私のCEOであるパパ
作者谷田部 崇博
ジャンル御曹司
私のCEOであるパパ
いつもジェイは自分の身の回りで起きていることに敏感な子だった。 だから、ニコールの頬についていた軟膏の匂いには容易に気がついた。 母の頬に手を伸ばそうとしたが、それは交わされて、できなかった。
「お父さんを探しに行ってたの?」
覚えている限り、自分はほかの子どもたちと違っていた。 クラスの友だちには親が二人いるのだが、自分には母親一人しかいなかった。 ファンおじさんはとても親切だったけど、本当のお父さんではないとずっと前から分かっていた。 天才かどうかは関係なく、ジェイはあくまでも6歳の子供だった。彼のような子どもは家族が完璧であったほうがいいのは当然だった。 幼いジェイの気持ちとしては、それは望みでもあったのだ。
しかし、母親に自分のために惨めになって欲しいとは思わない。 それに、母親に辛い思いをさせたくない。
ジェイの質問に、カーの無表情な顔のイメージや、カーがまだ生まれてもいない赤ちゃんに対して言った残酷な言葉でニコールの頭はいっぱいになった。 彼女は思わず首を横に振った。
「なんておかしなこと。 馬鹿なことをいわないで。 仕事に行ったのよ」と、優しくニコールは答えた。
ジェイをベッドへと連れていき、キルトの布団をかぶせてやった。 それからベッドサイドに座って、ジェイの小さな顔をじっと見つめ続けていた。
その時、ニコールはジェイが眉間にしわを寄せているのに気がついた。 今までそんな奇妙な表情を息子がするとは気がついていなかったが、それはまさにさきほどカーが心配してくれた時の表情じゃないか。 でもそれはほんの一瞬のことで、ジェイの表情は元に戻った。
「ママ、父親なんていらない。 ママがいてくれたら。 僕はママだけで充分だから」
無邪気な大きな目がニコールを見上げていた。
「おかしな子、もうあまり考えすぎずに。 寝よう。 明日は学校に行く日だからね」 というと、ニコールは息子の頬に優しくふれた。
あっという間にジェイは眠りに落ちて、静かにいびきをかいていた。 ニコールは思わず微笑み、ジェイの額にキスをした。 眠っている顔をもう数分間見ていたあとで、ニコールは自分の部屋へいった。
明かりをつけ、自分の顔を鏡で確認すると、前ほど赤く腫れていないことがわかった。 明日どうするかをさほど心配しなくてもよかったが、逆に今度はカーのことを考えて、再び頭に不安がよぎった。 時限爆弾を心の中に一つ抱えてしまったようだった。
かーはというと、車の中に座りながら部屋についたばかりの明かりを見上げていた。 すぐに深く考え始めた。 ニコールには何かなじみ深い感情があったが、それがどこから来ているのかが、具体的にははっきりしなかったのだ。
ジャレドは有能だと信じていたけれども、ニコールについての情報を見つけてくることができなかったのだ。 こういう場合、ひとつしか考えられない。ニコールは彼に何かを隠しているに違いなかった。 それは、なんだろう? かーはそれを明らかにしなくてはならないと思った。
そして運転手に戻るようにと命じた。 カーは冷静な態度の裏でニコールが家に入るまで見送ろうとしたのがなぜなのか、それを正当化する理由を探して頭が混乱してしまっていた。
どうして彼女が家に無事に帰ったと知りたいのだろうか。
この門のあるコミュニティはグー家の所有する住居地だった。 完全に閉鎖された住宅地は、裕福な家族専用であり、安全で安心な機能が高く評価されて、住民からの評判も良かった。 カーは運転手にニコールの後をついていくようにいったのはなぜか、自分でも理解できていなかった。 それ以上に、部屋に入ることを確認する必要があっただろうか。
その間、ニコールもまた一晩中頭の中をさまざまな空想や推測をすることでいっぱいになり、冷静さを失っていた。 ニコールはもしカーが真実を知ってしまったら、息子を連れ去ってしまうことが心配で仕方がないという妄想で頭がいっぱいだったのだ。 そのため、眠りについたのがとても遅い時間になってしまった。 翌朝、時間通りに彼女は目覚めなかった。
アラームはなったのだが、ニコールはぐっすりと眠ってしまっていた。 ベッドサイドではいらいらしたジェイが立ってみていた。 しかし、眠りながらも眉間にしわを寄せている母親を見て、ジェイは手を伸ばして自分でアラームをとめて、もう少し後で鳴るように設定した。
メモを書いて、軟膏と一緒にベッド脇のスタンドのところに置いたジェイは、 母親の寝顔を少しの間見ていたが、背を向けると、小さなリュックをしょっていた。 そして、行ってきますもいわずにジェイは学校へと出かけた。
実際のところ、ジェイの知的能力は高く、小学校にいくような必要はない。 ただ、ニコールは同じ年齢の他の子たちと一緒にして、取り残されるようなことがないようにと心配していた。 母親を心配させまいと、自分が子どもだと思いもせずに、素朴な子どもたちの集団の相手をしなくてはならないのだった。
