~タイムトラベル~王室からの愛
作者橋長 和葉
ジャンル歴史
~タイムトラベル~王室からの愛
ハーパーが自分の寝宮、栄錦閣に戻ると、すぐ使用人のニーナが心配そうに駆け寄った。 「大丈夫ですか?お嬢さま。 昨日出産のお手伝いで将軍邸に行かれたきり全然お戻りにならなかったから心配で心配で、 でもスー夫人に鍵をかけられ全然出られもしなかったんですが、 アレから一体何があったのです?」
使用人の心配そうな目を見て、ハーパーは弱弱しい微笑みを浮かべて「大丈夫よ」と言った。
ハーパーが部屋に入るのを手伝い、暖かいお茶を一杯用意したニーナは お茶を飲むと気分が多少良くなったご主人を見て、 また心配そうに尋ねた。 「本当ですか、お嬢様?」
向こうはニーナを見上げ、苦笑いしながら、 「ニーナ、あなたには苦労を掛けたわね」
「どうしていきなりそんなこと言うんですかお嬢様。 一体どうかされましたか?」 ハーパーの手を握るとニーナは身震いをし、 その顔を見て、「まあなんて冷たいですの! またスー夫人に…叱られたのでしょうか?」
心ここにあらずにハーパーは首を横に振り、考え事に耽っていた。 「私が外出禁止を命じられてたこの好機を、 スー夫人とその娘は決して見逃しはしないだろう。 宮廷医師の地位をも失い、ハンセンに婚約を取り消された今、彼女らはきっとこの隙に乗じてあらゆる手段を使ってでも殺しにかかってくるに違いない。 今、この状況から私を救えるのは、メイビス祖母ちゃんだけだ」
そしてニーナの方を向くと、何か思い切ったように彼女は注意深く使用人の手に何かを書き、 そして自分の手に書かれた文字を一点一画目で追っていくニーナは少し驚いた様子を見せ、 しばらく黙ると微かにうなずいた。
「誰にも見つからないよう、こっそりと出かけて。 それで向こうに会った時、ありったけの誠心誠意を込めて、私が心から反省してることをお伝えするのよ!」 それからハーパーは部屋に入って書き写した仏典の本を取り出し、 ニーナに手渡しながら、「そしてもう一つ。 できるだけ早くしてちょうだいね。 もう時間がないわ」
怖くて何も言えなかったニーナだが、自分に課せられた任務の重大さだけは理解していた。 そしてニーナが去った後、ハーパーはまた別の使用人を呼びよせ、 「アナベル、昨日スー夫人に難癖とかつけられたりしてた?」 と尋ねた。
「いいえ、お嬢様。 特に難癖はなかったのですが、 ただ鍵をかけて誰も外に出さないようにしてました」とアナベルは丁重に答えた。 散々横暴だのわがままだの言われたハーパーも、使用人には決してきつく当たったりはしなかった。
「今お父さんに外出を禁じられてて、 多分これから長い間この寝宮からは出られないかも」 彼女は弱々しく微笑むと更に言い足した。 「他のみんなにも、他所の使用人たちを挑発しないよう身を引き締めるようにと伝えといて」
「お嬢様、なぜ旦那様に謹慎を…?」と言いながら、 いくらヘイリー嬢とフェリシア嬢をひいきしているとはいえ、 将来、ケビン親王が嫡男ハンセン殿下の妻になられるハーパー嬢に 謹慎を命じてはケビン親王の怒りを買ってしまうのではないか?とアナベルは疑問に思った。
「何しろ私はハンセンに婚約を取り消されただけでなく、宮廷医師の官職すら失っちゃってるしね」とハーパーは苦笑いしながら説明した。 「これから君たちも大変になるかもしれないわね」
「殿下はどうして婚約を解消したのですか? これはお二人が生まれる前から旦那様とケビン親王が合意の上お決めになった婚約だというのに! お嬢様、私たちは今どうすればいいでしょうか?」 婚約を一方的に解消された女は次の結婚相手を探しづらくなることを よく知っているアナベルはハーパーの話を聞いて不安になった。
「今の話はこのくらいにしよう。 とりあえずみんなをここに集めてきて。 ちょっと言いたいことがあるの」 そう言って深呼吸しながら、ハーパーはただひたすらスー・ワンが、ニーナがお祖母ちゃんを連れ戻すまで自分に手を出さないでくれることを祈るしかなかった。 もしお祖母ちゃんが戻ってくる前にスーに狙われたら、彼女はきっと死んでしまうだろう。
