俺の妻はそっけない女
作者広部 咲織
ジャンル恋愛
俺の妻はそっけない女
幼稚園が変わっても、ジャスティンは特に戸惑う様子も見せなかった。 以前の幼稚園はただ軍に近いので通っていただけで、何の思い入れも無かったし、 新しい幼稚園がここから少し遠いことも知っていたが、昨日のスター幼稚園での一件が、父親を激怒させたので、まぁ、ここは何も言わずに父親に任せておくのが得策だ、と判断した。 そもそも、別にどこに通おうがどうでも良かったのだ。
Sシティの灼熱の夏は厳しく、 まだ午前中なのに、いたるところが熱波に襲われていて、 通りを歩く人もまばらだった。
エドワードは運転に集中していた。 セクシーな薄い唇はしっかりと閉じられ、その目は情熱で満たされ、細い指先は無意識のうちにハンドルをトントンと弾いていた。 その姿はまるでぐったりと疲れたライオンのようで、人の心を惑わす。
その美しい光景は騒々しい着信音によって崩され、エドワードは内心ガッカリしながらも、 通話ボタンを押した。
「もしもし! なるほど、了解。 すぐ行く」 言い終わるなり、ハンドルをぐるりと回し、車を急旋回させると、 車輪は埃を巻き上げ、まるで走り馬のようなスピードで去って行った。
エドワードが駐車し終わるのも待たずに、アーロンがめったにない苛立ちの顔をして、 小走りに歩いてきた。
開口一番、「最愛の社長、お待ちしておりました!」 と言うと、安堵のため息をついた。 それに引き換えエドワードは彼を冷たく見た。 あんな剣幕で急かすなんて、 一体何が起こった? 何があっても落ち着いているアーロンがこんなにおどおどするなんて、よっぽどのことなのだろうか?
「何か問題でも? その計画はもう通ったはずなのに、 今更練り直すってどういう事?」 そう言いながらエドワードは目の前のケイトホテルを見上げ、速足で中に入って行き、アーロンはその後ろを小走りで付いて行った。
「問題はYSグループの新社長です。 この人は、うちの創造的な発案を1つずつ否定して、終いには社長との直接の面会を要求してきたんです」 自分の不始末でこのような事態になったと思われないように、 アーロンは注意深く言った。
「YSグループはいつの間に社長を交代したんだ? 初耳だぞ?」 エドワードは歩くペースを少し緩めて、 なぜ最近俺に直接会いたい奴らばかりいるんだと思いを巡らす。
「噂によれば、最近海外から帰国した元社長の娘だと」アーロンは低い声で説明した。
「はぁ? 現在の社長って女か」 エドワードは思わず眉をこすりながら言った。 どうやら エドワードは女性に対する職業差別を持っているようだ。 女性社長の何が問題だろう? 母親や妻は 女性ではないのか? 確か彼は同性愛者ではないはず。
特権階級用のエレベーターがホテルの最上階に到着すると、正面に豪華な会議室があった。 このホテルもFXインターナショナルグループに所属しているので、ここにも専用のオフィスエリアを構えていたのだ。
今そこでは、上質なスーツに身を包んだ、すらっとした美しく有能な女性が 手元の資料に目を通していた。 彼女の柔らかな髪のカールさえ計算しつくされるかのように巻かれていた。 不服そうに眉をひそめているその女こそが、 YSグループの新社長、ベリンダ・シャンガンである。
エドワードは、女社長という言葉から、彼が見慣れているようなセクシーに美しく着飾った女性を連想していたので、 このような媚びない美しさの女性を見て、良い意味で期待を裏切られ、好印象を持った。
「こんにちは! FXインターナショナルグループのエドワード・ムーです」 そう言って手を差し出した。
「ベリンダ・シャンガンです。 初めまして」 彼女は、まるで彼の手が不潔であったかのように、エドワードと素早く握手を交わした。
エドワードはそれを気に留めず、優雅に椅子に腰かけた。 彼はビジネスウーマンに、もっと言うならば、若くて綺麗なビジネスウーマンに敬意を払っていた。
「それで、シャンガンさんは弊社の構想計画案に満足されていないわけですね? 詳細についてお話しいただけますか?」 エドワードは彼女の好奇心旺盛な視線を無視し、穏やかにゆっくりと話した。
エドワードの自惚れなどではなく、確かに彼女は彼を見ていた。 そしてついに彼女は、なぜあの女性がこの男に夢中になっているのか、答えを得たのだ。 どんな美容オタクの女性でもため息をつくような完璧な肌、 挑発的でありながら冷たい絶妙に薄い唇、 そして、彼の紺碧の瞳はからかうように彼女を見つめていて、彼女は不覚にも赤面した。
ベリンダは静かに思いを馳せた。 「ムーさんなのね。 やっとお会いできました」 意味の分からない発言にエドワードは困惑した。 アーロンも戸惑った。 この女性はエドワードに会うためにわざとケチをつけて来たのか?
