私のCEOであるパパ
すると、ニコールは何かを思い出したかのように、途中で立ち止まってゆっくりと振り向いた。 「あ、そうだ。マンハッタン大学から通知が来たのよ。 経営学部に入学が決まったわ。 このニュースをどう伝えるべきか考えていたんだけど、あなたたちのおかげで楽に言えるわ! あとひとつ、行く前に言っておくことがある…」
ニコールはフィオナの嫉妬に満ちた顔を楽しむように、少しの間をおいた。 「昨夜私が泊った部屋は1101号室よ」
そのあいだ、1101号室では目を覚ましたカーが、座ってベッドサイドにあるお金を不機嫌そうに見ていた。
彼はその金を数えていた。 41,827円だった。 あの女、持っているすべてのお金を私に払っていったのか? 信じられない考えが彼の頭をめぐった。
これまで20年以上生きてきたカー・グーが、そんな大胆な真似をする女に出会ったことはなかった。 金を残して去ったなんて!
あまりの怒りに、カーは 冷たい表情でアシスタントに電話をかけた。
「ホテルの支配人に監視カメラの映像を依頼しろ。 この部屋に昨夜いた女を探し出したい」
電話の向こうでは、アシスタントのこびへつらうような声が響く中、ふと枕の上にきらめく何かがカーの目に留まった。 小さなイヤリングだった。 これがあの女を探す手がかりだと分かって、カーは目を光らせた。
たちの悪い女だ、今度会ったらお仕置きしてやらなければ!
数年後、空港にて…
悪天候のために到着するはずの便は30分以上遅れた。 空港の待合所にいる人々の表情には焦りが見え始めた。 その中で、灰色のシャツを着た男だけは妙に落ち着きを見せていた。 金の縁取りのある眼鏡をかけて、優しそうなハンサムなルックスにその場にいたほとんどの人たちが注目していた。
あれ、バーロン・ファンじゃない? このハンサムな紳士は、A市で二番目に裕福なファングループの御曹司だとその場にいた女たちは気づき始めていた。 ファン家は、市内でグー家だけには劣っていた。 それでもまだ、ファン家は誰からも信じられないほどに裕福だったので、実際何ら問題があるとは思われていない。 「きゃあ! 彼って何てハンサムなのかしら!」 ひとりの女の子が小さい声で感情をこめていった。
バーロン・ファンが冷淡なカー・グーと比べたら、はるかに愛想の良い男であることは確かだった。
誰にだってこのバーロンに会えるなんて、滅多にないことだった。 これはチャンスと、彼に近づく女がいた。 何度もためらった末に、一人の女性はようやく勇気を出して彼の方へと歩き出した。 美しい女性だった。バレンチノのブランドの豪華なドレスを着ていた。 微笑みかけながら、その女性はバーロンに丁寧に自己紹介をした。
「ごきげんよう、 バーロン様。 お茶でもお付き合いいただけたら光栄ですが」
「おや、お美しい方からの招待を受けるとは幸運なことだ」
穏やかな笑みを浮かべて、バーロンはこう答えた。 「だが、すまん。 待っていた人が来てしまったようだ」
バーロンの指さしたほうを見ると、そこには、20代半ばの美女が歩いてきた。 長い髪が肩にかかり、顔にはメークをしていなかった。 白いシンプルなシャツにブルージーンズ、服もいたって清潔かつシンプルだった。 それだけシンプルだったにもかかわらず、大勢の中にいてもひとり際立って見えた。 それはニコールだった。
なぜか、彼女の持ち物は片手のバッグだけだった。 その彼女のかたわらに無邪気な幼い男の子が小さなスーツケースをひきながら、後ろをちょこまかと歩いてやってきた。
ニコールは、出てきてからすぐに羨ましそうな憎しみ溢れた視線をそれらの若い女性たちから向けられているのに気づいていた。 「また私のことを自分のバカげた盾扱いするなんて、もう男として失格だわ!」
