甘やかされた女
目の前で繰り広げられた驚愕の事実に、エミリーは大きく目を見開いた。 骨が折れる音がハッキリと聞こえた…
苦痛によってレオは顔全体を歪め、金切り声をあげている。
それから数分後。ヤコブはやっとレオの手を踏みつけることをやめた。 そして靴についたレオの血をカーペットに擦りつけて拭き取った。 いつもポーカーフェイスなヤコブの表情から、床に悶え横たわるクズ男に対して抑えきれない嫌悪感が溢れ出ていた。
ヤコブがレオを殺さなかったことだけが、ただただ、エミリーをホッとさせた。
もし彼がレオを殺してしまったら、エミリーを疑わないという余地はなかっただろう。 ヤコブのような地位にある人物が何をしようとも恐れるものなど何もないだろうが、エミリーは庶民で、どこかのセレブリティの妻でもない。警察は彼女を疑い、取り調べることは明白だ。
エミリーがこれからどうするべきかを考えていると、彼女がいる部屋へと近づいてくる足音が聞こえてきた。 エミリーは鼓動を抑えた。
誰かが物音に不信感を抱き、確認しに来たのではないか。 エミリーはどうするべきか!
「ヤコブ…さ ん?」 エミリーは振り返り、表情もなく自分の側に立つヤコブに目をやった。 「ごめんなさい!」そう言うと彼女はヤコブの手を引っ張った。
……
と同時に、ドアの外の足音は、彼女の部屋へと手をつないでやってきたジャックとローズのものだということがわかった。 「ジャック。私はエミリーを責めるべきではないと思うわ」と、ローズはジャックを焚き付けていた。 「エミリーは、ジャック、あなたともう別れたと思っているのよ。だから彼女は誰と一緒にいようと、 それを悪い事とは思っていないの。もしかしたら本気でコンペティションに勝ちにきているのかもしれない。そして審査員を買収しようと…」
「黙れ!!」 ジャックは無下にローズの話を遮り手を振りほどくと、エミリーの部屋にズンズンと大股で向かった。
エミリーの部屋のドアは大きく開かれていた。 部屋の真ん中に立つエミリーに表情はなかった。そして、彼女の足元には、 ほぼ意識を失っているボロボロになった男が横たわっていた。
一体目の前で何が起こっているのだろうかと、ジャックは呆然としていた。 「エミリー、何をしているんだ?!」 そう声をかけたジャックの表情は曇っていた。
ローズはジャックよりさらにショックを受けていた。 なぜエミリーはレオと寝ていなかったのか? そして、なぜレオはボコボコに殴られ、床に倒れているのか? 「これは何ごと?」
ジャックとローズが揃って姿を現した。 もしこの時点で、エミリーが目の前で起こっている事柄を理解していなかったならば、彼女はなんと世間知らずで愚かな女性だろう。 しかし、幸いなことに、彼女はそうではなかった。 もしヤコブの助けがなければ、今頃大変なトラブルに巻き込まれていたかもしれなかった。
今この瞬間、エミリーが最も願うことは、部屋の中にいるビッグボスが誰にも見られないように機転を利かせてくれることだった。
やはり、別れたと言っても、ジャックはまだエミリーの「セックスフレンド」を嗅ぎまわっていた。 エミリーは、ジャックの探している人物がヤコブだと知ったらどうなるかを、あえて考えないようにしていた。
「あなた達にはどう見えるかしら?」 エミリーはジャックとローズに冷たい視線をチラリと向けた。
「この男は私をレイプしようとしたの!正当防衛よ!」
エミリーは冷静にそう言ったが、心の奥底では理由なき罪を感じていた。
「そんなわけがない!」 エミリーが噓をついているかどうか、ジャックは彼女の顔をジッと見つめたがそれは演技のようなものじゃなかったと分かった。 「火のない所に煙は立たぬ。エミリー。君が正当防衛、無実を主張するのは構わない。しかし、そもそも、なぜレオがエミリー、君のもとを訪れたのだ?」
もっと言えば、エミリーが男性をここまで打ち負かすことなどできないとジャックは確信していた。なぜなら、エミリーはローズと争ったとしても、勝つことができないほど小柄で華奢だったからだ。
そんなエミリーがどうしてここまで、ボロボロになるまで、 大人の男性を殴り倒すことができるというのか。 「エミリーを助けた誰かがいるに違いない」ローズとジャックは瞬時にその結論に達した。
ジャックとローズがその第三者を探すために部屋に入ろうとしたが、 エミリーは両手を広げて2人を止めた。
「ジャック。なぜ私がジャッジされる立場なのかしら?この件について、ジャック、あなたは恋人のローズに話を聞くべきだと思うわ?」 「ローズ、 思った通りにいかなかったようね。 さぞかし残念だろうね」
ローズから笑みが消えた。 「エミリー!なぜ私が残念だと言うのかしら?あなたの無事は私にとってどんなに良かったことか…」 ローズは知らぬ存ぜぬを装ったが、唇はしっかりと嚙まれていた。
「まぁ、ローズ。あ なたは本当にお芝居が上手だわ。主演女優賞でオスカーも夢じゃないわね」
「エミリー、 はぐらかすな。君が何をしたかを自分自身でよく知っているだろう」 ジャックは焦りながらも、精いっぱい冷静さを保とうとしていた。 彼はただただ、この部屋に他に人がいるかどうかだけを確かめたかったのだ!
