~タイムトラベル~王室からの愛
作者橋長 和葉
ジャンル歴史
~タイムトラベル~王室からの愛
「私の力が及ぶ限り、殿下の望みを三つ叶えて見せましょう。それがたとえ命をかけてでもお約束を必ずお守りしますので」とハーパーはマシューをじっと見つめながら言った。 「私には医療技術の他には、特別なスキルがありませんが、 必要があればなんなりとご用命ください」
「ああ、心に留めておくよ」 そして別の方向に振り向くと、そこには駆け付けた衛兵に耳元で何かをささやかれ、 一瞬で表情が激変したマクスウェルがいた。
「ハーパー・チューよ」と、マクスウェルが険しい顔つきで言うと、
「はい」と、ハーパーは丁重に答えた。
「どうやらジェイドが死んだそうだ。 確認して来たまえ」
ハーパーはジェイドの死を聞かされても驚かなかった。 平素自分と関わり合いも恨みもない彼女が、自分を陥れてきたってことは つまり、裏で何者かに唆されてそう行動するようにと指示されていたってことだ! そしてその計画が破綻した今、首謀者はきっと口封じのために彼女を殺してもおかしくはなかった。
「かしこまりました」と彼女はすぐに言った。
ジェイドの死体は彼女自身の部屋で見つかったので、 おそらく身体検査をしに来た乳母を気絶させた後、まっすぐ部屋に戻り、 何か金銭や貴重品だけでも確保して、首謀者に助けを求めて逃げようとしたのだろう。 しかし、皇帝からの寵愛を一身に受けるマクスウェルを怒らせるほど愚かな人間は、この帝都において一人もいないから、彼女は殺される運命にあったのである。
絹のハンカチで手を包んだ後、ハーパーはジェイドの胸に触れて「体がまだ温かいですね。 死亡推定時刻はおよそ1時間前。 何者かに心臓を刺されたようです。 死体に争った形跡も見当たらないので、 おそらく、犯人はその身近にいる親しい人物でしょう。 だから殺されることも知らずに無防備な姿をさらして殺されてしまったのです」と分析した。
「君死体の検査もできたのか」 検死官と医者は全く別の分野なのに、 なぜ彼女は検死もできたのかと 不思議に思った マシューの目は驚きで広がった。
「殿下、患者を診ることと死体を検査することはほぼ同じですよ。 どれも人間相手に検診を行うわけですから。 強いて言えばそれは生きてるか死んでるかの差しかありません」 ハーパーは立ち上がるとマクスウェルに目を向けた 「犯人はおそらくまだ屋敷の中にいるはずですので、 将軍、衛兵たちに捜索してもらいましょう。 死体の殺され方から見ると犯人は多分男性、 そして身長が約7尺2寸(約166センチ)の 左利きです」
マクスウェルのハーパーを見る目は驚きに満ちていた。 「犯人の特徴まで特定できるのか!?」
「死体に残された痕跡から推測したまでです。 将軍、どうか私を信じて犯人を探してください。 犯人が見つかったらその時すべてを説明しますから」
マクスウェルはその推理に少し疑問を感じながらも、部下たちにその特徴を持った男を探すように命じ、 そしてなんと、犯人ーー将軍邸の衛兵の一人ーーは三十分も経たずに捕まったのだ。
「正直に言え! なぜジェイドを殺した?」 低く、怒りを秘めた声でマクスウェルは犯人を問い詰めた。
「将軍、お、おいらは無実です! ジェイド夫人を殺してなどいません。 どうか信じてください。 そもそもさっきまで巡回中のおいらが、夫人を殺すことなんてできっこないんすよ!」 と、容疑を否認した衛兵を見て、 常に自分の部下を信頼していたマクスウェルは思わず、ハーパーに疑わしい目つきを投げかけた。
するとハーパーは警備員の方を向き、「あなたの名前は?」と尋ねた。
「ジュリアン・ワンです」と警備員は頭をうなだれながら答えた。
少しうなずいて彼女は鎌をかけるように 「さっきジェイド夫人を殺していない、と言いましたね?」と尋ねた。
「はい、おいらは殺していません」
「そうですか、では 彼女との接触も?」
「もちろんありません」 ジュリアン・ワンは断固として答えた
ハーパーは微笑んで男の左手をつかむと、 「では、なぜその袖に血がついているのです?」
そう言われてジュリアン・ワンは袖の方を見て、 そこについている血の染みを確認するとすぐに顔を赤くして 表情を変え、 「こ、これはおいらの血です」と必死に弁解した。
「嘘おっしゃい!」 ハーパーは嘲笑をかまし、 「なぜ怪我もしてないあなたに、血の跡があるんでしょうか? また、さっき現場から見ると、 おそらく殺人犯の足には、花を植えるときに使われるような黒い泥がついているはずです」
自分の靴を見て、実際に黒い泥で汚れていることに気づいたワンが 何も将軍邸で黒い泥を踏んだのはおいら一人ってわけでもないしと言い逃れようとした時、 「口を開けなさい。 その舌に夫人の口紅もついてるはずです。 黒い泥踏んだのはあなた一人だけじゃないかもしれませんが、その口紅を使っているのは、私の知る限り夫人だけよ!」と言うと、口論が始まった。
