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"結愛さん,残念ですが,子宮内膜がんの末期です."
竹之内医師の声は,まるで遠くのトンネルから響いてくるようにくぐもっていた. 結愛は慶應義塾大学病院のVIP診察室にある,冷たい金属製の椅子に座っていた. 彼女の視線は,手元にある検査結果の右下,残酷なほど鮮やかな赤いインクで押された"末期"というスタンプに完全に釘付けになっていた. 耳の奥で,ジェット機のエンジンが爆音を立てているような轟音が鳴り止まない.
"がん細胞はすでに周囲の組織に浸潤し始めています. 結愛さん,子宮を直ちに全摘出することをお勧めします. そうしなければ,命に関わります." 竹之内医師は金縁の眼鏡を押し上げ,重苦しい声で続けた.
子宮全摘出. その言葉が脳内で処理された瞬間,結愛の下腹部に鋭い刃物を突き立てられ,乱暴にかき回されるような激痛が走った. 彼女は無意識のうちに両手を膝の上で固く握り締め,鋭く切り揃えられた爪を手のひらの肉に深く食い込ませた. 爪が皮膚を破り,三日月の形をした赤い痕が残る. その物理的な痛みが,胃をねじり上げるような痙攣をわずかに紛らわせた.
岩永家の冷酷な掟が頭をよぎる. 完璧な後継者を産むこと. それが,彼女が結ばされた苛酷な婚前契約の絶対条件だった. 子宮を失えば,彼女は岩永家にとって無価値なゴミと同義になる. 結愛は蒼白な唇の端をわずかに引き上げ,自嘲的な笑みを浮かべた.
"手術はしません." 結愛の声は,砂を噛んだように乾ききっていた.
"何を言っているんですか! このまま放置すれば,がん細胞が全身に転移して..." 医師は彼女の異常なまでの頑固さに目を見開いた.
"最高用量の実験的分子標的薬を処方してください. それだけで結構です." 結愛は冷たく言い放ち,立ち上がった. その瞬間,再び下腹部から背骨を突き抜けるような激痛が襲い,目の前が真っ暗になった. 彼女は歯を食いしばり,震える足に無理やり力を込めて,背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま診察室を出た.
廊下の消毒液の匂いが胃液を逆流させる. 結愛は壁に寄りかかり,震える手で軍用レベルの暗号化が施されたスマートフォンを取り出した. 一瞬,周囲の景色が色を失い,無意味なデータの羅列のように見えた. 死への恐怖が氷のように冷たい毒蛇となって心臓に巻き付き,彼女の呼吸を奪おうとする. しかし次の瞬間,その絶望は燃え尽きるような冷徹さへと強制的に置き換えられた. 彼女はここで倒れるわけにはいかない. 少なくとも今はまだ. 彼女の指先が画面上で高速で動く. 慶應病院の電子カルテシステムへの侵入は,彼女のハッキングスキルをもってすれば数秒の作業だった. 自身の診断記録のアクセス権限を最上位に書き換え,複雑な文字化けのスクリプトを埋め込む. これで,岩永家の人間がどれだけ金を積んでも,彼女の本当の病状を知ることはできない.
地下駐車場は陰湿で,骨の髄まで凍りつくように冷たかった. 結愛は自身が乗ってきた目立たない中古のトヨタ車のドアに寄りかかり,冷たい金属の感触を背中に感じながら,岩永陸人のプライベート回線にダイヤルした.
コール音が7回鳴り,ようやく電話が繋がった.
"はい,社長室です. 奥様,何かご用件でしょうか?" 受話器から聞こえてきたのは,夫の声ではなく,特命アシスタントである小栗健吾の事務的で冷淡な声だった.
結愛は喉の奥からせり上がってくる血の生臭い味をゴクリと飲み込み,低い声で言った. "陸人に代わって. とても重要な私用があるの."
"申し訳ありません. 陸人社長は現在,重要なクロスボーダーM&Aの会議中でして. 家庭の些細な事情で席を外すことはできません." 健吾の声には,隠しきれない苛立ちと軽蔑が混じっていた.
結愛が反論しようとしたその時,受話器の向こうの背景音から,厚い絨毯の上を歩くハイヒールの音が聞こえた. 続いて,女の甘く軽やかな笑い声が鼓膜を刺した.
"陸人,このサザビーズのブルーダイヤ,眩しすぎるわ. 普段使いには向いてないんじゃない?"
住吉乃乃花の声だった.
結愛の心臓が,見えない巨大な手に鷲掴みにされたように激しく収縮した. 胃の痙攣が限界に達し,呼吸が完全に止まる. 指先から急速に体温が奪われていくのがわかった.
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