アラームが再び鳴ったので、ニコールは本能的にそれを止めた。 朝の光を感じながらも、また眠りに落ちそうだった。 その時、何かが変だと彼女は思った。 朝だと気づいて、驚きのあまり顔を叩いた。
そして、アラームの鳴った時計を急いで確認した。 と、すでに時間は8時半だった。 9時には出社していなければならないのに。それに、まだジェイを学校まで送っていないわ!彼はもともとこの時間に授業を受けるはずだったわ。
「ああ!」
悲鳴がだれもいない部屋に響き渡った。
ベッドから降りて足が床に着くや否や、彼女はベッド脇にある軟膏とメモに気がついた。
「ママ、仕事に遅れちゃダメだよ。 僕はもう学校に行くからね。 テーブルの上にある朝食を食べて、それから軟膏を忘れずに。 バカママ、もう怪我なんかしないで」
紙に書かれた優しく甘いそして幼い言葉に、ニコールの心はとても慰められていた。
辛いことを何度も経験してきたけれど、ジェイは神様がくれた贈り物だったと思った。
そして、ニコールは服を大急ぎで着た。 準備をするのに10分もかからなかった。 サンドイッチをいま食べずに、仕事先にもっていくことにした。 そして、幸運なことに、彼女は時間ぴったり8時59分には職場に到着していた。
事務所の席に座り、ニコールはほっと溜息をついた。
小さな鏡を取り出すと、髪と顔を覆っていたスカーフを脱いだ。 そして、鏡の前で大急ぎで化粧をし始めた。
「グー様。 ニンさんは事務所に到着してきました」ジャレドは、すぐさまカーへ報告した。
ジャレドが上司の前に立っていたので、その表情をはっきり見る事ができた。 報告を聞いたカーの表情から暗い影が薄まっていくのが見て取れた。
「彼女のところへ行って伝えなさい、ここに来るように」
カーは顔を上げずにきっぱりといった。フォルダーから目を離さなかったのだ。
ジャレドはまもなくニコールの事務所の前にいた。 ドアをノックしようとして、ドアがわずかに空いているのに気がついた。 そしてドアを押してあけることにした。
そこで驚いたのは、ニコールがサンドイッチを口に入れている最中だったことだった。
ドアが開く音がして、ニコールが顔を上げると、ジャレドが無表情でドアの前に立っていたのを見た。 サンドイッチを口に放り込んで大急ぎで飲み込み、ニコールは何もなかったかのように彼に話しかけた。
「どうしましたか。 ジャレドさん?」
「はい、グー様が、 お会いしたいとおっしゃられています」とジャレドはしっかりとした口調で答えた。
ジャレドはグーグループに勤務して以来、勤務時間中に誰かが朝ごはんを食べているのを見たのはそれが初めてだったのだ。
グーグループが世界でもトップクラスの企業の一つであり、厳格なオフィスの規律とガイドラインに順守し、社員の効率性と生産性は確保されていた。 新たに採用されたディレクター、ニコール・ニンはその規則を初めて破った人物だった。
ジャレドがそういうのを聞いた瞬間に、ニコールはドアに向かって歩き始めた。 ドアの前に立っているジャレドのそばを通る時、ニコールは罪悪感いっぱいでこうささやいた。「お願い、グー様には言わないでくださいね。仕事はちゃんとしているから。 今見たことは、内緒にお願いします」
ジャレドは無意識のうちに首を縦に振っていた。そして軽く手をあげて、うっとりするようなニコールの笑顔をみつめた。 何かを言おうとしたが、ニコールはまっすぐにグーの部屋へと向かった。 彼に話す時間をあげなかった。
しばらくして、ジャレドがふと我に返った時に、ニコールはすでにカーの部屋に入っていた。 彼はニコールに同情し始めた。
「グー様。 およびですか?」
机の方へと静かに歩いて行き、ニコールは気を付けながらカーを見ていた。
「このファイルにあるのはソグループと当社に関連する情報のすべてだ。 これを大至急計画にしろ」
フォルダーをテーブルに投げると、カーは彼女を見上げた。
実はニコールの顔の怪我を心配し、確認するだけのつもりだったのだが、カーはもっと重大なことを発見していた。
彼は立ち上がると、ニコールの口の端を見ながらまっすぐ彼女の元へと歩いて行った。
「どうかしたのでしょうか?」
カーの眼差しに、ニコールは驚いていた。
「ニコール、君は事務所で朝食を食べるとは何事だ? いったい何を食べていたんだ?」
驚きのあまりニコールは目を見開いた。 どうしてバレたのだろう?
視線を避けるようにして、返事をした。「サンドイッチです」
「出しなさい」
ソファーに座ると、カーは尋問でも始めそうな勢いだった。
仕方なく、ニコールはまだ食べ終わっていないサンドイッチを自分の事務所に取りに戻った。 そして、カーの前に、テーブルの上に気にせずに置いた。
「君が作ったのか?」 カーは何気なく聞いた。