心の中でバーロンに対する不満をさけびつつも、ニコールは優しいほほえみを浮かべて良妻賢母を演じていた。 彼女はバーロンの元へと歩み寄って、手をつなぎながら、優しい声で呼んだ。
「ハニー、かなり待った?」
バーロンもまた彼女に自然な感じで腕をまわして「ハニー」と呼んでいた。 バーロンのそばに来た幼い男の子もまた彼の足に絡みつき、甘えた声で彼を呼んだ。
「パパがいなかったから、ジェイ君さみしかった! 何でここで僕たちを待ってたの? パパの服に着いた香水はくさいよ!」
落胆した女性たちは、ぎこちない咳をしなたら去って行った。 満面の笑みを浮かべながらバーロンはジェイをスーツケースの上に座らせた。そして、スーツケースを片手で引っ張りながら、もう片方の手をニコールとつないで歩いていった。 車に乗るや否や、ニコールは彼の頬をきつくつねった。
「さっきのように、あなたをファンたちから守る盾としてのお役目はもう私は金輪際お断りしますからね!」
「頼むよ、ニコール! マンハッタンの旧友なんだろう。 それに、君のほかに誰が僕を助けられると思う?」
すると、バーロンは眉をあげ、ジェイの後ろに置いたスーツケースを見た。 「嘘だろう? 息子と二人で6年ぶりに帰国したっていうのに、君らの荷物はこれだけ?」
「ママは必要なものはこっちで買えばいいって。 効率のいい方法だって僕も思う」と、ジェイが言った。
「その通り。 いらない物は捨てる、そしたらエネルギーも場所も蓄えられる。 効率いいってことね」
息子に同意してニコールがそう言った。 しかし、隣のバーロンは不満しているようだった。
「ジェイはまだ6歳だぜ、おい。 頭の良い子だけど、そんなに冷たく教え込まなくても! バカな子ほど僕にはかわいい。ねえ、僕のかわいい息子ちゃん」 とバーロンはジェイの足をくすぐろうと手を伸ばしながら言った。
バーロンの手を嫌がるように、ジェイは短い両足を揺らしながら彼の手を押しのけた。そして、冷たい口調で言った。
「今は安全な場所だから、もうほかの女の子たちは来ないよ。 ファンおじさんの子のふりはしなくてもいいでしょ」
「まったく、ニコール・ニン! 君はいったい男の子をどう育ててるんだ?」
肩をすくめて、ニコールは微笑み、窓の外の懐かしい景色を眺めた。
マンハッタンへ出発した時、彼女はまだ18歳になったばかりだった。 ひとり暮らしで気が重かった。 しかし、あることが彼女の人生を変えた。 それは、7年前のたった一夜の出来事でジェイを身ごもってしまったことだった。 幸運にもバーロンと仲良くなったので、かなり助けられた。
時々あの夜を共にした男はどうしているかとニコールは思った。
ぼんやりとしか覚えていない顔だったが、ハンサムだったはずだ。 あの見知らぬ男に息子が出来たと伝えたら、彼はどんなにショックを受けるだろう!
こっちへ帰る前に、ニコールはジェイのことが心配になった。 ジェイは年齢の割に頭が良くて大人びた子供で、父親がいないことを受け入れていた。 だとしても、愛情をくれる父親がそばにいないのは不安だろう。 あの見知らぬ男をみつけて、彼がジェイのことを息子だと認めてくれたら、何も心配がいらないのだけれど。 でもあの男を見つけられなかったら、彼がほかの女性と結婚していたら、そしたらどうしよう?
ニコールはそう考えると、心配になって眉をひそめた。 ジェイは母親の気持ちを理解したかのように、安心させようと彼女の肩をたたいた。
「おバカなママ、悲しまないで。 お父さんがいたほうがいいかもしれないけど、 いなくてもいいんだ!」