汐見浜空港。
霧島夢は送迎エリアに立ち、足元には大きなスーツケースがひとつ置かれていた。
腕時計に目をやる。飛行機を降りてからすでに三十分が経過しているというのに、一年前に電撃的に結婚した夫は、まだ姿を見せていなかった。
彼女はわずかに眉をひそめ、顔も知らぬその男に対して、自然と印象を悪くしていった。
初対面だというのに、時間も守れないなんて――。
そんな思いが胸をよぎると、彼女の脳裏には、一年前の慌ただしい結婚の記憶が浮かんでくる。
一年前、祖父・霧島夜斗が突然重い病に倒れたのだ。
祖父の見舞いのために海外から急いで帰国した夢に、祖父はひとつの願いを口にした。「この目でお前の結婚を見届けたいんだ」
霧島夢は断りたかった。けれど、彼女を孤児院から引き取って育ててくれたのは霧島夜斗だった。その恩人を失望させることは、どうしてもできなかった。
結局、夢は祖父の言う通りに、顔も知らない男と電撃的に結婚することになる。
結婚式当日、相手は姿を見せなかった。婚姻届すら他人の手で手続きされたものだった。
彼の名前と、商売人だということ――夢が知っているのも、霧島夜斗から聞いたその程度だ。
いま思えば、あのときの妥協は、果たして正しかったのだろうか。
そう思いながら、夢は再び時間を確認した。さらに十分が過ぎていた。
小さく息を吐いて、そろそろ霧島夜斗に電話をかけようとしたそのとき、背後から耳をつんざくようなエンジン音が響いてきた――
銀色のアストン・マーティンが、彼女の目の前にさっと滑り込むように停まった。窓がするすると下がる。
霧島夢は思わず一歩後ずさりし、反射的に声を上げた。「どうして君がここに?」
運転席にいたのは、彼女の従兄――菅原大和だった。
「その言い方、さすがに傷つくなあ」 そう言いながら、大和は車から降り、わざとらしく目頭を拭うしぐさをしてみせた。「君が帰ってくるなんて一大事じゃないか。従兄として迎えに来るのは当然だろ?なのに、そんな冷たい態度とはね」
その芝居がかった態度に、夢はもう慣れっこだった。
夢は唇をすぼめたまま、何も言わなかった。
「さあ。歓迎の食事でも奢ってやるよ」 大和は片手を彼女の肩にかけ、もう一方の手でスーツケースを引き取ると、そのまま車の方へと押していく。
「ちょっと待って」 夢が立ち止まり、手で制した。
「何を待つっていうんだ?」足を止めた大和は、ふと思い出したように目を細めた。「まさか――君、あの旦那さんを待ってるんじゃないだろうな?」
夢は何も言わなかったが、その表情がすでに答えを語っていた。
大和は鼻で笑い、あからさまに軽蔑した声で言った。「忘れたほうがいいよ。君たち、結婚してもう一年だろ?あいつから一度でも連絡があったか?」
問い詰められた夢は、言葉を失い、ただ沈黙で返すしかなかった。
「電話の一本すらよこさない男に、迎えに来てくれるなんて期待してるのか?」大和の声には、さらに皮肉が滲んでいた。