私のCEOであるパパ
作者谷田部 崇博
ジャンル御曹司
私のCEOであるパパ
「今日は助けてくださって、有難うございました。 グー様。 良い夜をお過ごしください」
ニコールは微笑もうとしたが、頬が痛んだ。 「痛いっ!」 思わず叫んでしまった声にカーが気づいた。
車を降りようとした瞬間に、彼女の手はカーにつかまれた。 突然の接触に、また、カーの目の優しさにニコールは驚いていた。 それは錯覚かもしれないと思った。
「家に帰らずにどこへ行こうとしているんだ?」
周りを見ると、カーは近くの薬局が目に入った。 突然彼は、ニコールが薬局へ行こうとしているのに気がついた。
「家にこのまま帰ることはできません。 ジェイに心配をかけてしまいます」と、ニコールは答えた。
その時、カーが彼女を心配そうに見ていることに気づき、ニコールははっとした。 そして、彼の手の温かさを感じて、ニコールは落ち着かなくなっていた。 今日カーが彼女に触れたのはこれが二度目だった。
すると、カーは運転手に合図した。 運転手が即座にカーが何を意味しているのかを分かって、シートベルトを外し車を降りて、薬局へと向かって歩いた。
車の中に二人っきりになると、いっそうニコールは居心地が悪く感じた。 沈黙を破ろうと何をいえばいいか彼女は思案し続けていた。
「グー様。 ソグループの方々は私たちが早々に引き上げたのを無礼だとは思わないでしょうか? 明日一番で、先方に説明に伺おうかと思います。 私個人の事情によって、何等かの悪影響を会社に与えるわけにはいきませんから」
ニコールはカーを真剣に見ていながらいった。
今日の出来事は完全に彼女が原因で生じたことであり、その責任はしっかりと負うこと、そして損失を埋め合わせることが彼女にとっては重要だった。
「自分のことを心配しろ、協力計画のことはその後だ。 明日、社内で、お前が注目の的になってほしくないから」とカーはいった。
この台詞をいうとき、カーの眼差しには無力感が漂った。 なぜならば、明らかに彼はニコールのことが心配だったが、それを率直に打ち明けることはできなかったからだった。
ニコールはその話と彼の声色に驚いた。 ジェイの声とそっくりだったからだ。 それは、ジェイが父親から引き継いだものだったのだとニコールはようやく気付いた。
ジェイは母親に、出社初日に同じようなことをいっていた。
「はい。 心配なさらないでください。 グー様」
ニコールの言葉に冷たく、礼儀正しいことにカーは気がついていた。 故意に彼から距離を置こうとしているのだとは気づかなかった。
手に軟膏を持って急いで戻ってきた運転手は、 カーの表情をバックミラーで見ただけで、すぐさま自分のすべきことを把握していた。 必要なものをカーに渡すと、「星空を見てきます」と言ってその場を去った。
「私、自分でできますから」と、ニコールはカーの目線を避けた。
軟膏の蓋を開くと、カーは自分の人差し指の先にそれを少量絞り出した。 カーが自分の顔に軟膏を塗布しようとしたのを見て、ニコールは反射的に退いて、薬を彼の手から奪おうとまでしていた。 しかし、カーの目つきに驚いた彼女はあえて奪おうとしなかった。
「こっちへおいで」カーは自分のすぐそばの席を軽くたたいて示した。
拒絶を認めないようなとても落ち着いた声だった。
ニコールはその言葉と行動に驚きを隠せなかったが、それでも従わざるを得なかった。 腫れた方の顔を彼に向けたおかげで、目を合わせるのを避けられた。 冷たい彼の指が優しく頬に触れるのが感じられた。熱く燃え上がっているところはますます涼しく感じてきた。
自分を傷めないように、カーは意識的に優しく自分の顔に触れるのはニコールがよく知っていた。 これほど彼に近づいたのは初めてのことで、どうしても彼女の顔が赤くなった。 車の中は薄暗く、ニコールはカーが自分の様子に気づかないことを祈っていた。
「君が仕事の時は、子供を一人で留守番させているのか?」 カーは突然そんな質問をした。
少し前からニコールが緊張をしていると彼が気づいたからだ。 自分の視線をさけようとしたり、手を力強く握り締めていたりした彼女は、 痛みに耐えているのだろうとカーが思った。だから、彼女の気を逸らすために、何か話をしようとした。
