CEOの彼の罠に落ちた
作者繁昌 空
ジャンル御曹司
CEOの彼の罠に落ちた
「オイ!コラァ! 俺様が誰だか知ってるのか?」 恐怖で仲間の後ろの方に隠れるようにいた成金のボンボンの1人が、自分は副市長の息子だと身分を明かした。
しかし、副市長の息子だと言い終わる前に、マイクの助っ人、ゾーイの助っ人らによる殴り合いが始まった。
夜がすっかり更けた頃だった。
社長のハリーを自宅に送るべく、街灯やネオンが灯る通りを運転手のジョーイは黒いマイバッハを走らせていた。 ハリーの会社の事業展開の1つとして飲食店の経営がある。その事業の1つであるソーホーバーの前を通り過ぎる際、ジョーイはふとその建物に目をやった。
「…あれ? 社長。あそこにとまっているお車ですが…社長のマセラティではないですか? ちょっと目視ですが確認致しますね。 社長、ナンバープレートも社長のマセラティと同じでございますが… お車、盗難に遭われたのでしょうか?」 その車の外見をきちんとハリーに確認させるため、ジョーイは車のスピードを落とした。
「盗難じゃない。妻にあげたんだ。」 ハリーがあまりにもがあっさりとサラリと結婚した事実を口にしたせいで、ジョーイはアクセルとブレーキペダルを 踏み間違えてグインと車が一瞬加速した。 幸いなことに、ジョーイが運転するマイバッハは路肩に寄せていたので、ハリーの身体が大きく動いただけで大事には至らなかった。その後、走行車線に車が戻るといつもの快適な運転に戻った。
「社長…えっと…ご、ご結婚、されたのですか?」 ジョーイは恐る恐る、ボソボソっとした声で尋ねてみた。 なぜ一番ハリーとともに行動しているだろうジョーイが、ボスの結婚という大事なことを知らなかったのだろうか?
「ああ。」 ハリーはまた、サラッとその日のスケジュール確認のように、大した事のないように答えた。 ジョーイは思わず槍でも降ってくるのではないかと運転席から空を見上げた。 ―社長はいつも自分の婚約者を嫌っていたはずだが― ―なぜ密かに結婚したのだろうか?―
「そう言えばジョーイ。あの車、マセラティはどこにいた?」 ハリーはふと何かを感じた。
虫の知らせのような。 ―こんな夜更けに…ローラがまだ外にいるというのか?―
「うちの社のバー、ソーホーバーの外にありました。」
「ジョーイすまない。車があったバーまで戻ってくれ。」
ハリーのひと声で、直進していた黒いマイバッハ車は交差点でUターンをし、ソーホーバーへと向かった。
ジョーイはあえてハリーの妻の車だというマセラティの横に車を停めた。 車から降りたハリーは、マイバッハのリアドアに寄りかかりながらタバコに火をつけた。 さぁ、どうやってローラを探そうか。
ハリーはローラの写真をジョーイに見せ、ある指示をした。
ジョーイが駆け足でソーホーバーへと入っていく。
そしてその2分後、ジョーイが慌ててハリーのもとへ駆け戻ってきた。 「社長!大変です!ト、トイレの前で大勢で殴り合いが! そ、その中に、お、奥様が!! 奥様が男性を殺そうとしています!!!」
「案内しろ!」 息があがっていたジョーイは首を縦にふると、ハリーはタバコを咥えたままジョーイとバーに飛び込んだ。
「やめるんだ!!」 突然、冷静な声がトイレ前の通路に響いた。
バケツで水を浴びせられたかのように、一瞬にして、熱を帯びていた10数名ほどの男性の殴り合いが止まった。
全員がトイレへの通路の入り口に立つ白いシャツを着た男に注目した。
その男はスラックスのポケットに片手を入れ、もう片方の手の指で半分吸ったタバコを挟んでいた。立ち姿はわかったが、通路の明かりは薄暗く、皆、彼の顔までははっきり見えてはいなかった。
しかし、その男はまるでオーラに全身を包まれているようだった。闇の使者のように神秘的かつ冷酷で、見る人を凍りつかせるようなオーラに。 廊下にたむろしていた野次馬たちは無言のまま、その場からスーッと立ち去った。 今まで聞こえてこなかったDJの音楽がよく聞こえてきた。
「お前は誰だ? なぜ俺様らの邪魔をする?」 副市長の息子というボンボンが勇気を振り絞って持って叫んでみたところで、みるからに虚勢を張っていることを晒す結果となっていた。
「ローラ、こっちに来なさい。」 さっきの言葉とは打って変わって、温かみのある声色だった。
ローラはハリーがここに現れたとき、助けが来てホッとした喜びや、なぜハリーがここにいるのかという驚きは感じなかった。反対に少し恐怖を感じていた。 確かに、ローラはトイレに立ったときは完全に酔っぱらっていた。 もしマイクとの思いがけない再会でローラの酔いが少しさめたとすれば、ハリーの登場は彼女を一気にしらふに戻した。
ローラは自然にハリーのもとへと歩いた。 ハリーに1歩1歩1近づけば近づくほど、優しさに包まれるような安心感に満たされていった。 ローラはしおらしくハリーのそばに立っていた。 マイクとゾーイは、天変地異でも起きたかのように目を丸くしてローラを見つめていた。傷の痛みなんてどこかへ飛んでい行ってしまったらしい。
なぜなら、マイクもゾーイも、こんな男性に従順なローラを見たことがなかったからだ。
「社長、ベンに連絡を取りました。」 ジョーイは小声でハリーに伝えたが、その場にいる全員がジョーイの言葉が耳に入った。 ―ベンだと?― ーD市でベンといえば、あの有名なヤクザの組長しかいないぞ?― ―こ、この男。あのベンを電話一本で呼び出したってことか?― ーこの男は一体何者なんだ!―
