上司の神宮寺朔(じんぐうじ さく)に、私は彼の婚約者のために骨髄を提供することを強要された。
彼女が、体に傷がつくのを怖がったからだ。
7年間、私は幼馴染だった男のアシスタントを務めてきた。
今では私を憎悪する、その男の。
でも、彼の婚約者、姫川玲奈(ひめかわ れいな)が欲しがったのは、私の骨髄だけじゃなかった。
彼女は、私に消えてほしかった。
彼女は私に、5億円の贈答品を破壊した濡れ衣を着せた。
朔は私に、砕けたクリスタルの破片の上に膝をつかせ、膝が血に染まるまで許さなかった。
彼女は私に、パーティーでの暴行の罪をなすりつけた。
彼は私を逮捕させ、私は留置場で血まみれになるまで殴られた。
そして、私が漏らしたわけでもないセックスビデオのことで彼を罰するため、彼は私の両親を誘拐した。
未完成の超高層ビルのクレーンから、地上数百メートルの高さに両親を吊るし上げ、その光景を私に見せつけた。
私のスマホが鳴る。彼の、冷たく勝ち誇ったような声が響いた。
「もう反省したか、紗良?謝る気になったか?」
彼が話している最中、ロープが、切れた。
両親が、闇へと吸い込まれていく。
恐ろしいほどの静けさが、私を包んだ。
口の中に血の味が広がる。彼が最後まで知ることのなかった、私の病気の症状だ。
電話の向こうで、彼が笑う。
残酷で、醜い笑い声。
「そんなに辛いなら、その屋上から飛び降りればいい。お似合いの結末だ」
「わかった」
と、私は囁いた。
そして、私はビルの縁から、何もない空へと足を踏み出した。
第1章
骨髄を抜き取るための針は、太く、冷たかった。
小鳥遊紗良(たかなし さら)は、無機質な病院のベッドに横たわり、背中を晒していた。
器具は見なかったが、その存在は感じられた。これから訪れる痛みの、確かな予感を。
医師が再び手順を説明する。その声は穏やかだったが、それで現実が和らぐわけではない。
痛みを伴います。かなりの。
神宮寺朔は、窓際に立ち、背を向けていた。
背が高く、私の車より高価なオーダーメイドのスーツに身を包んでいる。
彼は街を見下ろしていた。まるで自らの領地を眺める王のように。
彼の婚約者、姫川玲奈が事故に遭った。彼女が生きるためにはこの移植が必要だったが、彼女は自分の完璧な肌に傷がつくことなど耐えられなかった。
だから、彼は紗良に白羽の矢を立てた。
彼の個人秘書。
金のためなら何でもすると、彼が信じている女に。
針が、皮膚を突き破った。
紗良は唇を強く噛みしめた。鋭い鉄の味が口いっぱいに広がる。
決して声は上げない。
彼を満足させてたまるものか。
針がさらに深く、腰の骨にある骨髄を探して進むにつれて、彼女の体はこわばり、すべての筋肉が悲鳴を上げた。
体の芯を抉るような、鈍い痛みが全身に広がっていく。
彼女は固く目を閉じ、額には汗が滲んだ。
沈黙は守り抜いた。
それが、彼女に残された唯一のものだったから。
永遠とも思える時間が過ぎ、ようやく処置は終わった。
医師は手際よく、しかしどこか他人行儀な手つきで傷口に包帯を巻いた。
紗良はゆっくりと、痛みに耐えながら体を起こす。
背中は鈍く、執拗な痛みで脈打っていた。
震える手で、服を着る。
朔が、ようやく振り返った。
その顔は相変わらず整っていたが、瞳は冷たく、かつて彼女に向けられていた温かさは完全に消え失せていた。
「終わったのか?」
彼の声は、平坦だった。
紗良は頷いた。自分の声が信用できなかった。
ただ、この場を去りたかった。一刻も早く。
「私たちの契約は…」
なんとか、それだけを口にした。声が、かすれていた。
「これで終わりですか?」
彼女が言ったのは、契約のこと。彼女を彼に縛り付ける、歪んだ取り決め。
この仕事。彼のそばにいるという、終わりのない日々の拷問。
朔は誤解した。
あるいは、そうすることを選んだのかもしれない。
彼はスーツの内ポケットから小切手帳を取り出した。
金額を書き込み、それを引きちぎると、彼女に突きつけた。
「ほら」
彼は唇を歪め、嘲るように言った。
「お前の値段だ。お前は昔から、自分の体を切り売りするのが得意だったな、紗良?」
その言葉は、針よりも深く彼女を傷つけた。
彼女は小切手に目を落とし、それから彼の顔を見上げた。
子供の頃から愛してきた顔。
今では、侮蔑以外の何も映さない顔。
差し出されたそれを受け取ろうとする手が、震えていた。
指先が彼に触れると、彼は火傷でもしたかのように手を引いた。
彼女は小切手を受け取った。
お金が必要だった。喉から手が出るほどに。
彼女はそれを丁寧に折り畳んでポケットにしまい、溢れそうな涙を隠すように俯いた。
バッグを手に取り、一言も発さずに部屋を出た。
病院のドアが背後で閉まると、都会の空気が肌に冷たかった。
彼女は壁に寄りかかった。背中の痛みと心の疼きが、一つの耐え難い重荷となってのしかかる。
いつもこうだったわけじゃない。
お金も、憎しみもなかった頃があった。
神宮寺朔が冷酷な億万長者ではなく、ただの朔だった頃。
私の、朔だった頃。
彼は孤児として、私の家族のもとにやってきた。
世界に見捨てられた、物静かで聡明な少年。
小鳥遊家は彼を迎え入れ、実の子のように愛した。
彼は私たちの小さな、幸せな家族の星だった。
私と朔は兄妹のように育ったが、私たちの絆はもっと深かった。
裏庭に二人で植えたプラタナスの木陰で育まれた、誰にも言えない、秘められた恋心。
彼は何でもこなし、偉大な未来を約束された、輝ける少年だった。
紗良は彼の影であり、親友であり、彼の笑顔を守る者だった。
二人きりの時、彼はただ、私の家族を愛し、私を愛してくれる少年だった。
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