ハーパーが次々と証拠を示したので、ジュリアン・ワンは自分を守るチャンスがないことを知り、 舌を噛んで自殺した。 すべてが一瞬の出来事だった。 彼はあえてマクスウェルを見ようとはしなかった。 妾には妊娠したという嘘に騙され続け、 更にその件には自分の信頼していた部下も一枚噛んでいると 思いもよらなかったマクスウェルは浮かない表情をしていた。
そして複雑な感情が渦巻く中で、「もう帰っていい」とだけ言った。
「ありがとうございます、将軍」 と言いながらハーパー・チューはすぐ屋敷を発とうとしていた。
「ハーパー・チューよ、今帰ってもらっては困る。 是非共に皇居に行き、報告してほしい。 なんせ冤罪を被らされた君を、私は勅令に逆らってまで助けのだから、 すべてをきちんと陛下に報告する義務は、君にもあるはずだ」とマシューはそう言って、すぐに彼女を止めた。
「仰せのままに、殿下」 ハーパーはマシューの後ろを素直に歩き、マシューと共に皇居に向かった。 ハーパーが去るのを見送った後、混乱した気持ちをどうすることもできなかったマクスウェルは 使用人に遺体の処理を命じると、何も言わずに黙り込んでいた。
死刑執行場と将軍邸での出来事を、すでに皇帝側の密偵は皇帝に報告していたので、 ハーパーとマシュー二人は皇帝の書斎に着くと、すぐに圧をかけられた。
「マシューよ、よくぞ来てくれた」 皇帝の淡々とした口調に、ハーパーはひざまずいて頭を下げ、マシューは何食わぬ顔でただ佇んでいた。
「まあ」 その無愛想な返事に、ひざまずいたハーパーは危うく地べたに倒れそうになった。 マシューの旦那…やっとあれほどいる兄弟の中で皇帝陛下があなただけを目の敵にしている理由がわかったよ… そりゃあ皇帝陛下に向かってそんな無愛想に「ああ」とか言えるような 傲慢なやつを殺したくもなるよ… と彼女は、驚きながらも密かにそう思ったのである。
「ここに来たってことは、自分が犯した過ちを理解できたってことだな?」 皇帝は眉をひそめた。
「過ちとはなんのことでしょうか?」 マシューの顔は夜空に浮かぶ静かな月のように穏やかだった。 「私はただ無実を訴えた彼女にチャンスを与え、 現に彼女もこうして自分の潔白を証明できたわけですので、 人の冤罪を晴らした私に なんの過ちがあるというんです?」
「つまり自分が何も悪くないとでも言うつもりかね? !」 老いぼれの皇帝は怒りに顔を歪ませ、上奏文を手に取ってマシューに投げつけようとしたが、 やはり諦めてまた机に叩き落した。 「朕の命令に背いたうえ、まさかこのような...」
「八皇子殿下、入ってはなりません! 皇帝陛下は只今、面会の真っ最中ですぞ」
そういう宦官が誰かを止めようとした掛け声が聞こえると、皇帝の書斎の扉が半分開き、 紫色の絹のローブと純白のふわふわのマントを身に纏った10代後半くらいの少年が歩くコアラのように、 涼しい風と共に駆け込んだ。
「父上、この新しいマントを見てください。 かっこいいでしょう?」
眼前に立っているもふもふの生き物を見て、皇帝は不機嫌な顔を見せ、 「こらルーカス、今はマシューおじさんと大事なお話があるんだ!」 歯ぎしりをしながら尋ねた。
「そうだったんですか、 お話し中とも知らずに申し訳ございません」 第八皇子のルーカス・ジュンは、茶目っ気のある笑顔で父親に寄りかかり、 その目は楽しそうに輝いていた。 「父上、 どうぞこの不肖の息子に罰をお与えください!」
「この馬鹿もんが!ますますやんちゃになりよって」 皇帝は彼を睨みつけた。 「邪魔だからさっさと出て行きたまえ。 でないと君の母上に言いつけてやるぞ」
「それだけは勘弁してください父上! すぐ出ていきますので」 そう言いながらルーカス・ジュンは床に転がりひざまずいたハーパーと目が合うと、 大きく笑い、2本のかわいい犬歯を伺わせながら ボールのように体を丸めて書斎から転がりでた。
「なんちゅう困った子だまったく」 さっきまで我が子愛しさに 笑いをこらえられなかった老いぼれの皇帝だが、 振り返ってずっと沈黙していたハーパーを見ると、また神妙な顔になり、 「ハーパー・チュー、冤罪で君を斬首させようとした朕を恨んでるかね?」 と尋ねた。
「まさか、殿下を恨むなどとんでもございません」とハーパーは最大限の敬意を払って答えた。
皇帝は目を細めると、 「面白いね君。 無実も証明できた上、こうしてマシューとマクスウェルの両方も味方につけたとは大したもんだ。今回の不敬は不問にしよう。 もう行ってよいぞ」
「陛下、どうもありがとうございます」ハーパーは感謝と敬意をこめてうやうやしく頭を下げると、その場を後にした。 その姿は、将軍の邸宅で見せたものとはあまりにも正反対なものだったので、 なんて演技のうまいやつだと、 マシューは心の中で嘲笑した。
「マシュー」
「はい」
「君も26の漢だ、もう若くない。 私があなたの年齢だったとき、長男である皇太子がすでに生まれていました。 そろそろ君の縁談を決めてもよい時期だと思ってな」 と言いながら皇帝は弟の目をじっと見つめていた。 「ちょうど兵部尚書(今の国防大臣に相当する官職)の娘も悪くないわけで、 後で縁談の手はずを整えてやるから、 今はもう下がっていい」