それからは、誰も、ひと言も、何も言葉を発しなかった。
ジョーイがハリーに報告してから3分。
たったわずか3分で、パジャマ姿のベンが情婦の家からソーホーバーに駆け込んできた。
「兄貴、何があったんですか!!」 荒れた息が少し落ちつき、ふと我に返ると、ベンはガウンも羽織らず、パジャマのまま駆けつけたことに気づいた。 そのうえ、靴ではなくスリッパでやってきたうえに、その左右も間違えているというありさまだった。
そんな出で立ちでも、電話1本で呼び出されても、ベンは目の前のハリーを怒らせる気など微塵もない。 ハリーの手腕がなければこのベンという男はヤクザの組長にはなれなかった、という経緯があったからだ。
ベンの登場で、さっきまで威勢よく殴り合っていた男どもがハリーの登場にも増して大人しくなった。 ―この男は一体何者なんだ?― ―あのベン組長でさえ彼のことを兄貴と呼んだぞ。―
ローラの吐く息からアルコールの匂いがした。
ハリーは明らかに酔っ払っているゾーイに、魂胆を見透かそうとするようなキツイ視線を向けていた。
「おい、マイク。ゾーイの仲間を解放しろ。」
この喧嘩に関わった誰もが恐怖におののきながら、まるで「地獄の王」のようはハリーから下される審判を待っていた。 「ベン。ゾーイとマイクは置いといて。残りの奴らは片腕でも折って、強制的にD市から追い出してくれ。 で、ゾーイは…。」
「やめて!!」
ハリーがゾーイに言及すると、 ローラはハリーの話を遮り 、ゾーイを庇うため身を乗り出した。 ゾーイと一緒に飲みに来ていたことをハリーが面白く思っていないことは明らかだったが、ゾーイはローラの親友である。ローラはゾーイを絶対に守らなければならなかった。
その横でベンとジョーイは緊張していた。
汗がひと筋、身体を伝っていく。 ローラはハリーの話の腰を折っただけではなく、他の男を庇うためハリーに逆らった。 ローラがどんな結末を迎えるのか。
ベンとジョーイの冷や汗は止まらない。
ハリーはナイフのような目つきでローラを一瞥する。 するとローラは可愛らしく首をすぼめると「ゾーイをここに呼んだのはワタシなの。 だからお願い!ゾーイを傷つけないで…じゃなければ…」と言い出した。
―じゃなければ…だと?― ―ハリーと交渉しようとするというのか?― ―社長を脅かすつもりなのか?― ―この女、とんでもない度胸もちだ!― ベンは目を擦り、ローラをじっくりと観察した。
「…じゃなければ、なんだ? んんっ?」 ハリーはローラの顎を乱暴にグイッと引き上げて目線を合わせると、怒りをこめてローラを睨みつけた。
「ねえ…一緒に帰ろう?」 ローラはうっすらと笑みを浮かべて見せた。
―えぇぇぇ!!―
ベンは度肝を抜かれた。 ―よしっ!うまくいった!―
ジョーイは嬉しいような、ホッとしたような複雑な安堵を感じていた。 数秒おいて、ローラの顎からハリーは手を離した。
踵を返して店を出ようとするハリーの背中を見て、ローラはどうなることかとドキドキしていた胸をなで下ろしながらハリーの数歩うしろを歩いた。
ベンとジョーイは顔を見合わせ何か言葉を交わそうとしたが、無意識のうちに止めていた呼吸を戻すのがやっとで、ひきつった笑顔を交わすだけだった。 何てことだ。 パジャマ姿のベンは、ソーホーバーではなく、ふかふかなベッドで夢を見ていたのだろうか。 ハリーが誰かの話に耳を傾けるどころか、誰かの言うことに従うことなど今まであっただろうか。
ジョーイも我に返り、慌ててハリーを追い越し、いつものようにハリーの数歩先を歩いて車まで案内をする。
ハリーが去った後、ホールの室温が一気に上がった。 ベンも冷静さを取り戻し、後ろに控えていた部下にハリーの言う通りの指示を出しその場を離れた。 DJの音楽を消し去るほど、ベンの背後からは助けを乞う悲鳴がソーホーバー中に響き渡っていた。
ゾーイとマイクは、自分たちが呼び寄せた仲間がボコボコに殴られている光景を見つめていたが、その頭の中は真っ白だった。 もちろん突然現れた悪魔のような男が一体誰なのかもわからずじまい。 ―ま、まさか…ローラの夫か?― 気づいたゾーイとマイクは同時顔を見合わせ、こわばった表情で見つめ合った。
マイクは、あの男、ハリーが自分とゾーイを解放した理由を知っていた。
ゾーイはローラの顔に免じて、そして自分は…。 ―ハリーは自らの手で俺を始末するつもりだ。―
―ハリー自身が手を下さなければ意味がないと考えているのだ。―
そのことにマイクは気づいた。
後ろから聞こえる仲間がマイクに助けを求める叫び声を無視し、マイクは慌ててハリーを調べ上げる為に自宅へと飛んで帰った。
一方、ハリーとローラの仮住まいの自宅である園明マナーはというと。
ローラとハリーはジョーイに黒いマイバッハで送ってもらった。 ローラのマセラティはまだソーホーバーの外に停めたままだった。 帰り道の車内。ハリーは何も言わず目を軽く閉じたままだった。ローラも車内にジョーイがいるせいで、恥かしくて何も言えなかった。
自宅に到着したときだった。
ローラはいつものように玄関で靴を履き替えると、慌てて2階の自分の部屋に駆けこみトイレで嘔吐したのだった。