アーロンの推測は 正しかった。 ベリンダは本当に社長に会うためにここに来ていたのだ。
「シャンガンさん、それではご用件とは?」 エドワードは彼女の反応によって、彼の取り巻きの一人だろうと判断し、 いつものように、きざな笑みを浮かべて対応した。
「本当のところ、貴社のプロジェクト計画について、しいてお伝えするべきことはありません」 はぁ!? その発言にアーロンは衝撃を受けた。 散々あら捜しをしてケチを付け、 終いには社長以外は誰とも取り合わないと言ったこの女性が、 一体何を言い出すんだ? アーロンだけでなく、エドワードも彼女に一瞥を食らわせた。
「私は社長に興味があるのです」 何だって? アーロンは怒りを通り越して呆れた。 クソが! 社長に興味があったとしても、なんだって助手を拷問するんだ。 他にも方法があっただろう? それで思いついたのがあら捜し作戦か? アーロンはこの半月、このプロジェクトに心血を注いだ。それが、この女社長の発言によってすべて無に帰したと思ったのだ。 彼は 本当に傷付いた。
「ならば、 シャンガンさんは私に恋をしているのですか?」 エドワードは皮肉な口調で言った。 なぜなら彼は、ビジネスを口実に近付いて来るやからに心から嫌気がさしていて、 ベリンダのこともそのような女性だと判断したのだ。 最初は好調だった彼女の株も、もはや大暴落した。
「違います」 ベリンダは人差し指をそっと振った。 「何年もの間、無条件に愛されているのはどんな男なのか、愛されるに値するのか、そのお顔を拝見しに来ただけです。 百聞は一見に如かず、ですね」 そう言って彼女は見下すようにエドワードを見た。
エドワードは顔を曇らせ、彼の周りの空気は冷たく凍りついたようだった。 「シャンガンさん、私の気を引こうとしていますか? もしそうであれば、確かに成功したけれど、残念ながら私はあなたご自身には、まったく興味がありません」 そう言い捨てて去りたかったが、そうもいかなかった。
ベリンダは笑って首を横に振った。 彼女はエドワードの怒りを完全に無視し、 「ムーさん、ご冗談を? あなたの興味をかき立てることに何のために? 別に普通のお話でしたよね? あなたの方が考え過ぎだったのでは?」と言った。
ワオ! このようにエドワードとやり合う女性は 今までにいなかったので、 この女性はとてもかっこよかった。 アーロンは逃げ出したい気分で 社長の顔色を伺い見た。 自分が議論に巻き込まれる事だけは避けたかったのだ。 アーロンは泣きそうだった。 シャンガンさん、どうぞお手柔らかに。 エドワードの目に怒りが見えませんでしたか?
「では、そもそもなぜ興味を掻き立てる必要があったのか、シャンガンさんに聞いてみたいですね。 わざと気のない素振りをしているのですか?」 彼は落ち着きを取り戻した。 たかが女性なんぞに気持ちを揺さぶられてたまるか!
「ムーさんは、 妄想癖がおありですか? そうでなければ、なぜあなたは自分都合で勝手な解釈をなさるのでしょう? どうぞご安心ください。 そのうち真実がお分かりになる日が来るでしょう。 それでは今日はこの辺で失礼します」 エドワードに何も言う隙を与えず、彼女は立ち去った。 彼女は彼を無視した二人目の女性だった。 一人目はもちろんデイジー・オウヤン、今度はベリンダ・シャンガンにも無視されたのだ。 彼はいつからそんなに、なめられるようになったのか? 今度はベリンダがどんな風に出て来るか興味はあった。 その点では彼女は素晴らしかった!
エドワードはハイヒールで立ち去ったベリンダをむっつりと見つめ、「あの女は一体どういうつもりだと思う?」とさりげなく尋ねた。 エドワードはアーロンをぼんやりと見て、答えを待った。
アーロンには返す言葉も無く、 何か言おうと口を開いたが何も出てこなかった。 「社長、そんな風に私を見ないでください。 あなたにさえ分からないことが、どうやって私に分かりましょう?」 と彼は思った。
幸いなことに、エドワードは彼からの返答を期待していなかったので、 そのまま部屋を後にした。 アーロンは見捨てられたと思い、悲しんだ。
その頃ベリンダは運転しながら笑っていた。 最初のラウンドでこれほどの大勝利を収められるとは思っていなかったので、自分自身に非常に満足していたのだ。 その男は聞くほどの男でも無さそうだったが、 とにかく、次にまたエドワードと会える日を 楽しみにすることにした。