俺の妻はそっけない女
作者広部 咲織
ジャンル恋愛
俺の妻はそっけない女
Sシティの夜はカラフルな精彩を放ち、 柔らかく霧のかかった街灯の光が、通りの喧騒を照らしていた。 エドワードは、セクシーワールドにある彼専用の駐車スペースにスムーズに駐車し、 車から降りた。彼の長い脚はバーの外の光の中で一層際立つ。
そしてまるで周りに誰もいないかのようにバーに入って行き、 その深く青い瞳は一瞬でデュークを見つけると、 微笑みを浮かべ、彼に近付いた。
「わるい! 遅くなった」 と、まったく反省の色の見られない口調で謝った。 デュークはつられて微笑んだが、その笑顔は一瞬で消え去り、 氷のように冷たい表情に戻った。
「別にいいよ。 慣れてる」 自分から誘いをかけておきながら遅れて来るなんて。
「そんな言い方はないだろ? それじゃまるで俺が毎回遅刻してるみたいだ」 エドワードは断固として自分の非を認めない。 彼は目の前のワイングラスを手に取り、そっとスワリングさせ一口飲んだ。 キンキンに冷えた液体が喉の奥を通り、五感に沁みわたる。
「お前がいつも遅れるって言うか、他の人はいつも早く来る」とデュークはエドワードの言い分を遮るように言った。 ワインをこんなにかっこよく飲む必要があるのか? 店内の女性たちは今すぐにでもエドワードを床に押し倒して一戦交えたいというような様子で舌なめずりしていた。 そう思わせるほど彼女らの目は飢えていた。
「一晩中遅刻のお説教を言って過ごすつもり? お前には分からないかもしれないけど、俺、抜け出してくるだけで大変なんだぜ」 そしてエドワードが哀れっぽいおどけた顔で友人を見ると、 デュークは身震いした。 なんてこった! 幸いなことに、こいつは同性愛者ではなかった。さもないと、間違いなく受け身の側にされていただろう。
もしエドワードがデュークのいやらしい考えを見透かしていたなら、彼は怒ったに違いない。 デュークが何を考えていたって? 仮に自分が男色だったとしても、受け身側ではなく、攻めの側になってやる。 クソ! どうなってんだ! 彼の性的指向は極めてノーマルなはずなのに、 こんなにいやらしい想像をしてしまうとは。
「誰のせいで抜け出して来れないって?」 デュークはここぞとばかりにエドワードをからかった。
「俺の息子! おい、どう思う?あの女は長年放置された腹いせに、復讐のためにあの子を送り込んだのかな?」 幼い息子の拷問レベルの高さが頭痛の種になっていた。 もしそれを知っていたら、一人で息子を迎えに行くなどという無謀なことはしなかったであろう。
「えっ、なんで? ジャスティンってそんなに悪ガキ?」 デュークは満足げにエドワードを眺めた。 あのエドワードがこんなにも誰かに振り回されるなんて、見ていて気持ちが良かったから。
「ああ! もう、あの子はずっと一緒に来るって言ってるのよ。 あの様子じゃもう自由には出かけられない」 冗談じゃないか。 どうやって未成年者を バーに連れて行くんだってんだ。 彼はなぜジャスティンがこんなにも、どこへでも付いて来たがるのか、その理由が全く分からなかった。 大好きだから離れたくない、というわけでも無さそうなのだ。 エドワードの勘は当たっていて、彼の息子は父親を慕ってはいなかった。
恐らくそれは、インターネットや新聞で散々目にしてきた 父親に関する艶聞のせいだった。 ママに相応しい良い夫になるようにパパを訓練するために、 まずしなければいけない事は、他の女性と付き合うのを防ぐことだった。 そうでなければ、ママの入り込む隙さえも無いから。 それが小さなムー氏が 考え付いた作戦だったのだ。
「で、奥さんと何があったの?」 レン氏! そんな凍り付いたような冷たい顔で ゴシップネタのような質問をするとは!
「それが分かっていればいいんだけど…」 まじか! デュークは言葉を失った。 ムー さんよ! それは他でもないお前の妻だろう。 お前が知らなかったら、一体誰が知っているというのか?