アナベルの速やかな召集により、まもなく寝宮にいるすべての使用人はハーパーのところに集まり、 そのお嬢様から、自分が父親の命により外出を禁止され、宮廷医師の職も奪われたという やばい現状を知らされた。
「これでもう私がどれほどやばい状況にいるのか知ったでしょう。もうこんな私について行っても未来はないし、 ここから出ていきたいものには餞別として2両の銀貨をあげるから遠慮しないでね。 残ってくれるものにも勿論、金銀財宝とはまではいかないが、私の力が及ぶ範囲のいい生活を保障してあげるわ。 ただお父さんから腫れ物扱いされた今、これから先もきっと苦しい生活が待っていると思うわ。 それでやめたい人は?」 お気持ち表明を終えると、ハーパーはただ使用人たちを見て、その答えを待っていた。
しかし彼女の話が終わったきり、誰も口を開いてはくれず、各 使用人は皆、砂漠で方向を失った旅人のように、恐る恐ると視線だけをかわしていた。 嫡流の長女だったので、 ハーパーの身近には、一等、二等、三等の侍女がそれぞれ二人で会わせて六人と、掃除担当の下女が三人と、乳母が一人いた。
しばらくすると、掃除担当の下女三人と乳母が一斉にやめたいと名乗り出た。 そもそも彼女らがここで働くようになったのは、ハーパーがケビン家の嫡男であるハンセンとの婚約を見込んでのことで、 ハンセンに婚約を破棄され、宮廷医師の任からも外された今、自分の地位を取り戻す機会も見えない 彼女に仕えることは言うまでもなく無意味極まりないことだ。
「アナベル、さっき言った通り二両の銀貨を与えなさい」
「はい、お嬢様」 その指示通りにそれぞれアナベルから2両の銀貨をもらえた 四人がすぐに荷物をまとめ、栄錦閣を出ると、 ハーパーは残りのメイドを見て、「他に辞めたい人は?」と尋ねた。
「申し訳ございません、お嬢様。 もうあなたにお仕えすることはできません。 どうかお許しください」 そう言って二等侍女の二人がすぐにひざまずき、ハーパーに叩頭の礼をした。 そして口を開いて何かを言おうとしたアナベルを止め、 ただ金を渡せとの指示だけを下した。
「で、 あなたたち二人は? やめないの?」 ハーパーは頭を下げて静かに立っていた2人の三等侍女、 エンヤとエルシーをじっと見つめていた。
「お嬢様、喜んであなたにお仕えします」 そう言って二人はすぐにハーパーにひざまずいて額づいた。 「いつも私たちに親切にしてくださった お嬢様がお困りの今、離れることなど出来ません!」
ハーパーは満足げにうなずいた。 この体の元所有者は横暴でわがままと聞いたが、そばに忠実な側近がいることはせめてもの救いだった。 「残ってくれると決めたあなたたちに、少し言っておきたいことがあるの。 別に使用人に賢さや雄弁さを求めたりはしないが、しかし忠誠心だけはなくちゃいけない素質よ。 私の侍女である以上、必ず私を裏切らないこと。もしそれを犯したら、命を落とすことになるわ。 これを聞いてもなお、私に仕える気なの?」
エンヤとエルシーはお互いを見ると、断固として「はい」と答えた。
一方、スーはずっと裏から音を立てずに栄錦閣で起こっていることを見ていた。
「お母さん、これはいいチャンスよ!」 フェリシアは言った。
「ええ、これは本当に良いチャンスね」とスーは冷笑して言った。 「フェリシア、あんなにいい婚約をお姉さんから譲っていただいたんだから、何かお礼を言わなきゃだね」
フェリシアは眉を開いて微笑んだ。「もちろん、姉さんには感謝しなければなりませんわ。 もしも彼女の助力がなければ、私は殿下と結婚する機会がなかったもの」
「では、お行きなさい。 お父さんは今夜私のところに来るから邪魔は入らないわ」
「わかったわ」 フェリシアはうなずくと、 その場を去った。
そして夕暮れ時に、食べ物を持って訪れてきた フェリシアを見るやいなや、ハーパーは自分を一日でも早く排除したいこの母娘二人は もう自分に猶予を与えてくれないことを察知した。 その後、ただ自分の死因はハンセンに婚約を取り消されたことによる自殺で片付ければ、 彼女らの行く手を拒む最大の障害も取り除けば、チュー家の名声も守れたってわけだ。
