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薄暗い部屋のキングサイズベッドで、二人の男女が肌を重ねていた。
ベッドの頭上、真っ白な壁には花嫁のウェディングフォトが飾られている。写真の中の彼女はレンズに向かって優しく微笑み、幸福感に満ち溢れていた。
「ねえ……もし水野海月が、私たちがこうして新婚のベッドで戯れているのを見たら、悔しくて泣き出しちゃうかしら?」
「フン、新婚のベッドが聞いて呆れる。結婚してから一度もあいつに触れたことすらない。いつも隣の寝室で寝ていたさ」
「暁兄さん、優しい……」
二人の甘い囁きが、喘ぎ声に溶けていく。
寝室のドアの前に立つ若い女性はその会話を耳にし、両手で口を押さえ、声を殺して泣き崩れた。
行為が終わり、静寂が訪れる。
藤本暁はショートパンツだけを身につけて寝室のドアを開けると、リビングで静かに座っている女性の姿が目に入り、不意を突かれた。内心、わずかに驚く。(水野海月はいつ帰ってきていた? どこまで聞いたのだろうか?)
「全部聞いたのか?」
暁はぶっきらぼうに尋ねると、キッチンでグラスに湯を注ぎ、リビングのソファに腰を下ろした。
色白で痩身な体には生々しい情事の痕がそこかしこに残っているが、彼は全く気にする素振りもなく、平然と湯を数口飲んだ。
「ちょうどいい。サインしろ」
暁はコーヒーテーブルの下の引き出しを開け、中からファイルを取り出してテーブルの上に放り投げた。「お前も聞いたろ。これ以上引き延ばしても意味がない」
海月はそのファイルに手を伸ばし、最初のページを開く。『離婚協議書』という文字が目に飛び込んできた。最後のページまでめくると、男性側の署名欄には、既に達筆な署名が書き込まれている――藤本暁。
「目を通せ。他に条件があれば言え。問題なければサインしろ」
男はソファに深くもたれかかり、煙草に火をつけた。立ち上る煙が、彼の冷淡な表情を曖昧にぼかした。
「本当に、もうやり直すことはできないの?」
彼女はうつむいた。泣いたばかりの声はかすれ、額にかかるぱっつんの前髪が黒縁メガネに重なり、その姿は痛々しいほど哀れに見えた。
藤本家に嫁いでからというもの、彼女は暁の世話に百パーセントの心血を注いできた。いつかは二人で幸せに暮らせると、そう信じていた。
吹雪の中で傘を差し出してくれた、あの日の少年の面影を思い出し、彼女は掌を強く握りしめ、僅かな可能性にすがった。
「水野海月、みっともない真似はよせ。 俺と怜のことは、お前も聞いて、見たはずだ。それでも藤本夫人という地位にしがみついて、誰を不快にさせたいんだ?」
暁はテーブルの灰皿に煙草の灰を落とし、苛立たしげに眉を上げた。「それに、俺とお前の結婚は、元から互いの利益のためだったはずだ」
海月の心臓が、ずしりと重く沈んだ。薄葉怜――暁にとって、怜は本命であり、心の奥深くに刻まれた朱砂痣なのだ。
そういうことだったのか。
女は打ちひしがれて俯き、両手で服の裾を握りしめた。まるで薄葉怜が現れさえすれば、暁の視線は決して彼女から離れることがないかのようだった。
かつて怜が海外へ発つ日、暁は空港へ追いかける途中で交通事故に遭い、植物状態となった。本来、暁と政略結婚するはずだった水野家の長女、水野雫は他の男と関係を持ち妊娠していた。そのため、水野家は代わりに海月を差し出したのだ。
身代わりの花嫁――そうして彼女は、藤本暁の妻となった。
彼女は暁を献身的に介護し、彼のために、かつての自分の生活のほとんどすべてを断ち切った。
デザイン画、カーレース、ランセット、コンピューター。それらにもう随分と触れていない。
一年前、暁は目を覚まし、少しずつ回復していった。彼女は来る日も来る日も彼のそばに付き添い、身の回りの世話をし、心を尽くして支え、決して離れなかった。だが、それも本命の帰還には敵わなかった。
二年に及ぶ結婚生活でも、やはり、暁の心を温めることはできなかった。
返事のないことに、暁は思わず眉をひそめ、テーブルの向かいに座る女を改めて観察した。
海月の顔立ちは可憐で美しい。重たい前髪と分厚い黒縁メガネで隠されてはいるが、その奥にある美貌の片鱗はうかがえる。しかし、彼女は普段から身なりに構わず、いつもどこか垢抜けない格好をしていた。
性格も、あまりに朴訥としすぎている。
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