
高遠湊を諦めてから、十八日。
有栖川詩織は、腰まであった長い髪をばっさりと切った。
そして父に電話をかけ、福岡へ行き、慶應大学に通う決意を告げた。
電話の向こうで驚いた父は、どうして急に心変わりしたんだと尋ねてきた。
お前はいつも、湊くんと一緒にいたいと言って、横浜を離れようとしなかったじゃないか、と。
詩織は無理に笑ってみせた。
胸が張り裂けるような、残酷な真実を打ち明ける。
湊が、結婚するのだと。
だからもう、血の繋がらない妹である自分が、彼にまとわりついていてはいけないのだと。
その夜、詩織は湊に大学の合格通知を見せようとした。
けれど、彼の婚約者である白石英梨からの弾むような電話がそれを遮った。
英梨に愛を囁く湊の優しい声が、詩織の心を締め付けた。
かつて、その優しさは自分だけのものだったのに。
彼が自分を守ってくれたこと、日記やラブレターに想いのすべてをぶつけたこと、そして、それを読んだ彼が激昂し、「俺はお前の兄だぞ!」と叫びながら手紙をビリビリに破り捨てた日のことを、詩織は思い出していた。
彼は嵐のように家を飛び出し、詩織は一人、粉々になった手紙の破片を painstakingにテープで貼り合わせた。
それでも、彼女の恋心は消えなかった。
彼が英梨を家に連れてきて、「義姉さん、と呼べ」と命じたときでさえ。
でも、今はもうわかった。
この燃え盛る想いは、自分で消さなければならない。
自分の心から、高遠湊という存在を、抉り出さなければならないのだ。
第1章
高遠湊を諦めようと決めてから、十八日目のことだった。
有栖川詩織は、腰まであった長い髪を切った。
鏡の前に立ち、人生で初めての煙草に火をつける。
紫煙が指に絡みつき、口の中に苦い味が広がった。
その夜、彼女は遠い福岡に住む父に電話をかけた。
「お父さん、私、慶應に受かったの」
静かな声だった。
「福岡に行きたい。もう一度、お父さんと一緒に暮らしたい」
電話の向こうで、父である近藤彰の声が驚きに揺れた。
「お母さんと離婚して、こっちに落ち着いてから、いつでも留学しておいでと言ったのに。お前は義理の兄さんである湊くんのそばにいたいって、頑なに横浜を離れようとしなかったじゃないか。どうして急に?」
詩織は赤く腫れた目を伏せた。
か細く、乾いた笑い声を絞り出す。
「行けるところまで行ってみないと、行き止まりだってわからない道もあるのよ」
一瞬、言葉が途切れる。
声が、微かに震えた。
「湊が結婚するの。もう、血の繋がらない妹の私が、彼にまとわりついてちゃいけないでしょ」
電話の向こうで、父が同情に満ちたため息をついた。
「そうか……気づいたんだな。お母さんと高遠さんは世界中を飛び回って、お前を湊くんに預けっぱなしだった。お前ももう大人だ。これからは俺と一緒に暮らそう。大学で勉強しながら、会社の経営も学んでいけばいい」
「うん」とだけ答え、詩織は電話を切った。
暗くなったスマートフォンの画面に、腫れぼったい自分の目が映る。
洗面所へ行き、冷たい水で顔を洗った。
福岡へ発つまで、あと二週間。
それまでに、このぐちゃぐちゃになった心を立て直さなければ。
廊下を歩いていると、書斎の明かりがついているのに気づいた。
一瞬ためらったが、スマホで合格通知の画面を出し、ドアをノックする。
コン、コン、コン。
書斎の中では、高遠湊がデスクに向かっていた。
ダークブルーのシルクのルームウェアを身にまとい、通った鼻筋には金縁の眼鏡。
その姿は、まるで芸術品のように優雅で、孤高で、そしてどこか禁欲的だった。
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