「ごきげんよう、姉さん。 ちょっと食べ物を持ってきたの」 その話が終わったと同時にフェリシアの侍女テーブルの上に置いた皿の中の 食べ物を疑いの眼差しで探っていると、ハーパーはその目を細め、 「毒でも入ってるのかしら?いや、 もし私が毒殺されたら、お祖母ちゃんはきっと調べてくれるはず。 そうすると一発でバレちゃうしフェリシアがそんな尻尾を見せるような真似は決してしないわ。
「何しに来たの?」 長い間ハンセンを誘惑しても誰一人に気づかれずやってこられたほど 狡猾なフェリシアのことだから、 なんの狙いもなくただ食物持ってくるはずがないと重々承知のハーパーはその寄せられた好意を無視して冷たく尋ねた。
フェリシアはハーパーのためにスープを茶碗に注ぐと、丁寧に言った。「姉さんが殿下に裏切られたせいで心苦しんでることは知ってるつもりよ、 けれど、私を恨まないでね。 何しろそれはあくまで殿下がお決めになったことだし、父さんもそれに同意したもの。 でも私たちが殿下に逆らえないことを、姉さんもよく知ってるはずよ? 今回のことは本当に残念だったけど、 私を許してくれる?」
ハーパーは眉をひそめ、フェリシアが差し出したスープを押し戻した。 フェリシア母娘のことをよく知っていた彼女だからわかる、二人にとって邪魔で仕方ない自分 に親切してくれるなんて元からありっこないし、 それが人生のどん底に落ちた今、ただ自分に謝りにきただけだなんて尚更あり得ないのだと。
「今度はまたどんな罠にはめようとしているのかしら?」 ハーパーは冷たい声で尋ねた。
「罠だなんて とんでもないわ。 まさか姉さん、私に毒を盛られちゃうとでも思ってるの?」 ハーパーの主張によってひどく傷つけられたかのように、フェリシアはすすり泣き、嗚咽をもらしながら 自ら茶碗にあるスープを一口飲んだ。 「姉さん、これでも信じてくれないの? 私は本当に謝りにきただけなの、 そろそろ許してくれる?」
しかしハーパーはまだ安心できずにいた。 フェリシアがこんなにも親切だと到底信じられない 彼女はアナベルにウィンクして、銀の箸を渡してもらった。 それを見るとフェリシアは少し唇を噛んだが、やはり何も言わず ただ座ってハーパーと夕食をとった。
「本当に悲しいわ。 こっちはただ心配で会いに来ただけなのに、まさか毒を盛るとか疑われるなんて…」と、フェリシアは悲しそうな声で言った。 「姉さん、まさか殿下が代わりに私と婚約を結ぶとは自分でも意外だったの。 しかし殿下が私に意がある以上、たとえ殿下を姉さんに 返したいと思っても、向こうは同意してくれないと思うわ」
ハーパーは疑っていたが、それを表には出さなかった。 「その必要はないわ。 そもそもあんな徒し心のスケベ野郎なんて好きじゃないから」
自分の挑発に乗ってハーパーは怒り狂ってケンカかましてくると思っていたフェリシアは 彼女がそんなに無関心な態度をとるとは思ってもいなかったから、 ただただ唖然としていて、 「もうハンセンなんてどうでもよくなったの?」 と自身に問いかけた。
いや、そんなはずはないわ! 今までハンセンのために、いくら笑いものにされても彼女は諦めなかったのに、 今更そんな潔く観念するなんて嘘よ! 騙されるものか!
「姉さん、裏切られて心を痛まれてるのはわかるけど、殿下は徒し心などではありまー」
「たしかに徒し心のスケベ野郎だけど、 あんたにはぴったりかもね」 ハーパーは冷やかな笑顔を浮かべた。 「もう彼には失望したし、 むしろ婚約を解消してくれたおかげで、こっちの手間が省けてよかったぐらいよ。 けれど、まさかあんたがそんなダメ男に惚れてしまうとは思わなかったわ。 まさに目から鱗よ」
「ね…姉さん」 鋭い矢のようなその言葉に心を貫かれ、フェリシアは声を上げた。
まさか本当にハンセン離れできたとは… もうハンセンという札が使えなくなった今、他の彼女を苛立たせる方法を探るしかないわ!
一方、ハーパーは依然としてにフェリシアを警戒していた。 昔、このような挑発の効き目がよかったのは 元のハーパーはハンセンを本当に愛していたからであって、 しかしハーパーの体を乗っ取った彼女はハンセンを愛するどころか、 むしろ、彼を憎んでいだのだ。 だからどんなに挑発されようとちっとも腹を立てないどころか、 むしろフェリシアが次に何を企てているのかを探るために逆に感覚が研ぎ澄まされていくのだ。