神になる
作者崔 彰寛
ジャンルファンタジー
神になる
昨晩痛い目を見た執事は、翌朝地下室に現れなかった。 代わりにダレンの相棒が数名で、ゼンを武道館に連れて行く準備のために革の鎧を着せにやって来た。
いつものように、武道館では、 ルオ家の子供たちが朝霧と寒さをものともせずに、練習に集中していた。
子供たちは何の保護も付けずに素手で道場の隅に置いてある石像を打ち叩いている。 石像がどれほど固くても、子供たちは強い力と正確さで目標を打ち砕いていった。
奴隷たちは道場の反対側に立っていて、 子供たちの力の強さを見るにつれ、その顔にある憂鬱と絶望だけが強まっていった。
毎日毎日、絶え間なく拳で殴られたり、蹴り飛ばされたりするという終わりのない繰り返しは彼らにとって、ただただ耐え難い苦難にすぎなかった。 苦痛で悶えても、眠ることさえできればその間は痛みから逃れられただろう。 しかし、ほぼ毎晩、彼らは寝床に横になり、苦しみながら一晩中寝返りを打ち続けた。 残念なことに、彼らにはまったく自由が無く、 ルオ家に買収され、ひたすら殴打に耐えるだけの人生が待っていた。
「よーし奴隷ども!ちゃんと構えろ!」 師範のコーリーが叫んだ。
コーリーの声を聞くなり、奴隷たちはハッと我に返り背筋を伸ばした。 何しろ彼は 奴隷のほんの少しの不注意も見逃さず、すぐカッとなって鞭ーー それも普通の鞭ではなく、肌が強くなければ一回叩かれるだけで肌が簡単にベロリと剥がれてしまうような恐ろしい鞭ーーをふるうような鬼師範なのだ。
ルオ家の子供たちは、慣れた様子で 静かに奴隷を選び始め、 中にゼンを選んだのはメルビン・ルオという頑強な十代の若者だった。
すると他の奴隷たちのゼンを見る目はすぐに同情に満ちていた。
この年でやっと肌精錬の境地に達したメルビンは才能こそに恵まれていないものの、 その生まれ持っての怪力は、筋肉精錬の境地にある誰にも匹敵していた。 加えてその凶暴さと残忍さから、これまでその手にかかり死んだり重傷を負ったりした奴隷は数知れず、 ゆえにそんなメルビンのサンドバッグとして選ばれたのは実に不幸としか言いようがないのだ。
メルビンはゼンとの対峙に備え、拳を振り、身体をほぐした。 昨今、死刑囚の調達はますます困難になり、 他の一族が奴隷の争奪戦に加わったこともあって、その数はさらに減少していき、 ルオ家のサンドバッグ供給も段々追い付かなくなった。 そんな中で希少資源になりつつある目の前の奴隷を見て、 彼は無性に気持ちが高ぶり、目を輝かせずにはいられなかった。
奴隷を叩きのめすことは、子供たちにとっていい運動になるだけでなく、鬱積した感情のはけ口にももってこいだった。 メルビンが興奮したもう一つの理由は、このサンドバッグがかつてルオ家の若様だったという事実だ。
自分よりもはるかに身分が高かったはずの「若様」が、今となってはこの拳の下で慈悲を乞うしかないのだと 思うとメルビンはぞくぞくした。
一方、その怪力で名を馳せたメルビンの怖さを 知っていたゼンは眉をひそめた。 何しろ前回彼に滅多打ちにされた後はひどい痛手を受け、 臓器の損傷から回復するのに半月も掛かったのだ。
しかし、2年にわたる人間サンドバッグとしての経験から、どんな状況に置かれても冷静でいられる術を教わった ゼンは深呼吸すると、メルビンと対峙する前に革の鎧を整えた。
蛮牛拳という、非常に強力な拳法を練習中のメルビンは、生身の人間サンドバッグでその殺傷力を確かめてみたくてうずうずしていたため、 ワームアップを済ませると全速力でゼンに近付いてきた。
まさにその名の通り、怒り狂う蛮牛のような勢いで襲ってきたメルビンのパンチは ゼンを包み込むほどの爆風を起こしながらその胸に命中した。 そのあまりの拳威で、道場にいる誰もが目を見張った。
それに対しゼンは、打撃の効力を相殺する為に大きく呼吸をし、胸を固め、革の鎧の防御力を最大限に利用した。
「ボフ!」