しかし、彼が驚いたのは、ニコールは子どもの話をした瞬間にさらに緊張したようだった。
「息子はもう小学生です。 それに仕事が終われば、すぐに家に帰ってそばにいてやるようにしています。 グー様は、 子どもが嫌だったようですね」
ニコールはカーの思いを知ろうと試みた。 なぜ、急にジェイのことを言い出したのか、その理由がわからなかったし、それに、他の女性に対して、中絶を要求した時の彼はあまりに無関心そうだったからだ。
もしも7年前、カーは自分が彼の子供を宿っていることを知ったなら、多額の金を積んででも黙らせるだろうとニコールは思った。 そして、中絶を要求されただろう。
彼のような人は子どもを好きになるわけがないだろう。 だが、ジェイを授かり出産したのをニコールは一度も後悔したことはない。生まれたばかりの赤ん坊を見た瞬間から、彼女は子どもを心から愛していた。 それを考えて、カーがジェイを授けてくれたことに、感謝せざるを得なかった。
「私には子どもがいないから、好きかどうか判断がつかない」
大人になってから、カーの周りにはほかに子どもがいなかったので、正直、彼は子供が好きかどうかが知らない。 印象としては子どもは手がかかり、そして面倒ばかりかけるものだと考えていた。
「もちろんそうでしょうとも。 ゆりかごで息の根を止めてしまうから」
とても小さな声でニコールはいった。 軽蔑に満ちた目をしていた。 カーのように権力にものを言わせるような人は冷酷で血も冷たいのだろう。
「いま、なんといった?」
唇がわずかに動いただけで、何を彼女が言ったのか聞き取れていなかった。
「何もいっておりません。 もう、大丈夫です」 ニコールは話題を変えた。
痛みと腫れが少し治まってきたので彼女はカーの手を押しのけて、少し離れた席へと戻った。
カーが何かをいおうとした時、ニコールの電話が鳴った。
それはジェイからだった。
「9時20分過ぎてるよ」
電話に出た瞬間に、ジェイの声が聞こえてきた。 不満な様子が声からも聞き取れた。
ジェイはきちんとした生活を好んでいたし、時間通りに動くべきだと考えていた。 寝る時間も決まって9時半だった。 ニコールが寝る前に必ず帰ると約束したので、時間を彼女に知らせてきたのだった。
ジェイに見習ってもらいたいと思って、ニコールはいつも約束を守っていた。
「あら、それは本当? もう門の前まで来ているのよ。すぐに家に帰るわね」
手首の腕時計に目をやると、本当にもう9時半近くになっていた。 ジェイとの約束を守ろうと、大急ぎでドアを開けて、車外へ出た。 ニコールはカーに別れを告げてお礼をいうのを忘れるほどに、慌ててしまっていた。
「おやすみ」と、カーが優しくいった。
ニコールを止めようとはしなかった。 彼女の頭の中は家に帰ることでいっぱいになっていたので、カーの声すら耳に入らなかった。 ドアの締まる音だけが、カーの耳に届いた。
急にカーの目の奥に暗さと冷たさがうつった。
誰も自分を無視することなどさせなかった。 いや、いまニコールがそれをしてのけたのだ。
ニコールは、カーの声を聞かなかったが、電話口の向こうにいたジェイには聞こえていた。
ジェイは賢い子どもだった。 だから、それはバーロンの声ではないことがわかった。
すると、彼はすぐベッドに座り直すと、布団をひっぱりあげた。 スリッパを履く時間もなく、大急ぎでバルコニーへと短い足でかけよった。
そして、ニコールが駆け寄ってくる方向を見ようとしたが、そこにはもう何もなかった。 ジェイはとても残念だと思った。
新しい男が母親に近づいていたのだ。 もっと母親に注意すべきだった。
すぐに、ドアが開いた音がした。 ニコールが靴を履き替える間に、その息子の小さな身体が飛んできて、彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。
幸いなことに、電気が消えていたので、ジェイは腫れあがった彼女の顔をみることはできなかった。
「まだ起きてるの?」
ニコールは小さな息子を抱きしめた。 そして、ハイヒールを脱ぎ捨てると、ジェイの寝室に歩いて行った。
ジェイは頭を母親の肩に預けて、手をしっかりと彼女の首の周りに回していた。 まるでコアラのように、母親にしがみついた。