人々は我先にと彼女に駆け寄った。わざとらしい泣き声と、心ない慰めの言葉が入り混じり、清緒の耳に冷たく響いた。
清緒の心臓が冷たい塊のように沈んでいくのを感じた。
ふと見上げると、黒田玄也がベッドの柵を強く握りしめ、身を乗り出していた。その必死な横顔は、まるで彼こそが和子の夫であるかのように見えた。
人々は和子のストレッチャーを取り囲んだまま病室へとなだれ込んでいった。
取り残された清緒は、外したマスクを無意識に握りしめ、長時間の集中による極度の疲労で、足元がふらついていた。周囲を人々が慌ただしく行き交うが、「お疲れ様」の一言もかけてくれる者は誰一人いなかった。
疲れ果てて黒田家の屋敷に戻ると、使用人たちはまるで疫病神を見るような冷ややかな視線を向けてきた。
さらに、玄也の妹である黒田遥が、執事の手から箒をひったくり、清緒のふくらはぎを思い切り叩いた。「汚らわしい!人殺し!あっち行け!この家の空気を穢すな!」
ほうきの硬い竹柄が皮膚に食い込み、細い血筋がじわりと滲んだ。
清緒が眉を寄せて小さく呻くと、遥は鼻で笑った。
「何、お嬢様ぶってんの?あんたがこの家に入れたのは、和子姉さんの体が弱くて、あんたの医術とRhマイナスの血が役に立ったからよ。はっきり言えば、便利な『道具』で『生きた血液バッグ』なんだから! 何様のつもりか知らないけど、和子姉さんの子供を殺したこと、お兄ちゃんになんて言い訳するつもり?」
言い捨てると、遥は清緒に向かって「ペッ!」と唾を吐きかけた。
黒田家に嫁いで3年。清緒はこの家での自分の地位など、とっくに理解していた。利用価値があるだけの、軽蔑される存在だった。
ここでは、誰もが彼女を見下し、罵倒する権利を持っている。
反論する気力も、そもそも抗う資格など最初からなかった。彼女は息を殺すようにして階段を上った。
13時間の手術に加え、術中に大量出血した和子への輸血。その後も処置を続けたせいで、微熱が出ている。意識は朦朧としていた。
ベッドに横になって、ほんの少し経った頃だった。
彼女は強い力でベッドから乱暴に引きずり起こされた。
その勢いで頭がベッドボードに激突し、「ガンッ」と鈍い音が響いた。
清緒は痛みに顔を歪めながら目を開いた。そこに立っていたのは、玄也だった。彼の姿を見た瞬間、目頭が熱くなった。「玄也、帰ってたのね。和子の赤ちゃんのことだけど、私、本当に手を尽くしたの」
玄也は清緒を見下ろし、胸倉を掴み上げた。その瞳は刃物のように鋭かった。「手を尽くしただと? 数日前、和子の全身検査の結果が出た時、お前は何て言った? 『全て順調です』だと言っただろう。それなのに、たった数日で子供が死んだ。それでよく『手を尽くした』なんて言えるな」
清緒は唇を噛み、潤んだ瞳で彼を見上げた。「玄也、信じて。本当に全力を尽くしたの」
和子には先天性の心臓病があった。三年前は数歩歩くだけで息切れがし、酸素吸入が必要なほどだった。
玄也と結婚してからの3年間、清緒は来る日も来る日も、和子のために東洋医学と西洋医学を駆使して治療を続けてきた。
その甲斐あって、彼女の体は健常者と変わらないほどに回復していたのだ。
和子が新婚当初、夫の正哉と「夜の営み」をして発作を起こした以外は、経過も良好だった。
数日前の定期検診でも数値は完璧だったのに、その数日後、状況は急転した。
清緒がわずか一日、休息を取ったその隙に、和子は激しい腹痛を訴え、彼女が病院に駆けつけた時には、胎児の心拍は既に停止していた。
それでも清緒は諦めず、手術中に自らの血液を提供しながら、最後まで全力で処置を続けた。
自分に恥じることなど、何一つない。
しかし、彼女の説明を聞いても、玄也の表情は凍りついたままだった。
彼は冷笑を浮かべた。「そうか?なら、なぜ和子は目を覚ますなり泣き叫んだんだ?お前に、飲んではいけない薬を飲まされたとな!」
清緒は眉をひそめた。「何それ?あり得ない」
玄也は手に力を込め、清緒をさらに強く引き寄せた。その顔には嫌悪感が滲んでいた。「言い訳なら、直接和子に言え!」
玄也はそれ以上、言葉を交わす気もなかった。
元々体の弱い和子にとって、妊娠自体が命がけだったのだ。
今回流産したことで母体は傷つき、今後妊娠できる可能性はほぼゼロに近い。
従兄の正哉と和子が抱いていた唯一の望みを、清緒が打ち砕いたのだ。
気絶していた老夫人も、目を覚ますなり「清緒を病院へ連れ戻せ!」と玄也に命じていた。
病室に入った瞬間、黒田家の親族たちが清緒を取り囲んだ。
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