私のCEOであるパパ
作者谷田部 崇博
ジャンル御曹司
私のCEOであるパパ
ニコールは顔を上げると、ジャレドのまじめな表情にうなづいた。 深く考えなかったが、ジャレドの次の言葉がどうも気になっていた。
「今夜、ソグループとグーグループの社長たちの夕食会がございます。 午後6時に、運転手が下でニンディレクターを待っていますので」
ソグループの社長との夕食会であれば、グーグループの代表は彼女のような下っ端のディレクターだけであってはならないはず。 そう思って、ニコールはジャレドのまじめな顔を改めて見つめ返した。
彼女が何かを返事しようと口を開くよりも先に、ジャレドはさっさと踵を返して去ってしまった。
ニコールの事務所を出たジャレドは額ににじんだ汗をぬぐいながら、黒ぶちの眼鏡の下でおかしな表情をうかべていた。
5時50分に、グーグループの建物の中では、ニコールがトイレの鏡に映る自分の姿を確認していた。 彼女が着ていた黒のビジネススーツは、保守的だが端麗だった。
いわゆるキャリアを積んだ女性といういで立ちだった。 外見に満足したニコールは、鏡に映る自分に向かって自信あふれる笑顔を向けた。
駐車場についた瞬間に、グーグループの会社ロゴのある特別な黒いロールスロイスを見つけたので、彼女はさっそうと車へと向かった。
運転手はすぐに車から降りて、ニコールを迎え入れるため、後部座席のドアを開けた。 運転手にかるく会釈し、ありがとう、とニコールは車に乗り込んだ。
しかし、車の中に座っている男に気づいたニコールは、いきなり逃げ出したい思いにかられた。
「グー様 ?」
目を開けてニコールを確認することもなく、カーは鼻で軽く一息ついただけだった。
「うん」
ニコールがカーがジェイの父親だと気づいてから、直感的にカーをできる限り避けなければと思っていた。 そのような男性がジェイの父親としてふさわしいなどとは全く思えなかったのだ。
だからこそ、カーと共に時間を過ごすのは危険でしかないことだった。
ニコールは自分の呼吸を感じ取るほど緊張して、震えていた。 なるべく身を狭く縮こまって座り、後部座席のカーとは離れていようとしていた。
そして沈黙に満ちた車内の空気に、ニコールはいよいよぎこちなさを感じていた。 すると突然、沈黙を破るような彼女の携帯電話のベルが鳴った。
大慌てで電話を取り出すと、画面に表示された番号を見たニコールはショックを受けた。 それは、ジェイだった。彼女はすっかり今晩の夕食会のことを伝え忘れていたのだ。
「何時に帰ってくるの?」
ジェイは冷蔵庫の前にいて、バーロンが作ってくれた自分とニコール用の食事をみていた。 その姿はまるで大人のようだった。
「ごめん、ジェイ。 仕事でご飯を食べに帰ることができなくなっちゃったの。 ファンおじちゃんと一緒に食べてもらえるように電話をするから、待っててね。 いい?」
ジェイが年齢よりもしっかりしているのは分かっていたが、6歳児を一人で家にいさせるのは母親として不安だったのだ。
マンハッタンにいた頃も、ニコールは大学へ行く以外はジェイの面倒を見ていた。 でも今こちらに戻ってきてからは、ジェイとの時間があまり持てずにいた。
冷蔵庫を閉じて、ジェイは眉をひそめた。
「それはいいよ。 ファンおじさんっていつも子ども扱いするんだもの。 よほど家にひとりで留守番していた方がまし。 飲み過ぎないでね。 そして、寝る前には帰ってきてよ」
ニコールは面白い子だなと思いながら、彼のほうがより大人っぽく感じ始めていた。 自分が面倒をみるべきジェイが、逆に自分の心配をしてくれるのだから。
「分かった、頑張るわ」
会話に夢中になっていて、ニコールは自分の穏やかに話す口調をカーが関心を持って聞いているのには気づいていなかった。
ニコールの顔に笑顔がときどき見え隠れするのを見て、カーは少しぼうっとしていた。 母親らしい彼女の表情から、ニコールが電話の相手に対してどれほど愛情をかけているかがカーには十分すぎるほどわかったのだった。
「息子さんから?」
電話を切るとすぐに、カーが関心を持って聞いてきたので、ニコールは一瞬驚いた。
「はい」
カーはまた何かを質問したかったが、車がゴールデンクラブの前でとまった。
ここは、大変裕福かあるいは高貴な方々にしか出入りすることができないような場だった。 しかし、見た目が壮厳華麗であり、灯が明々とともっているところは、往々にして 誰もが知らない闇が隠れていた。 光あるところには闇がある、といったのは誰だっただろう?
運転手はすぐさまカーのために車のドアを開けた。 息子についてそれ以上カーが質問しないことに、ニコールはほっとしていた。 そして深呼吸をして車から降りると、カーの後を静かに歩いた。
ウェイターが彼らのためにドアを開けると、すでに部屋は人であふれていた。 しかし、カーを待ち続けていた人たちは誰もが決して口が裂けても文句などいったりはしない。
主賓席に座る前に、カーは参加者たちにそれぞれ短く挨拶をしていた。 離れた席にニコールが座ろうとしたその瞬間、突然カーは彼女の腕をつかんだ。
それで、ニコールはカーの右側の席に座らざるをえなかった。
こういう宴会では、必ず女性たちが集まってくるのを知っていたニコールは、結局カーの隣の席に座り、そういう女を彼に寄せつけない役目を担うこととなった。
「見知らぬ女性が近づかれるのが嫌なんだ」
目の隅の方でニコールにちらりと目をやると、カーはそういった。 彼は小さい声でささやいたのだが、ニコールになら聞こえるに違いないとわかっていた。
ニコールはカーを心の中で軽蔑しながらも、黙って彼に微笑みかけた。 もしも、彼が本当に見知らぬ女性が嫌だったのなら、7年前に自分が夜を共にしたのは幽霊か何か?
しかし、ニコールは自分の中にその事実をそっとしまっておいた。
自分が7年前のその女性だったことをカーに知られてはいけない。
間もなくクラブのマネージャーが個室に明るいスーツ姿の女性のグループを招き入れた。 その部屋の中にいる人々は黙り込み、カーが何かいうだろうと期待の目を彼に向けた。
革の椅子にゆったりと座ったカーは、ニコールの座る椅子の背に腕を置いた。 それが何を意味するかは明らかだった。
「どうぞお好きなように」
その言葉を合図に、部屋の中の人々はとなりに座らせる女性を一人ずつ選んだ。
ただ、カーの左側に座っていたソグループ社長のジェレミー・ソはひとりも女性を選ばなかった。 その代わりに、彼は興味深く、カーのとなりに座るニコールをみただけだった。
カーよりも若干ジェレミーの方が年上だった。 グーグループと比べて劣るソグループだったが、ジェレミーはその後継者である。 かつて、カーは同様の夕食会に女性をつれて来ていた。
しかし、今日彼がそばに置いている女性は、以前の人とはちがって、彼のガールフレンドに見えなかった。
「ソさん、 どなたかそばに置く女性を選ばなくていいの」
ジェレミーの視線をたどってみると、その先にはニコールがいるのにカーは気がついた。
「彼女は私のもので、誰かほかの人が簡単に連れ去るような真似をさせるものか」と言わんばかりのカーの顔。
ジェレミーは知的な男で、カーの言葉の中が含む脅威を決して見逃さなかった。 彼は恥ずかしそうに笑って、指を鳴らしてマネージャーを呼んだ。