するとジャックはエミリーを脇に追いやって強引に部屋に入ろうとした。 エミリーは慌てた。 慌てたエミリーは、咄嗟にジャックの足を思いっきり踏んだ!
足を前に踏み出していたところを阻まれたジャックは、数歩、後ろへよろめいた。 「エミリー。オマエはセックスフレンドをかくまっているんだろう!!」突如ジャックは大きな声で怒りを爆発させた。
「あなた、 頭おかしいんじゃないの?! 何の権利があって私の部屋に入ることができるの?」と、エミリーもジャックに怒りの声をぶつけた。 「自分たちを何様だと思っているのだろうか? 2人とも出て行って! 出ていかなければ警察に通報するわ!」
エミリーが堂々と振る舞えば振る舞うほど、ジャックの疑念は増すばかりだった。
「俺に出て行ってほしいようだね。だが、今日は部屋中を調べさせてもらうよ」
ローズはこの事態がどこへ向かっているのかただただ傍観していた。 もしジャックがこの部屋で男性を見つけたとしたら、エミリーには死よりもはるかに辛い運命を辿ることになる!
エミリーは何とかジャックを止めようとしたが、力で勝てるはずもなく、ジャックはとうとう抵抗する彼女を振りほどいた。
バンッ!と、ドアが勢い良く開けられた。 中には誰もいなかった。
「これで満足かしら?」 エミリーはジャックに冷たく「まるで嫉妬に狂った女のようね」という言葉を添えた。
「エミリー。調子に乗ってると足元をすくわれるぞ!」 エミリーの言葉にカチンときたジャック。「それにな、俺は、汚れた女と寝ることなど決してしないからな!」と捨て台詞を吐いた。
エミリーは自分がジャックに対する思いはすべてなく、心は水面のように落ち着くだろうと思ったが、 その台詞を聞いて、彼女はまた心を何かに刺されたように痛みを感じた。そして皮肉をこめて 「汚れた女?」と微笑んだ。 「ジャック。あなたより汚れている人、そうそういないわよ。それに、 『私があなたを捨てた!』ということ、忘れないでくださいね」
ジャックはひと呼吸おいた。 「エミリー。いつか君が俺のもとへ、俺の恋人に戻りたいと懇願する日が訪れることをな!」悔しさからか、ジャックは歯を食いしばったまま、一語一語を強調しながらエミリーに言い放った。
どこかで聞いたことがあるようなフレーズ。 そのフレーズは、ジャックとヤコブが同じ家系だということが不思議ではないと思わせた。 2人は同じ言い回しで人を脅したのだ。
「二度とあなたたち2人に会わないことを願っているわ!それとローズ!覚えておくといいわ。 あなたが宝物と思っているものは私にとってただのゴミに過ぎないわ。 こういう汚い手段を弄するのは面白いと思ってるの?」
「面白い?そうね、とても面白いわね。あなたの不幸は私の幸せの源!」 ローズは心の中 でつぶやいた。
しかしそれでも彼女は本音を表に出さず 、まだ繊細かつ温かみのある女性をまだ演じていた。 そんなドラマの主役を。
ジャックはローズとエミリーの会話からハッと我に返ると、自分の目的が何であったかを思い出し部屋中を探し続けた。
エミリーはイライラしていた。 彼女にとってジャックの存在が厄介になりつつあった。きっとジャックはエミリーのまだ見ぬセックスフレンドを見つけるまで、こうやって探し続けるのだろうと実感していたからだ。 かと言って、ジャックがヤコブと対峙するなど、エミリーには耐えられなかった。
彼女はもうジャックにどう対応して良いかわからなかった。 そんな崖っぷちに立つエミリーに、突然、外から声がかかった。 「ジャック様!」
その声に皆が注目した。 ドアに向かって振り返ると、ヤコブの執事であるサムの姿があった。
「ジャック様。 ヤコブ様がお話があ るとのことです」