考えに耽るエドワードの邪魔はせず、ソファにもたれかかるデュークは お酒のせいなのか、いつもより柔和な表情で、それほど冷たくは無かった。
「一体どんな女なんだと思う?」 エドワードの質問は、実は質問ではなく、自分自身への問いかけで、 デュークの答えはどうでもよかった。
「実を言うとさ、昨日まで彼女のことなんてホントどうでも良かったんだけど、突然、こんな風に現れるなんて」 手に持ったお酒をまた一口飲み、舌先に冷たさと熱さを感じた後、その未知の感情に鬱々とした。
そう、鬱々とする。 必要なんてないのに。 なぜって、エドワード・ムーは、何百万人もの女性が床を共にしたがる人物で、また全ての著名な家系の娘が理想とする夫なのだから。 そんな彼は女性に振り回されることなど決してなく、女性を喜ばせる必要もなかった。 にもかかわらず、顔さえはっきり憶えていなかった女性に心乱され、彼女のことがもっと知りたくて仕方がないという衝動にさえ駆られているのだ。 そんな自分自身に怯えた。
「で、彼女のことが気になるの?」 そう言ってデュークはグラスを回すと、 水色の液体がグラスの中で静かに渦巻いた。 そして彼は横目でエドワードをちらりと見た。 この男はついに今まで居ないものとして扱ってきた彼の「妻」と向き合うことにしたってわけか。
「よく分からない。 だから気分が悪い」 彼はグラスを掲げてデュークのグラスにチリンとぶつけ、残りのお酒をあおった。 すると突然、周りが静かになった。
「ねえ! もしかして ムーさん?」 突然なまめかしい声が沈黙を破り、考えに浸っていた男たちは揃って眉をひそめた。
「あっちへ行ってくれ!」 そう告げたのは 冷酷なデューク。 正直で潔白なライフスタイルを信条とするデュークは、その手の女性たちとのかかわりを嫌ったので、 彼女のような女性に親切に振舞うことは不可能だった。
「ムー さん」 きまり悪そうにエドワードを見たその女性は FXインターナショナルグループの人気モデルだった。 不当な扱いに気分を害したこの女性は、赤い唇を噛み悔しさを堪えていた。
「デューク、この若く美しい女性が怖がってるじゃないか!」 友人の不機嫌な顔を見て、エドワードがからかうように言った。
デュークはしれっと目をそらし、彼を無視した。 モテ男のエドワードを連れているのだから、 最初から個室に入ればよかった。
エドワードは手を振り、彼女に席を外すように促すと、 女性はしぶしぶ向きを変え、ハイヒールをカツカツ鳴らしながら怒って立ち去った。
「デューク、俺のことが好きなの?」 エドワードのふざけた声に、デュークは口に含んだばかりの年代物のワインを噴出した。 エドワードめがけて。 結果はご想像の通り。
「汚ねぇな」 エドワードは素早く逃れようとしたが、それでもかなりの量の液体を浴びていた。
「お前のせいだろ」 そう言いながらも、デュークはエドワードにペーパータオルを渡すことを忘れなかった。 これこそ自業自得と言うものだ。 デュークは少し弱っているように見えるエドワードの優位に立とうと密かに考えていたが、すぐに反撃されてしまった。
「違うの? 女と一緒のところ見たこと無いけど」 巷では、レン氏企業の社長は女嫌いで、実は同性愛者だと言われていて、 デュークがエドワードと親しくしている理由は エドワードに恋をしているから、と言われていた。 その噂によれば、 エドワードの性的指向が正常だったことを残念に思うデュークは、やがて表情を失い氷のようになってしまった。 その冷淡さは恋の代償だったと。
「ばからしい! 性的指向に問題があるのはお前の方だろ」 デュークは怒りに震えていて、彼の冷たい顔はいっそう凍り付いていった。 こいつみたいに手当たり次第女と寝なきゃ 普通じゃないってのか? なんてこったい! 冷淡なのはそんなに異常か?
「俺の性的指向に問題? お前、俺の息子を見ただろう?」 エドワードは怒りを露わにする友人に臆することなく、デュークをからかい続けた。 「そもそも俺の性的指向に問題があるわけ無いのに。 じゃなかったら、子供は出来なかっただろ?」
かわいそうな デューク! 紳士的なあなたは エドワードとやり合うには 良い人過ぎなのだから、 腹黒い奴は放っておいたほうが身のためだ。
「同性愛者には子供がいないって誰が言った?」 悔しさに歯を食いしばりながら苦し紛れにそう言った 彼の冷たい顔は興奮で火照っていた。
デュークも 邪悪な エドワードに負けてはいない。
「俺が同性愛者か疑うんなら、 場所を変えて試してみてもいいんだぜ。 そうしたら、俺の性的指向が分かるさ」 そう言いながらエドワードは威圧的な眼差しでデュークを真っ直ぐ見つめた。デュークはこんな奴には今すぐ別れを告げて、そしてもう二度と関わりたくないと思った。
「どれだけ恥知らずなんだ 俺はもう帰る。 好きにしろ!」 デュークはついに怒りを爆発させ、そう言い放つと、 椅子の後ろから上着を取り、優雅に去って行った。 あと一秒ここに居たら、エドワードの美しい顔面を殴ってしまいそうだったから。
エドワードはそのような彼を見て笑わずにはいられず、その笑顔が再び多くの注目を集めた。 彼はそれを気にする様子もなく、気ままにその場を後にした。