愛しているから
帰ってきてから一週間がたった。
私は少しずつ、もとの私になれてきている気がする。 言葉は、ゆっくりゆっくり紡ぐように話している。 家族の間ならば、それで意思の疎通ができた。
今日は、お母さんと買い物にきた。 5階建てのデパートは、学校帰りによく寄っていた場所だ。 階段の踊り場には各階にベンチが置いてあり、仲の良い友達やカップルでいつも埋まっていた。 踊り場は、壁が大きなガラス張りの窓になっていて明るい。 今はまだ学校が終わる時間じゃないから、誰もいない。
_____あの頃は、誠君と優子と私の3人でよくここにきたなぁ
屋上と5階の間の踊り場に、行ってみる。
「うわぁ…」
何年ぶりかで見たここからの景色は、こんなに綺麗だったんだと改めて思った。
「ここからの景色って、こんなにふうに見えるのね。お母さん、ゆっくりここに来たことなかったわ」
「うん…きれ…い」
窓辺に差し込む光は、あの頃と何も変わらないのに、誠君も優子もいない。 “2人だけより、浩美もいた方が楽しいから” そんな理由でいつも私を誘ってくれていたあの頃。
一度だけ部活で遅くなった時、下から見上げたら夕闇に2人の影が見えた。 声を掛けようとしたら、顔を寄せてキスをしているシルエットが見えて、思わず柱に隠れたっけ。 私は5メートルほど離れて軽く駆け足して、今来ましたとアピールした、なんだか見てしまったことが恥ずかしかったから。
_____私ってば、なにしてたんだろ?
思い出したら、ふふっと笑いが出た。 お母さんは先に売り場に行ってるからねと、行ってしまった。 1人残って、懐かしい思い出を引っ張り出す。
「ヒロ?」
そうそう、誠君は私をヒロと呼んでたっけ。
「ヒ・ロ!」
「えっ!」
「やっぱり、ヒロだ!」
懐かしい声に振り返ったら、誠君がいた。
「う、そ…」
「嘘じゃないよ、俺だよ。久しぶりだなぁ、元気にしてたか?」
誠君はゆっくり近づいてくると、私の頭をよしよしと撫でた。 あの頃と変わらない、私をどこか子ども扱いする誠君の仕草。
「ん?どうした?信じられないか?本物の誠だぞ」
信じられないことが起きると、固まってしまうのは昔からだ。
「あ、あの…えっと…ゆう…こ、優子…は?」
「いないよ、俺1人」
「?」
「そっか、いつも3人だったもんなあ、俺とヒロの2人って初めてかもな」
「なん…で?」
「優子とはね、進む道が違うとわかって、それぞれで生きていくことにした。平たく言えば、別れた。でも、お互いに嫌いになったわけじゃないから」
「…みち?」
「そう。俺は、やっぱり絵を描くことを諦めきれない。憧れてる画家がいてね、その人に弟子入りしようと思うんだ。ブラジルだから、その前に旅費を貯めないとね」
_____キラキラしてる
誠君は、絵の話をする時、とってもキラキラしている。 高校生の時からそうだった。 キャンバスに向かう誠君は、真剣な眼差しで横からずっと見ていても飽きなかった。
いつのまにか、その眼差しの先には優子がいて、羨ましくなって、後出しジャンケンみたいに横入りしたくなったことがあった。 でもやっぱり、誠君の眼差しの先には優子しかいなくて、そして優子は私にも優しくて。
だから、私は横入りを諦めて2人の友達でそこにいた。 それは少し切なくて、けれど3人でいると楽しかったからそれでよかった。
懐かしさと切なさが蘇って、きゅんと胸が熱くなった。
「優…子…は?」
「アイツは、あっちで頑張ってるよ。別れといて言うのもなんだけどさ、アイツ、いい女になったよ、すごく」
_____本当に、嫌って別れたわけじゃないんだ
そう思ったらホッとした。
「ヒロは?どうしてたの?」
「あ、え、と…」
話したいのに、やっぱり言葉がつながらない。 どうしよう?もどかしい。
「あら?誠君?そうでしょ?」
「あ、おかあ…さん」
買い物を終えたらしいお母さんが、やってきた。
「久しぶりです、お元気そうですね」
「えぇ、おかげさまでね。浩美、お話できた?」
「……」
私は返事の代わりに黙って俯いた。
「お母さんが少し、お話しとこうか?誠君に」
私は、うんうんとうなづいた。
「じゃあ、そうね、ちょっとだけあちらへ」
お母さんは、私がいる前では話しにくかったようで、誠君と屋上へ行った。 私は、不意に現れた誠君に話したいことがたくさんあったのだけど、そのままベンチで2人を待った。 下を見ると、懐かしい制服姿の高校生が歩いている。
_____あの頃にもどりたいなぁ