厚い革の鎧はメルビンの拳の力を和らげてはくれたものの、強力なパンチを打ち消すまでには到底至らず、ゼンは身体全体に痛みが爆発するのを感じた。 それは巨大なハンマーで胸を打ち砕かれたような痛みだった。 その瞬間、ゼンはすぐに胸から空気を吐き出し、胸をできるだけ平らにした。
「はっ!」
そうすることで、胸部に緩衝地帯を形成し、敵の力を打ち消すことができるのだ。 これが、人間サンドバッグとして2年もの間生き延びてきた秘訣でもあった。
しかし、そのあまりにもすさまじい蛮牛拳の威力で、2回目に空気を吐き出した瞬間、耐えがたい痛みに襲われた ゼンは全身を衝撃で震わせながらも、無理矢理苦笑いしてみたものの、 身体は糸のちぎれた凧のように、一瞬にして後ろに飛ばされた。
バタンと地面に横たわった彼は、激しいめまいに飲み込まれていくのを感じ、 遠ざかっていく意識の中で、この一撃が致命傷になり、 もう何もかも終わりだろうと思ったが、 しばらくして、先ほどの痛みが嘘のように消えていることに気付いた。
本当に何も感じなかった。 すると、胸から奇妙な暖かさが流れ込んできて、 その暖かな流れにゼンの身体は勝手に反応し、 突然自分が空腹のオオカミになったかのように、その暖かさを貪りつくした。
そしてその暖かい流れは毛細血管を巡り、体の隅々にまで広がっていった。 それはまるで寒い冬の日にコタツに引きこもっているような心地よさだった。
「何が起こっている?」 ゼンは肉体に暖かい流れを感じながら考えた。
今は奴隷の身だが、かつてはルオ家の跡取りで、 その間に得た知識は計り知れず、 彼にはこれが普通の反応ではないことが分かっていた。
ルオ家が持っていた魔法薬のように、体全体を洗浄できる丸薬は非常にまれで、 それは体にさまざまな影響を与える可能性があると言われていた。 しかし、その原材料が非常に希少なため、 たとえルオ家のような裕福な家族でも、たった2つの魔法薬を調達するのに何百年もかかったほど、 その丸薬は貴重なものだったのだ。
しかしそもそも丸薬を服用していない自分に、なぜこのような現象が起こるだろうと、 しばらくの間地面に横たわりながら考えを巡らせた末、 ゼンは、この現象を前夜味わった奇妙な経験に結びつけた。
「肉体を器とし、 己が魂を霊鉄として鍛え、千磨百錬を経て、身を清め…」 ゼンは前夜に現れてきた武器精錬法の教えを思い返した。
「千磨百錬」って 打ち負かされることが必要な過程だったのか?
金箔に記されていたように、ゼンの身体は玄器となっていて、 武器精錬は、おそらく次の段階に行くための鍛錬の一部だ。 千磨百錬こそが最強の精錬武器を作り出すための一番重要な過程ではないのか?
打ちのめされることによって、全身を洗浄するのに必要な暖かい流れを生み出される としたら、殴られ続けることは、あの激レアな魔法薬を絶えず服用し続けることと同じである。
そう考えると、ゼンは胸の高鳴りと興奮を抑えられず、 心を波打たせた。
そしてその導き出した理論を裏付けるために彼は速やかに立ち上がった。
怪我をしていないどころか、逆にメルビンの一撃からもらった力で活力に溢れてまでいたが、 なぜ肉体的な損傷を受けていないのか疑問に思われないよう、苦痛を感じ痛みに震え、やっと立っている演技をした。
それでもゼンが立ち上がるのを見た時、 自分のパンチは相手を殺すか廃疾者にするだろうという予想とは裏腹に、 当の本人がまだ立てていることにメルビンは驚きで顔を引きつらせ、非常に当惑した。
「ほぉ、さすが筋肉精錬の境地に達しただけのことはある。 よくぞ 持ち堪えてくれた! お陰でもう一回技を試せるしな!」 そう言うなり、メルビンはゼンに再び殴り掛かった。
「バーン!」
再び激しく打たれたゼンは今度、 まるで人間の形をした土嚢のように、飛んで地面を転がされながらも、 痛みの代わりに再び暖かい流れを感じたとき、ひそかに興奮した。 やがてその暖かい流れは内臓、血管の隅々まで這い回る小さなヘビに姿を変え、 絶え間なくゼンの肉体を洗練し、器官を再生させ続けた。